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スーパー!(ネタバレ)/選ばれし者

■ファルスを仮想装着する女?

エレン.ペイジ(リビー)の暴走と、そのあっけない死に様にも驚きましたが、一番びっくりしたのが、レインウィルソン(フランク)をレイプするシーンです。
豊富な知識を生かしてアメコミ専門ショップで働くリビーは、オタクのステレオタイプからは外れていて、友人も多いし、セフレも押さえてある。現実世界でモテないわけじゃないのに…豹変しました!(爆)。
一応、頭のいいコなので、フランクに受け入れてもらえるようなもっともらしい理由付け−現実世界のフランクとリビーじゃなくて虚構世界のクリムゾンボルトとポルティーになりきってセックスするんだから、奥さんを裏切ることにはならない−と説得してましたけど、“最近ヤッてないから、ヤラせて”ってセックス“依存症”みたい…。嫌がる相手を暴力的に犯すことで、彼女は通常の男女間の位相を転倒させている、つまりこの暴力の侵犯は、男からファルスを奪い去勢するため?
このシーンのフランクは、ブリーフ姿(私、ブリーフには殺意さえ覚えるくらいダメなんです。だって、後ろから見るとおむつカバーにしか見えないから)。
フランクにしてみたら、自分に覆いかぶさってくる女の子は、正義の為に共闘していた「女」のリビーじゃなくて、ファルスを仮想装着した「男」。刑務所内で男性囚人からレイプされる自身の姿を想像して怯えていたフランクが、空想通りの状況に追い込まれたのと同じだと思ってます。しかも、男の性の悲しさゆえに体はキッチリ快感を得ているので、精神と肉体はバランスを失い→トイレで吐いちゃうんですよね。
彼女が欲望するのは虚構の「クリムゾン・ボルト」であってリアルなフランクではない。だから彼女のリビドー備給にはヒーローのペルソナが不可欠で、リビーは受容的な女からファリックな存在にスライドする事と、虚構世界での位相(ヒーローとそれをサポートする相棒という主従関係)を、ファルスの権力表象の反転によって、従であるボルティが主のクリムゾン・ボルトを暴力的に支配することで転倒させている−女から去勢されファルスを奪われる、と同時に仮面=虚構のアイデンティティを押し付けられ、自生的な自己をも否定される−フランクの立場に立てば、リビーから二重の意味でレイプされた事になるんじゃないかと…。

■幻想のスクリーン

フランクが“選ばれし者”としての啓示を得たのは、テレビで活躍する「ホーリーアベンジャー」を幻視したのがきっかけでしたけど、このヒーローの胡散臭さには大爆笑。白い十字架を胸に抱き、保守的な倫理観でそこから逸脱するものを裁いていく姿には、思いっきりキリスト教原理主義を連想しました。
テレビという幻想のスクリーンから、虚構のヒーローがリアル世界にシームレスに浸食してきたんですよね。コスチュームを着た虚構のヒーローが窓の外を当たり前のようにふいに横切る。幻想と現実の境目が全くない(この地続き感、好みです)。見慣れた風景が全く違う別世界にいきなりジャンプするのではなく、シミのようにわずかな空間の切れ目=窓枠から浸食し、ありきたりな日常との連続性がさらなる幻想を呼び込む。この段階を経てるからもっと大きな幻想のスクリーン(部屋の壁)から立ち現われる、非現実に歪められたイメージもすんなり受け入れられるんでしょう、多分、きっと(笑)。部屋の壁が割れ、触手(ペニスを連想しますけど)登場→頭蓋骨がパックリと切断され、剥き出しになった脳に神の指紋(ご丁寧に、ローラーで清められてました。不純物を取り除いて、よりクリアなビジョンを植え付ける為でしょうか)が烙印される。私にとって宗教的な「洗脳」のイメージって、大体こんなんだわ(笑)。洗脳する側にとっての「不純物」ってなんだろう?って考えていくとちょっと面白いです。
“選ばれし者”として神から啓示を受けたフランクはお手製のコスチュームに身を包み、レンチ片手に悪の排除に勤しむ。顔面がパックリ割れる容赦ないゴア描写と、ノリノリで暴走するビリーが秘めていた残虐性によって「自警団」ゴッコの危うさもクッキリと炙り出されます。フランクは元々信仰を持っていたから、それまでの人生での完璧な瞬間、妻から愛によって”選ばれた”存在であり、善行による力の行使も正義の実現の為に必要なんだ!と素朴に信じることが出来たのでしょうが、彼のコスチュームが継ぎ接ぎだらけのボロだったのは、ヒーローの形象は実現される前からすでに自らが招いた暴力による不可避の「傷痕」を刻印しているからではないでしょうか。
また、買春しようとしたペドフィリアの男性から救った少年が取った現実的判断(財布から金を抜き取る)でその正当性が揺らいだだけではなく、世論を敏感に察したこの少年が、風向きの変化を正確に読んでテレビが必要とするコメントを「演じて」見せた事によってさらに混沌としてしまう。悪を懲らしめる行為が、行為自体に変化はないのにそれを情報として受容する側の欲望によって簡単に変わってしまう所、メディア批判としてちゃんと機能している。一つの事象を常に多義的に展開していく脚本には、感心しました。

■コマとコマの間

ドラッグディーラーを演じていたジョック(ケビン・ベーコン)。首下の弛み具合に隠すことのできない年齢を感じさせますが、彼が薬漬けにして自分に“依存”させていたフランクの奥さん(リブ・タイラー)が売春婦と間違われた時の屈託、ワルが一瞬垣間見せた純情さに、ほろりとさせられました。なんだかんだ言っても惚れてたんですね。

社会秩序を回復し善行を知らしめるために暴力を肯定する「自警団」は、必然的矛盾を自明とする所から出発しなければならない−暴力を制するのに暴力を要請した途端に、それを行使する側が不完全な人間である以上、常にそれを制するための暴力を不断なく要求するようになるから。「神の啓示」による自警行為と、自らの狂気に拝跪した暴力との差異を見つける事は私にはとても難しいです。ですが、本作、この問いかけに対する一応の返答を用意してますよね。終盤、ジョックがフランクに言った“俺を殺して世界が変わるのか?”に対する“やってみなくちゃ判らん”のセリフ−この、いわば判断を一旦カッコ内に入れてしまう、棚上げ状態にしておかれた問いかけに対する答えは、ラストのフランクのモノローグで、その一端が現れます。
フランクはずっと自分が“選ばれし者”と信じていたが、それは間違っていた。彼が助け出した元妻サラこそが選ばれし人だった。そして、自分がサラを救ったことで誕生した新しい命がやがては世界を変えてくれるかもしれないと、微かな希望をつないでいます。このささやかな自己に対する肯定は、勿論、信仰が関わっているようですが(The Gifts of God辺りを連想しますが)、でも、忘れちゃいけない!。彼が「記憶の壁」に残す幾多の幸福な瞬間がこれからの人生でどれだけ増えていこうとも、その記憶の壁が「幻想のスクリーン」としての機能まで完全に失っているかどうかまでは多分、分からない筈です。自己を自己として自律していくには、他者から受容されている喜びを分かち合う身近な人が必要ですよね、ウサギちゃんだけではやはり心許ない、はやく恋人見つけなさいって、背中を押してあげたくなりました。そうそう、ブリーフは速攻、卒業しましょうね。。