私が、生きる肌(ネタバレ)/盆栽と藁のマネキン

■ご主人様は、人形にご執心
ロベル・レガル(アントニオ・バンデラス)が趣味にしていた盆栽の手入れ。針金で枝を撓め、樹木が自由に成長しようとする本来の姿を矯正し、剪定したりするもの。マクロの自然をミニマルな空間に再現する、大変美しいものですが、あくまで鑑賞用ですよね。自動車事故で大やけどを負ったロベルの妻ガルは、窓ガラスに映ったケロイドで覆われた醜い己が姿に絶望し、自殺してしまう。残された一人娘ノルマ(ブランカ・スアレス)は母の自殺を目撃したショックから精神を病み、偶然出会ったビセンテ(ジャン・コルネット)にレイプされそうになり…。好意を寄せているレズビアンのクリスティーナに冷たくあしらわれた鬱屈と、治療薬を服用していたノルマの様子を、パーティーで羽目を外したい若い女の子の「合意のサイン」だと勘違いしたことから始まったビセンテの暴走でしたけど、あれは未遂です(笑)。この事件の後、ロベルは妻を失った喪失感と娘の復讐を果たす為、ビセンテを拉致、監禁し、性転換手術と、整形、人工皮膚移植を施し、彼を亡き妻そっくりのベラ・クルス(エレナ・アナヤ)に作り替える。
面白いなぁと思ったのは、ビセンテの男性性を奪う−文字通り去勢し、彼のアイデンティティをはく奪するだけではなく、彼の身体に人工膣を成形し、この悪魔的な改造を施した男を愛せ!としたことなんです。娘に対する復讐だけなら、性転換手術後、美しい女に生まれ変わったベラを高級娼婦にでも仕立てあげ、あらゆる変態プレイのサクリファイスにするとか、自身で凌辱し、娘が味わった恐怖を何度も再現する(ひどい話ですが)…なら分かるんですが、彼が求めたのは現代医学が齎した妻そっくりの最高級ラブドールを作り、その人形から“愛される”事なんですよね。で、気になるのがあの「空洞」部分なんです。術後、癒着してしまう膣を押し広げるために大から小まで、いろんなサイズが整然と並べられた景観は、可笑しくってお腹がよじれそうでしたけど、“君の人生はその膣に懸かってる”宣言にあるように、ロベルはベラの受け入れ態勢が整うまで辛抱強く待ってる。決して強姦しないんです。紳士的と言ってもいいくらい…。序盤、隣部屋に幽閉してあるべラを、モニター越しに観察するロベルの姿と比べて大きすぎる、両者間の距離が滅茶苦茶に狂った映像が如実に物語る、彼の心に巣食う憎しみの感情が捻じれを起こし、裏返しの倒錯した愛情へと変質してしまったんだと思います。その発端は、拉致したビセンテにホースで水を浴びせかける、透けるTシャツ越しの肌だったんじゃないかと妄想したくなる(笑)、ちょっとエロティックな場面でしたから。。
子供時代から手の付けられない悪たれだったロベルの異父弟セカ(ロベルト・アラモ)は、宝石店強盗で警察に追われる身。カーニバルの「仮装」に紛れ、トラのコスチュームを着て、母マリリア(マリサ・パレデス)の前に現れます。「トラ」はアルモドバルが好んで使うモチーフのひとつで、初期の作品『バチ当たり修道院の最期』にも登場する、男性性のシンボルであり、自由気ままな野生そのものの具象だと思います。針金で矯正できない自然の大樹のような存在。法の締め付けも宗教上の戒律も及ばない野生児のトラさん(セカ)は、モニターに映るべラをかつて愛人関係にあったガルと勘違いして欲望のままに犯す。彼の外見(外側)は内実(内面)と乖離しない、完全に一致しているんですよね。身体を包むコスチューム(表皮)通り、野生と凶暴性だけの男。彼の内実は、きっと空っぽなんでしょう。
ロベルが何故、空洞に拘るのか。多分、彼の幻想世界を強固に支えているのは、妻そっくりの外観だけではなく「空洞」にあるからじゃないかと…。ロベルの妻は夫を裏切りトラ(セカ)の下へと逃げようとしていました。事故に遭う前からロベルは妻を一度、喪失していたんです。見るも無残な姿となって彼の下に戻ったガルは、自殺によって再度、永久に彼の手の届かないと所へと旅だってしまう、裏切りによる残酷な刻印を夫の心の深部に遺したままで。。ロベルにとって、この二度の喪失が“表皮(外部)“の魔力に引き寄せてしまったんですよね、多分。表皮(外部)に仮託したアイデンティティが、矯正装置となり、徐々に内実(自我)を浸蝕し乗っ取るマジックに魅入られてしまってます。べラに施された人工的な裂け目は、この魔法が有効に浸透するための入り口(すべすべした表皮と内部を繋ぐ裂け目)であり、ガルと関係のあったもう一人の男セコを形状では受け入れられても、本質的な部分で拒絶する(レイプ後のベラの肉体に残る痛みがその証拠)裏返った、暖かで柔らかい身体の深部。この空洞は妻をも超越した理想像として、ロベルを蠱惑します。妻に裏切られた男の屈折した欲望を投影できる唯一無二の空洞です。監禁し、偽りのアイデンティティを押し付け、他者の尊厳を奪う支配者の側であったロベルは、セカの登場以降、べラ自身の自由意思で彼を受け入れてくれる幻想を抱くようになり、彼女の自発的な欲望に依拠する限り、ロベルは支配者から彼女の受諾を今か今かと心待ちにする下僕へと立ち位置を変えてしまう他ない。”ローションを買って来たの”−べラからの「合意のサイン」にどれだけ胸震わせた事か(笑)。潤滑液となるローションは、ノルマが服用していた治療薬と同じでしょう。どちらも合意のサインと受け取れますけど、ノルマの場合は不幸な偶然だったのに対し、ベラの場合は貴重なチャンスを逃がさないための口実でした。

■誰にも踏み込ませない場所
ロベルによって拉致され、手足を鎖で繋がれてしまったビセンテの足元には、水色のプラスチック容器に入った水が置かれていました。牢獄で飢えと渇きに苛まれた囚人は、徐々に抵抗しようとする意志を打ち砕だかれて行きます。十分な水も与えられていない劣悪な環境で、渇きの為にプラスチック容器ごと頭から被っていたシーンが印象的だったんですけど、術後用意されていた部屋の壁に、ベラは頭に家を被った人体を描いてました。この二つの場面、よく似てるんですよね。最初に被ったプラスチック容器は、命を繋ぎとめるモノ。水がなければ死んでしまいますから。次に被った家は、ヨガの瞑想によって手に入れたいと望んでいた場所でしょう。他の人間が決して触れることも踏み込むことも出来ない場所、自身の内部に生まれる彼だけが心から安息出来るインナースペースを必要としていました。頭に乗っかってるお家は、彼のモノではない「顔」をすっぽり包み込んでくれますし。。クローゼットにあったドレス類もガルの残したものなんでしょう、ベラはドレスをズタズタに引き裂き、ガルのもう一つの外皮を破いていきます。人工の皮膚も、ガル好みのドレスも、ビセンテの自生的自我を封じ込める檻なんですよね。精神を病んだノルマが、着ている服を次々引き裂いてしまうと病院関係者が話してましたが、この相似点はとっても気になります。
ビセンテは、母の経営するブティックで働いていた時、マネキン替わりに、藁で作った人形を使っていました。ドレスを最も引き立てるためには、中身のないスカスカの案山子で十分ですが、ガルという美しい人工のドレス(外皮)を強制的に纏わされてしまった彼の運命を暗示していたのでしょうか。。レズビアンでマニッシュなファッションを好むクリスティーナに、豪華な花柄のドレスを薦めていたり(どう見ても彼女の好みからは外れてる)ちょっと不思議。。このドレスが、終盤容姿のすっかり変わってしまったビセントの存在証明になります(ドレスを引き裂いてしまうべラに手を焼いたロベルが買い与えたものなんでしょうか?)同時に、新聞に載ったビセンテの過去の写真と同じ効果を幽閉中のベラに与えてくれたんでしょうね。
■母性を呼び覚ます音
本作には三人の母親が登場します。ロベルの母マリリアがもう一人の息子、トラのコスプレ男をセコと確認した方法は腰の痣でした。ノルマの母ガルは、事故後、娘の歌声に引き寄せられて、窓ガラスに近づいてしまいます。ビセンテの母は、監禁された息子の悲鳴と重なるように、行方不明になったわが子の生存を確信しています。全身を作り替えられた上に、ホルモン療法(オレンジジュースに混ぜられていた薬がそうなのかしら?)のせいか、声まで変わってしまった息子をはたして識別できるのかどうか、その答えは明示されてませんが、母親ならきっと分かったと思ってます。血よりも濃い関係性、その鬱陶しさと同時に分かつ事のできない激情を描いてきた方ですから、ココは素直に、どれほど外見が変わっても、息子を娘として受け入れることになろうとも、母親ならしっかり受け止めていくだろうと思ってます。レズビアンのクリスティーナもやはりそうでしょうね。トランスジェンダーに関して、この人は理解が深い筈。
インモラルな題材を扱ってはいますが、倒錯的欲望の虜となったロベルから、後半、その犠牲者べラの内面へと視点が移り、他者に踏みにじられたアイデンティティ奪還の正当な戦いへとドラマが収束していく、アルモドバルにしては以外にマトモな作品でした。シノプシス読んだ時点での印象はもっと滅茶苦茶になるんじゃないかと思っていたので。。悲劇と喜劇が綯い交ぜになったドラマの中で、善悪の彼岸を超越したり、愛と憎しみの境界があいまいになったり、アルモドバルらしさは健在でしたけど。初期の作品群のようなキッチュでアヴァンギャルドな作風より、はるかに成熟した語り口の今の作風の方が、私にはしっくり来ます。