善意の向こう側(ネタバレ)/ミドルエイジの危険因子

2010年の未公開作品。原題は『Please Give』、スターチャンネルで観ました。
これは拾いモノでしたね。ニューヨークのチェルシー地区(?)に住む、ヴィンテージのデザイナー家具を売買している家族を縦糸に、隣人の老婆とその孫達との関わりを横糸にして、都市生活者ならではの孤独やふれあいを、ちょっと意地悪な視点を織り交ぜながら掬い上げている佳作です。
妻のケイト(キャサリン・キーナー)は、死亡した独居老人が残した遺品の中から、高値で転売できそうな家具類だけをを遺族から安値で引き取り、おいしく儲けていることに対しての罪の意識があるんですよね。その罪悪感を消そうと、恵まれない人たちの力になろうとします。が、その善意は、時に彼女の無意識の差別意識−アフリカ系アメリカ人を見た目だけでホームレスだと思い込む−を炙りだし、老人ホームのボランティアに応募したものの、介護のプロから“なんで、その歳になってボランティアしようと思ったの?”と、仕事に対する中途半端な覚悟を見抜かれて鋭い突っ込みに会う(笑)。知的障碍児童の体育教室ではついに泣き出してしまい、子供たちに慰められる始末。彼女の善意は、罪悪感の代理充足なんでしょうけど、更年期に差し掛かった女性特有の不安感のようにも思えます。何せ、OPでマンモグラフィーの映像が延々と続く(笑)。年齢的に他人事とは思えず、じっと見入ってしまいました。貧乳でも大丈夫ですかねえ、マンモグラフィー。検査技師の方に“それでは映りません”と言われたら立ち直れなくなりそう…。ここまで情緒不安定にはならないけど、皿洗いしながらふいに死にたくなるくらいの悲しみに襲われるのは、理解できます。ホルモンバランスが崩れる、第二の思春期を迎えた母親と、ニキビ真っ盛りの思春期の娘アビーとのやり取りは面白かった。200$もするジーンズを買うか買わないかの攻防戦で、娘にフィッテングルームに籠城されたらねえ。。“ママのお洋服だって200$はするでしょう?”と突っ込まれたら、一瞬、うっ!と詰まってしまいそう。娘は母親の最も冷酷な観察者でもありますからね。女装趣味のホームレスに施したお金がシャネルの口紅に化ける事、ちゃんと見抜いてる娘だもの、敵ながらあっぱれ(笑)。
ケイト夫婦には、隣人の91歳になる老女が亡くなれば、その部屋を買い取ってリフォームする計画があり、嫌な言い方ですが、お隣のおばあさんが死ぬのを、今か、今かと心待ちにする日々(笑)。いくら綺麗ごとを並べてもこれが現実なんですよね。でもその下心のお陰で、二つの家族に交流が生まれる。ついでに夫アレックス(オリバー・プラット)と姉メアリー(アマンダ・ピート)との間にも特別な交流が生まれまてしまいますけど。。老女の誕生パーティーでメアリーと意気投合したアレックスは、いそいそと彼女の勤めるエステサロンに通う。アイパッチされたままの指のマッサージでムラムラとなって事に及ぶ夫(笑)。なんて分かり易い男なんだ!それなら奥さんに目隠しして貰えばいいのに…。コッチも時ならぬ第二の思春期です。でも、見栄っ張りで肉食系のメアリーは、その美貌と裏腹にエステの技術はイマイチ。彼女の施術でアビーのニキビは一層ひどくなるし、不惑の男の心の隙間にできたニキビ治療も上手くはゆきません。燃え上がったのも一瞬だけで、このふたりは長続きしなかった。メアリーは失恋の痛手からなかなか立ち直れなくて、元カレの新しい恋人の周りをストーカー並みにうろつく(笑)。彼女には有って私にはないものが何かを確かめたいって言ってましたけど、恋愛の勝ち負けはスペックで決まると思ってるんでしょうね。。そんなプライドの高い女がライバルから“ルーザー(負け犬)”と一蹴されて、初めて弱みを見せる、妹の肩に寄りかかるシーンは良いですね。包容力のある妹のレベッカ(レベッカ・ホール)は、傷ついた姉と、隣人のケイトまで癒してやってる、とっても良い子なんですけど、自身は傷つくのを恐れて人一倍、臆病な所があります。レンジの電磁波まで怖がってましたし。職業病でもあるのでしょうが。。そんな彼女も恋をして、これからは少しづつ変わっていくのでしょう。
古い家具には、その持ち主の魂が宿る−その想いを大切に次の所有者に受け渡すのが私の仕事なんだわ!と思うことで、ケイトは自分を支えようとします。ガラクタと思っていた品に法外の価値があることが分かって、彼女、それを遺族の元にまで返しに行くんですが、“あなたは正直でいい人だ”と言いながら、ケイトが去った後で、すかさず割ってしまう遺族の気持ちも分からなくはない。どれだけ価値があっても、親との思い出を背負いたくない家族だっているでしょう?ケイトの仕事はそういう家族が長年引きずってきた様々な思いを断ち切る役目もあったんですよね。折角のプレゼントをゴミ箱に捨ててしまう老婆もいれば、それを拾って“貰ったもの”と居直る管理人の妻もいる。天からの授かりものだと思えばgiftには違いありませんよね。代償を求めない善意、見返りも期待せずに尽くすだけの思いやりは、最も近しい家族間でさえ、時には難しいもの。良かれと思ってしたことが相手には伝わらないどころか、傷つけてしまう羽目になったり、全く期待もしないし、されてもいなかったことが思わぬところで感謝されたりもする。本音でぶつかり合うことが必要な時もあれば、唯の気休めだと分かっていても慰めが必要な時もある。それが人生でしょうかねえ。。とりあえずは目隠しは試す価値ありかも?と学習した次第(うん?何の学習だ…笑)