コンテイジョン(ネタバレ)/57番目のサル

スッピンのグウィネス・パルトロー(ベス・エムホフ)が泡吹いて痙攣を起こしぶっ倒れ、解剖の為に頭皮がべろんと二つ折りにされた瞬間、うん?私はソダーバーグ監督の実験的ホラー映画を観ることになるのかしらん?と不安になりましたが、大丈夫でした(笑)。多くの登場人物を混乱なく捌ききる手腕は手慣れたものなんでしょうが、やはり旨いです。松浦美奈さんの字幕の良さもあって、すんなり状況が理解できます。
公人と私人の狭間で揺れる倫理、常にスケープゴートを必要とする政治、避けて通れない調査とはいえ一市民のごくごくプライベートな秘密まで白日の下に曝してしまうジレンマ、少しでもワクチン開発を早める為に自らが実験台になる医師、アジアの貧村の為にそれまで培ってきたキャリアを捨てる女性、それぞれの立ち位置で揺れながらも決意し行動していく人達の小さなドラマは、しっかりと沁みます。でも、ちょっと優等生(笑)。特にマリオン・コティヤールのパートは、人間と未知のウイルスとの緩衝地帯であった森林がグウィネス姐さんが勤める国際的企業の開発によって失われる−ウイルス感染経路の発端とどーしてもリンクしてしまう所なので違和感が残りました。欧米は勿論の事、自国政府(中国)からも見殺しにされる貧村の純粋な子供達との接触によって“覚醒”した欧州出身の女性視点から、グローバリズムによって拡大される貧富や社会矛盾といった社会的視座もきちんとフォローしましたのでよろしく!って事なんですかね。

妻の死を医師から告げられても“妻に会えるか?”と聞き返すミッチ(マット・デイモン)の反応はリアル過ぎて、本当にお気の毒だった。感染の為に葬儀社から遺体の引き取りを拒否され、義母の“娘は過ちを犯したけどあなたを愛してた”との慰めの言葉の後に、妻の浮気シーン(直接的ではないですけどね)へと続ける意地の悪い編集とか(笑)。娘を感染から守るためにBFを突き飛ばすミッチパパ。掌中の玉を奪われてなるものか!って感じでしたよね。そんなパパがプロム用のドレスを買って、部屋を飾り付ける。そうやって子供時代を卒業する娘を祝福してるんですよ、ココ、泣けます。130日余りが過ぎ、娘の感染の心配も薄れた時期に、ようやくデジカメに残った妻の写真を泣きながら見てるミッチパパ。それまで泣く余裕もなかったんでしょうね。一市民が全体を掌握する情報を手に入れられる筈もなく、ただ目の前に起きていく事象、デマゴーグや暴動を眺めてもそれに振り回されず、じっと耐え続けたお父さんは偉いぞ!。彼には自分が発症しない事がかなり早い段階で分かったからでしょうけど。

面白かったのが、嘘っぱちの情報をウイルスのように振りまいていたジュード・ロウ(アラン・クラムウィディ)。本作のウイルスは、病原体と、恐怖心を苗床に増殖する情報の二種類があるんですね。レンギョウの偽情報で大儲けしようとした悪人ですけど、多くの人が彼の嘘に踊らされるのは、不安や恐怖を鎮めてくれる特効薬が欲しいからで、アランは大衆の欲望に「偽薬」で答えた。ツイッター上で広がったデマゴーグの悪質さを私たちは「3.11」のパニックで経験してるのでとても他人事とは思えませんでした。
妊娠中の知人女性がおなかの赤ちゃんの為にレンギョウを分けて欲しいと懇願した時、私、てっきり渡すと思ったんですけど。。既に発症してる彼女に、たとえ偽薬だと知っていても束の間の心の平安を与えてやりたいって男じゃないのでしょう、天才的な詐欺師は自身さえ欺きますが所詮は小者なんですよね。それがインターネットを通して爆発的に蔓延してしまう。未知のウイルスが世界経済のグローバル化によって、一瞬で蔓延するのと同様に。ウイルスにはワクチンという対抗策がありますが、ネット上で拡散するデマゴーグにどう対処すればいいのか、ココもう少し踏み込んで欲しかったところです。アランが感染拡大のために社会システムが機能しなくなり、ゴミの回収が出来なくなったサンフランシスコの街をお手製の防護服に身を包んで営業活動(チラシ配り)をしている画はうさん臭くてツボでした(笑)。後、そうですね、ワクチン開発の為に動物実験をしていた医師が、発症してない57番目を確認した時の恍惚たる表情も好きです!。厳かな劇判と宇宙服みたいな防護服のせいで『2001年』のモノリスとの対峙場面みたいで、ちょっと面白かったです。科学者の業というか、そんなのが匂う場面です。
暴動シーンのフレームを意識した画造り、監視カメラやデジカメの中で生き続けるグウィネス姐さんの在りし日の姿、無人の空港やショッピングモールは、手垢のついた表現でも都市機能のマヒを如実に伝えてくれますね。典型的中産階級の住宅にまで暴徒が侵入する、悪が存在しない事になってる郊外住宅地に忍び寄る悪の気配って、アメリカに住む人たちにはぞっとする所なんでしょう。悪が蔓延る都会と健全な郊外という幻想はココでも崩されます。