イリュージョニスト(ネタバレ)/やはり野に置け、うさぎちゃん

■ショーウィンドウの中の幻術
フランスの喜劇王ジャック・タチが娘さんに残した遺稿を基に、シルヴァン・ショメ監督がアニメ化した作品。浮草暮らしの老手品師と、ゲール語しか話せない貧しい娘との出会いと別れまでを描いた佳作です。
まず目を引いたのが、繊細な描線と淡い色彩の妙です。フリーハンドで書かれた描線(街の看板やネオンサインも手書き独特の有機的な線で構成されてる)が、色彩のグラデーションを優しく包み込む。後半、作品の舞台となるエジンバラの風景も、堅牢な石造りの街並みを再現しながら圧迫感のない風通しの良い画になってます。切り立った崖、寒村の海岸線、平原を直線的に切り裂く列車の動き、時雨れていたかと思えばあっという間に霧が晴れる、スコットランド特有の気まぐれなお天気、風に舞う羽毛の雪…端正で美しいフレーミングに個性的な顔立ちばかりの登場人物が違和感なく溶け込んでます。長身のタチシェフが大きな手を器用に操り魅せる手品とは違って、その大きすぎる身体を持て余し気味に動かすスラップスティックなシーンは、パントマイムの芸人だったジャック・タチの身体的喜劇を連想してしまいますね。アリスに見つからないように映画館の中に逃げ込んだタチシェフの前に、『ぼくの叔父さん』のユロ氏がスクリーンに登場する、アニメと実写が混淆するシュールな場面があったりで、ジャック・タチを敬愛してやまないシルヴァン・ショメ監督らしい演出も。とはいえ、殆どタチ作品は観ていないので、あまり偉そうなことは言えないです。。詳しい方ならもっと楽しめる箇所がありそう…。
小島のパブで働いていたアリスは、タチシェフからの贈り物を本当の魔法だと勘違いしてしまうんですが、この時のプレゼントが赤い靴。アリスが『オズの魔法使』の赤い靴を履いて旅をした後に“やっぱりお家が一番”…とはならない、少女が新世界で大人へと成長していくお話でもあるんですよね。手品を魔法だと信じてしまうくらい素朴で純真な娘が、大都会エジンバラの魔法=ショーウィンドウの中の「豊かさ」に惹きつけられていきます。商品が欲しいのなら、等価交換(お金)が必要となる−消費社会のルールがこの子には通用しないんですよ、何せ“魔法”だと思ってるんですもの。あれだけときめいた赤い靴は、エジンバラに到着してすぐに白いハイヒールにとってかわられ、彼女の豊かさへの欲望は、コート、ドレス、装飾品と止まることを知らない。こう書くと、どれだけ強欲な娘かと思われるかも知れませんが(笑)、田舎からやって来たらしい女の子もアリスと同じようにショーウィンドウに魅入られていましたから、この魔力はあらゆる商品価値が広告(コード)によって再生され、さらなる欲望を生み出していく都会(消費社会)にこそあるのでしょう。タチシェフがショーウィンドウの中で行ってた広告パフォーマンスも、この娘には本当の魔法に見えてるんですよね。モノそのものの価値を超えて、イメージや記号によって操作される「豊かさ」を消費する社会。ショーウィンドウ=見世物的空間の前で、アリスは恋した青年の手によって纏め髪をほどかれ、キスを交わし、少女時代を卒業します。彼らの背後には、旧約のアダムとイブを連想させる裸のマネキンがありました。消費社会の新たな神話はマネキンでも成立するんじゃなかろうか…なんて方向に考えが飛んでしまいそうな視座も感じられる作品です。
「ブランド(brand)」という言葉は、英語で焼き印を押すという意味の「burned」から派生したもの。近代的な商業活動と切っても切り離せない「ブランド」の起源は中世ヨーロッパのギルド社会にあり、スコッチウイスキーの蒸溜業者が16世紀初頭、樽の蓋に焼き印を押し、中間流通段階でのすり替えを防ごうとしたのが始まりだと本で読んだ記憶がありますが、本作、有名ブランドを捩ったロゴがたくさん登場してました。アリスが育った孤島もおそらくスコッチの蒸溜業者が住んでいた島ではないでしょうか。。タチシェフがアルバイトした広告看板も、某有名ブランドのロゴを捩ったもの。ショーウィンドウのパフォーマンスでは、女性用下着、香水などと一緒に、ストッキングが登場。アリスは次から次へといろんな商品を欲しがる、それも純粋に(笑)だったんですが、ストッキングは履かずに、素足のまま、直接ヒールを履いてたんです。ココ、ちょっと引っ掛かります…。

エンドクレジットで映し出される一枚の写真(船窓の前で撮られた幼い少女)。どうやらタチシェフの娘の写真らしく、ココで事情があって離れ離れになってしまった娘への想いをアリスに投影していたことが分かります。アリスという娘を得て、二人の生活を支えようとなりふり構わず働きますが、時すでに遅し。時代に取り残されて忘れ去られていくものたちの悲しさや、見世物興行を生業とする者たちの宿命、一つの定まった土地に根付くことなく漂流するものの哀れが、控えめな表現ながら心を揺さ振ります。この歳になってもこういったお話にめちゃ弱い。。彼は、長年の相棒だったウサギを狭いケージからエニシダの繁る丘に放し(←このウサちゃん、ソーセージも食べちゃう肉食だったんですよ。大丈夫かなぁ)「仲間」の元へ戻してやり、恋をし大人になったアリスを自由にしてやるために“魔法使いはいない”と書いた手紙を残し、彼女の前から姿を消します。彼女の夢を壊さないために欲しがるものをホイホイと与えていた、優しいだけで、親としての責任からは都合よく逃れられているお気楽な立場の「叔父さん」にしかなれない自分を悟ったんでしょうね。。同時に、アリスが信じた魔法の為に、娘と共に暮らしたいと願っていた彼も一緒に魔法に掛ってたんだと思います。とても儚くて、美しい魔法ですけど…。
アリスが電気を消して去った安宿で、開いた窓から吹き込む一陣の風がカーテンを揺らし、街灯の光を集めて「幻」を上演したのも束の間、やがて人通りも絶え、次々に明かりが消えゆき、夜の帳が降りた街は静寂に包まれれていく…キルトをはいた酔っぱらいのおじさんの嬌声が邪魔しますけど。。日が昇れば、街の喧騒と共に戻ってくる、消費社会の魔法が上演される華やかな大都会の顔を再び取り戻すために、街は夜毎、眠りにつくのでしょう。寝不足でお化粧ノリが悪くては「豊かさ」の厚化粧の下に隠されている素顔がばれてしまうでしょうし…(笑)。