ウィンターズボーン(ネタバレ)/有刺鉄線を超えて、魔女に会いに行く

■夢の残骸

スコッチ・アイリッシュ系が多く住むミズーリ州オザーク高地(「ヒルビリー」についてはパンフレットで町山さんが触れてました。って見本を立ち読みしただけなんですけどね…爆)。行方知れずになった父の消息を求めてリーが訪ね歩く先々のお家の庭には、無造作に放置されている粗大ゴミの山がありました。廃車の経費が惜しいのでしょう、転売できそうな部品を抜いては放置される自動車、家電製品から家具、庭園用の装飾品までいろんなものが放り出されてる。豊かなアメリカの神話の影に深々と穿たれた貧困の病巣は、犯罪が猖獗を極める大都市のゲットーでも、メキシコとの国境でも、ディープサウスでもなく、開拓移民の狭いコミュニティーを現在にまで残して来たこの地にある。行き場のないゴミはアメリカの夢の残骸としてこの地に吹き寄せられてくるのでしょうか、冬枯れの寒々しい風景が一層侘しくなります。
農業には適さない痩せた土地にしがみつくようにして暮らしてきた人たちには、保安官さえ「異物」なんですよね。リーと伯父のティアドロップが乗る車を保安官が停止させたシークエンスなんか、もう、ドキドキしました。叔父には法を無視しても保安官を撃ち殺すだけの正当な理由(彼らの流儀に従えばですけど)がある。血縁が最優先で、法の名の下の正義は二の次。リーの父親が一族の秘密=合成麻薬製造に関して司法取引をしたことをこの保安官がうっかり話してしまったが為に、父親は保釈話を持ち掛けられ、自由の身にするからとの嘘の誘いに乗って拘置所から出た所を、一族の秘密をバラした罪によって粛清されたんだと思います。保釈保証金の不足分を支払ったのもこの一族の闇商売を束ねる人物、表向きはミズーリの主要産業である酪農関係の大物、メラブの夫じゃないのでしょうか?この土地に住む多くの人たちは、この夫婦のビジネス、表の顔と裏の顔、そのどちらかに関わるしかない。最貧困地域でまともな仕事がない、生きていくために選択の余地などない厳しい状況で、男たちは心のどこか深い所で腐ってしまってるし、その男たちに従う(そうしなければ、きっと殴られるんでしょう)女たちは諦観の中でやっと生きてる。女たちの気性の激しさはこの土地ならではでしょうけど、女だけの繋がりだけはなんとか残してある。男たちが見張ってますからね、ちょっとでもヤワな対応をすれば彼女達が真っ先に殴られる。『痛んだ物体』のorrさんも触れておられましたが、私もリーがメラブ達に殴られるシーンは、レイプから彼女を守るためにメラブがその役を買って出たんだと思ってます。その場にいた男のひとりが“レイプされないだけマシ”って言ってましたから。。
リーは一族の長に最も近い人物=メラブに逢う為に、有刺鉄線を超えて私有地から森に入っていきました。それを手助けしたのも彼女の血縁の女性。リーが通れるようにブーツで有刺鉄線をグイっと押し下げてくれてましたから。この一族の女たちはそういうネットワークを持ってる。粛清された父の犯した罪の代償をその遺族までが支払わなければならないのかの問いを、リーがメラブ達にぶつけた形になってるんですよね。最初は関わりを避けていた叔父も、彼女との接触で、残り少なくなった家族を掟の名の下に葬られた怒りを沸々と滾らせ、わざと派手に動いて(酒場での自動車破壊)注意をひきつける。リーの父殺しの真犯人が分かれば表沙汰に出来ない商売も危なくなる。それを察したメラブが男たちを説得して、保釈保証金の残金と先祖伝来の土地が、遺族の手に残るように仕組んだんだと思ってます。勿論、この事態に至ったのは、彼女が恐れずに、一族の長の所にまで押しかけて直談判しようとしたからなんですけど。。
セリフが少ない作品だったって印象があるんですが、その少ないセリフが二重の意味を持っている箇所が多いんじゃないでしょうか?共同体の外部の人間は総じて言葉数が多い、軍のリクルーターや保釈保証人のセリフ、分かり易いでしょう?お仕事とはいえ、父や母の代わりに彼女を導いてくれたリクルーターさんの言葉はとっても理路整然としている。でもこの共同体内では、言葉は表面上とは違う裏の顔を隠し持ってる。言葉が二重になって捻じれていくんです。それを正確に理解できるかどうかが共同体の構成員の資格にもなってる。共同体内で長年培われてきた言葉やしぐさ(一七歳の女の子がですよ、悪態をつくのに見事に唾、吐いてた)によってしか表現できないものがあるのでしょう、この辺りものすごくもどかしいです。

■両の手にしかできない事

女に生まれたら十代で妊娠、結婚するか、軍隊に入るか、風俗くらいしか選択肢がないアメリカの貧困地域。ドリー家の経済状況を心配して手を差し伸べてくれる人も、弟のソニーは引き取ってもいいけど、妹は…って口ごもってしまう。女にはもう最悪の土地。それでもリーは眼差しをまっすぐ向け、守るべき者たちの為に困難に立ち向かっていきます。父から教わったもの(森での狩り)、母から受け継いだもの(家事全般)を辛抱強く弟たちにも教えていく。牧草が高くて買えないから馬を手放さなければならなくなったシーン、本当に可哀そうだった。でも彼女、この場面では泣かないんですよね。私がこの歳なら絶対に泣いてる、というか今の歳でも泣く(笑)。叔父は土地が奪われる前に、樹齢百年を過ぎた木を切って当座の費用を確保しろ!とアドバイスしてましたけど、森を失えば、森に棲む動物も居場所を失う。父は森と共に生きる方法を彼女に残したんだもの。銃を扱うのも両の手が必要です。幼い弟たちを抱きしめ、家事をこなす優しい働き者の手ですけど、それも両方の手があってできる事。凍てつく川に沈められた父の死体は、森の木を切るチェーンソーによって切断されました。樹齢百年の木の代わりに、父の両手が切られ、それが残された家族を養っていく。開拓移民の厳しい生活は自然と共にあり、そこには宗教や倫理、血族の掟も超えた太古の「律」が存在する。父の命は紙袋に放り込まれた両の手となって、別の命に受け継がれていく。ウインターズボーン=冬の骨は、誇りを捨てずに魔女メラブに喰らいついて行った労苦に対する正当な代償、贈り物(gift)だと思いたいですね。冬の弱弱しい光の中、覚束ない手つきながら、ゆっくりと洗濯物を畳む母親の所作には、鼻の奥がツンとなりました。この女性はもうひどく壊れてしまっていて、それでも、母としての記憶を宿してる。束の間現れては薄れていく日の光のように儚くても、その暖かさは伝わります。彼女には、父の形見のバンジョーを弾き、母や兄弟を抱きしめる正当な資格が(その手は決して穢れていない)残されてる。叔父がバンジョーの相続を拒否したのも、この辺りに理由があるのかしらん?と妄想してます(笑)。

『痛んだ物体』のorrさんのレビューは必見です!こちらから、どうぞ↓
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