フェリーニの81/2(ネタバレ)/波の音とサラギーナの歌声

録画しておいたミュージカル映画「Nine」を観て、強烈に観たくなったのが、フェリーニの「81/2」。ファーギーの演じたサラギーナのイメージが記憶とは違っていたので、10何年振りに再見しました。

厳格な神学校に入れられた幼いグイドにとって、サラギーナは間違いなく彼に性の目覚めを促した存在なんでしょうけど、果たしてそれだけ?神学校の懺悔室で、神父から“サラギーナは悪魔”と言われ泣いていたのに、彼、その後彼女に会いに行ってる。浜辺に置いたイスに座り、もの悲しい調べの歌を口ずさむサラギーナは、振り向いてちゃんと微笑んでくれた。海辺のあばら家に住む太った大女、わずかな金の為に肉を揺らして踊る道化者。この浜に流れ着くまでの間、彼女の人生に何があったのかは分からない。愛した男(女でもいいけど)や家族、子供がいたっておかしくないのに…。
化け物じみた外観でお客を笑わせるのが彼女の生業。でもその佇まいには拭い去りがたい寂寥感が漂う。幼いグイドはその意味は分からなくてもそこに共振したんだと思ってたんです。いわば、ソウルメイトのようなもの。「Nine」のファーギーは存在感のある肉体と歌で楽しませてくれたけど、この寂寥感はなかったですね。

何度見ても楽しいのは「幻想のハーレム」のシークエンス。
愛した女やミューズ達に囲まれ、幼い時の記憶にあったような人生での最良の時を夢で再現する。風呂から上がると女達がパウダーを振りかけ、真っ白いシーツでくるんでくれる。ギスギスした隙間風が吹いてる妻と、肉体だけの愛人もこの世界では仲良し。妻がじみーな衣装を着て、召使いのように水汲みから床磨きまでやっていたのには大笑いしました。なんと分かり易い願望なんでしょう。。
この幻想世界は二層構造になっていて、グイドの欲望を刺激しなくなった女たちは強制的に引退させられるルールがある。彼の初めての女である踊り子が、年齢を理由にお払い箱となり、これを契機に女たちが異議申し立てするものの、グイド自らが鞭を振ってこの暴動を鎮圧。フェティッシュな萌えポイント多し!です。でも、その後空しくなっちゃうんですよね…あたりまえじゃ!。
グイドからお払い箱にされた踊り子さん、7月4日生まれと言ってたのが気になります。フェリーニの自伝的要素の強い作品で、作品自体が映画製作における矛盾や欺瞞、映画論に対するメタ視点になっているので、アメリカ(映画)さんかなぁ〜と。。
そうそう、タランティーノの「パルプフィクション」に登場するミラとビンセントのダンスシーン*1は「81/2」のオマージュだったんですね。見直して気づきました。

*1:http://www.tarantino.info/wiki/index.php/Pulp_Fiction_Movie_References_Guide