トゥー・ラバーズ(ネタバレ)/イザベラママは何でも知っている

■ブロンドとブルネット

ニューヨークのブライトンビーチ。偶然、知り合ったミシェルと、同じユダヤ系コミュニティー内の同業者(クリーニング業)で、ビジネスでの合併話が絡んでるサンドラ(ヴィネッサ・ショウ)。ブロンド(グウィネス・パルトロー)とブルネット(ヴィネッサ・ショウ)。対照的な二人の女の間で揺れ動く男心といった古風なプロットを丹念な演出で見せてくれる佳作です。
ユダヤ系が多く住むこの地のアパートの窓越しにレナード(ホアキン・フェニックス)はミシェル(グウィネス・パルトロー)を窃視する−見る主体(レナード)を中心としたアパートの窓枠によって切り取られた小宇宙は、彼を見つめ返す対象の視線を分断できさえすれば、安全圏に身を置いてのみ見える情景の、最高権力者になり得る。でも、直ぐにそれだけでは物足りなくなっちゃうんです。
中庭を挟んでアパート上階に住むミッチェルの姿を、レナードはいつも仰ぎ見る形になってます。見上げる眼差しには、対象に対する憧憬が宿る。見下ろす眼差しより、見上げる眼差しの方が熱を帯びるのは必至ですよね。結婚直前まで至った許嫁との破局の痛手から立ち直っていないレナードは、結構いい歳なのに実家に戻ってしまっていて、親の監視下に置かれてます。母親(イザベラ・ロッセリーニ)がドアの下から息子の部屋を覗くんですよ(笑)。素行の良くないティーン・エイジャーを監視するオッカサンみたいだけど、レナードに自殺衝動があるからなんですよね。冒頭、早々に、海に飛び込んでて、ずぶ濡れのまま帰宅したのを母親に見られてる。成人した男性には家族なんて鬱陶しいだけでしょうが、私もこの母親のような立場だったら、心配で、心配で…いけない事と分かっていても監視しちゃうでしょうね。息子の部屋を覗くことはさすがにしないと思うけど。。
アパートの窓越しに見上げる先には、勤め先(法律事務所)の経営者と愛人関係にあり(この部屋の家賃もボスが払ってる。つまり半ば、お金で飼われてるようなもの)情緒不安定で薬に依存してるミシェルがいて、うつ病を患って、同じく治療のために薬を服用してるレナードはそこにも共振しちゃうんです。どちらもかごの鳥状態でそこからは飛び立てない。でも、二人一緒ならそれが出来るんじゃないか、そうだ、一緒に飛び立とう、陰鬱なニューヨークから自由の地サンフランシスコへ!ってレナード君、どんどん前のめりになっちゃう(笑)。
アパートの窓を舞台装置に、観る主体が写真家と言ったら、既にいろんな所で指摘されてるでしょうが、ヒッチコックの『裏窓』を真っ先に連想します。レナード、ミシェルに気付いてもらう為にカメラのストロボ、利用してましたし。。完璧な条件を備えたグレース・ケリーとの結婚に踏み切れず、アパートの窓枠をスクリーンにして、愛の様々な局面(自由で気ままな独身生活と孤独。愛に満ちた新婚時代から冷え切った夫婦関係まで)を見つめ、そこに自身の将来を重ねて見ていたカメラマンのスチュワートには、グレースケリーは黒い影として忍び寄ってましたが(笑)、本作も同時進行で進んでいくサンドラとの縁談には何の障害もない。結婚相手として申し分のない女性。この障害の無さがミシェルにのめり込ませる要因にもなってるのかなぁ。メロドラマ的対立、愛する二人を引き裂く障害が、愛を燃え上がらせる燃料になる。ホアキン君、窓を見上げながら夜毎、燃料、放り込んでる。で、そのせいで肝心な所、見えてない(笑)。ミシェルには感情移入しづらいです、特に女性は。彼女、不倫関係にあった男との子供、流産してしまったんですよね。愛にはいろんな形があるから、倫理で裁こうとは思わないけど、なんでこんなへま(妊娠)するんだろう?って、まず、ココで引っかかってしまう。アメリカなら簡単にピルが手にはいるでしょ、他の薬は飲んでるのにね。自分を大切にしない人が他者を大切にできるわけがない。実父はどうやらアルコール依存症みたいなので、共依存体質になっちゃってしまったんでしょうか。。ふたりが窓越しに互いの愛を確認するシーンも“イタイ”です。流産したばかりの女性が片方の乳房を曝す、叶えられなかった母性の残滓が垣間見えて、痛ましい。。
二つの贈り物がとても効果的でした。サンドラがレナードに贈った手袋は思いやりに満ちたもの。この贈り物がレナードを引き留めたんですよね。彼のお家は時間が止まってしまったような感覚になる空間なんですけど、彼の新しい家族もご先祖様の写真と一緒に、このささやかな家族の歴史に刻まれていくのでしょう。指輪のサイズが一緒でよかったね。。