屋根の上のバイオリン弾き(ネタバレ)/重い荷を牽いて泥濘をゆく

■Now they must learn from one another Day by day

有名なミュージカル作品の映画化ですが、全く前知識なしでBSで観ました。インターミッションを挟んで、3時間越えの作品だという事さえ知らなかった。
帝政ロシア領内のシュテットルに暮らすユダヤ教徒の小さな村が舞台で、序盤からダビデの星、メノラー、トーラーらしき聖典の数々等、ユダヤの記号がポンポン飛び込んできます。アシュケナジー系ユダヤであることがこれほどまで強調されてるのには、ちゃんと理由があるんですよね。
題名からバイオリン弾きが主人公だと思い込んでましたけど、5人もの娘を授かった牛乳屋さんのテヴィエが主人公なんですねえ。荷台にミルクやチーズを積んで売り歩く行商もやってます。馬が脚を痛めてしまえば、テヴィエ自身が荷台を牽かなくちゃならないから、この辺りで、トラウマアニメの『フランダースの犬』をどーしても連想してしまって…あっちは牛乳の運送業だけど。。テヴィエは素朴な信仰とユダヤ式伝統の中で生まれ育だった世代で、伝統に守られた閉じた世界を疑問にも思わなかったのでしょうが、適齢期に差し掛かった娘たちはそうはいかくなってくる。彼が依拠していた「Tradition(伝統)」はロシアや東欧で猖獗を極めたユダヤ人迫害の歴史−ポグロムと、愛娘達が恋をし、より広い世界に飛び出していく事で根底から揺らいでいきます。下の娘になればなるほど、父として素直に結婚を祝福してやれない要因が雪だるま式に膨らんでいくんです。
共産革命を夢見る学生闘士パーチックを追って次女がシベリア行きを決断。それを見送るシーンがいいですね。見渡す限りなーんにもない広大な大地に、ぽつんと建ってる駅舎(と言っても唯の小屋なんですけど)備付けの赤い旗が乗車する客がいる印になっていて、バスの降車ボタンみたいでした。ただただ広い荒野の寂寥感が、娘を手放さなければならないテヴィエの心情と重なって…あぁ、お父さんが可哀そう。娘の気持ちも分かるから、この別れはつらかった。でも、こんなの序の口でした(笑)。三女に至っては、異教徒のロシア系青年と結婚する!と宣言し、お父さん、こればかりはどうしても許してやるわけにはいかない。読書家で開明的な三女は、同じく本好きなロシア系青年と魂の深い所で共振していて、断固、我を通します。父テヴィエにしたら、ユダヤの伝統や信仰を否定されたも同然に…。
一家が暮らす小さな村に強制退去の命令が下り、慌ただしく荷造りする中、三女が夫と共にやって来る。ロシア側のユダヤ人に対する理不尽なやり口に憤慨し、自分達も祖国を捨てる覚悟をしている。これが今生の別れになるかもしれないのに、お父さん、まだ意地張ってて、中々言葉もかけてやらない。やっとのことで口にしたのが“神のご加護を”の一言。両者の間で心労を重ねていた長女が、この言葉を聞いて、一瞬、輝くような表情を見せ、その言葉を旅立つ三女に餞として贈る。父が根負けした瞬間ですね(笑)。この三女が目指す地が、ポーランドなんです。ポグロムからナチスのユダヤ人迫害までの負の歴史に呼応するような三女の未来を思うと、涙が止まらなくなる。民族や宗教の壁を超えて、それぞれを架橋する結節点となるべき人達なのに。。
厳しい寒さの中、泥濘にめり込む荷台の車輪に悪戦苦闘しながらも、テヴィエ達は親族を頼りに、新天地アメリカを目指す。祖国や故郷を追われた人達の苦難の旅路をドキュメンタリー映像や映画の中で観た回数は数えられないくらいありますが、見るたびに心がきしむばかりで、多分、一生、慣れるなんてことにはならないのでしょう。
原題の『Fiddler on the Roof 』は、ローマ皇帝ネロによるユダヤ人の大虐殺時、逃げまどう群衆の中で、ひとり屋根の上でバイオリンを弾く男がいたという故事からだそう。同じく東欧系ユダヤ人マルク・シャガールもバイオリン弾きのモチーフを好んで描きましたね。ラスト、テヴィエの前に再び、バイオリン弾きが姿を現します。これはテヴィエにしか見えていない、彼の心象だと思いたいです。屋根の上で、いつ転落するかも知れない不安定な状況下でも、どこまでも軽やかにおどけて見せるバイオリン弾きの折れない心は、テヴィエの精神の入り江で培われたもうひとりの彼の姿。過酷な運命に翻弄されながら希望の灯をともし続けた人達には、バイオリン弾きが見えるのかも…?と妄想してます。