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チャイナタウン(ネタバレ)/クラクションは二度、鳴り響く

■トムコリンズをライムで
1974年製作のFN(フィルム・ノワール)の傑作を、久々にスターチャンネルで再見しました。広く知れ渡ってる古典的名作についてあれこれ書くのは五十年早い!とは思いますが(笑)、トリビア込みで簡単に触れておきます、FN、好きなんです。。
最も優れたアメリカ映画の脚本は?という問いに、必ずと言っていいくらい名前が挙がる本作(2006年の全米脚本家組合が選んだ歴代の映画脚本ベスト101では第3位*1その完成度は折り紙つきです。
これもよく知られたエピソードですけど、決定稿(第三稿)と第一稿とでは、エンディングがまるで違います。第一稿では、オープニングとラストでジェイク・ギテス(ジャック・ニコルソン)のボイスオーバー(ナレーション)が用意されていたとの事(主人公のボイスオーバーが入るのはFNの特徴の一つですが)。イブリン(フェイ・ダナウェイ)が父親ノア・クロス(ジョン・ヒューストン)を射殺し、逮捕され4年の刑に処される。ギネスはイブリンの娘を無事、メキシコに逃がす。ダム建設を巡る陰謀は白日の下に曝され、悪は滅び、正義と秩序は回復し…と、ハッピーエンドなんですよね。で、これに咬み付いたのが、ロバート・エヴァンス(プロデューサー)が監督として白羽の矢を立てたロマン・ポランスキー。新たに参加したポランスキーはノア・クロスがラストでまんまと逃げおおせる方が良いと主張。エンディングを巡って脚本家ロバート・タウンとかなりギクシャクしたようです。第二稿は決定稿に近い形になりましたが、それでも決定稿より甘口です。何せ、イブリンの死体(逃走しようとした所を警察によって射殺されてしまう)を見たノア・クロスが涙を流す場面があるくらい。シド・フィールド著『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと(フィルム・アート社)』の中で触れてますので、興味のある方は図書館ででも探してみてください。
撮影監督を務めたジョン・アロンゾがインタビューの中で、フェイ・ダナウェイをディフェージョン(フィルターやネットをレンズの前に掛け、軟調な画面にすること)一切なしで撮ることを監督から要求されたと話していたんですが、今回、今まで観た中で一番画質が良かったお陰で、その効果が少しだけわかったように気になりました。フェイ・ダナウェイの髪の色がライティングによって刻々と変わっていくんですね。メッシュを入れたブロンドみたいな色から赤みが強くなったり、砂色に見えたりで、さまざまに変化します。掴み所のないミステリアスな女の相貌を、端的に表しているのが光の具合でまるで違って見える髪の色なんだと思うんですよ。決して明かしてはならない秘密を抱えてるが故にコロコロと態度を変える他ない、ジェイク・ギテスから見れば自分を嵌めようとしている危険な女であり、同時に抗しがたい魅力を秘めたファムファタールなんですよね。何不自由ないお金持ちマダムが人を見下す時のヒンヤリとした目線、煙草の火をつける際に見せるわずかな動揺、老人ホームでとっさに夫婦を演じてみせる勘の良さを見せたかと思うと、危機に陥ったジェイクを救う度胸もある。亡き夫への変わらぬ信頼を告白するシーン、女と母としての顔が一瞬で入れ替わる切ない場面、十数年が経過しても尚、実父に怯えなければならない痛ましさ。最初に本作を観た20代の頃は、昆虫の触角みたいな超極細眉(蛾眉という言葉を思い出しました)と冷淡で硬質な美しさのイブリンがきっと夫殺しの犯人に違いない!と終盤まで全く気づけませんでしたが、この歳になると彼女の心情に寄り添うことができるようになるものなんですねぇ。。

■As little as possible
情事の後、掛って来た一本の電話を受け慌てて飛び出していったイブリンの後をつけるために、ジェイクは黄色いロールスロイスのテールランプカバーを壊してました。こうしておけば、車の群れの中でも片方だけ「赤い」光を放つ車が見分けられるからなんですが、海水を引き込んだ人工池に沈んでいた片方のレンズが割れたメガネと一緒ですよね。車のテールランプって両目みたいに見えますから。。これは、終盤、チャイナタウンで刑事によって左目を撃ち抜かれて「赤い」傷痕を晒し死んでいったイブリンの最期にも重ねてあるんだと思います。
かつて、地方検事局の下で警官として働いていたジェイクは、赴任先のチャイナタウンで心的外傷を負った男。守りたい女を守ってやれずに失ってしまった−イブリンとの会話で、この女性もどうやら死んだらしいとは想像つきますが、そのイブリンも同じ運命を辿るんですよね。法の正義も届かぬ深々とした闇を内包した大都会の片隅で、事件を追う探索者が自らの根源に巣食う闇との対峙を余儀なくされるのも、FNの特徴のひとつ。過去、清算されずにいた心の痛みが、更にこの悪しき場所へとジェイクを追いつめていきます。イブリンの瞳、虹彩の中にある「傷」が余人に替え難い彼女の魅力となっていたのと同じく、過去に事件によって心に傷を負った彼をチャイナタウンが再び捕えます。今度こそは女を救ってみせる−そうすることによって過去と決別したいジェイクの欲望が、彼をトラウマ的場所に引き寄せてしまうのでしょう。。
私立探偵で生計を立てていたジェイクは、浮気調査等、人目に触れられたくない他人の恥部に首を突っ込んでは、あちこち嗅ぎまわる薄汚い犬(←彼から追われる立場の人間ならそう思うでしょうね)ノア・クロスに雇われたチンピラに襲われた時も、果樹園を見張っていた地元農民から殴られたのも鼻でしたし、素直に考えたら、犬の鼻を傷つける−あちこち嗅ぎまわるな!という警告なんでしょうけど、象徴的ファルスが去勢されそうになってるとちょっと妄想したくなる箇所ですね(笑)。
イブリンとその娘キャサリン(ベリンダ・パーマー)を乗せた「片目」のロールスロイスは、銃声→鳴り響くクラスションの音→キャサリンの悲鳴と、音を幾重にも重ねる手法のみで、観客の視線を代理するカメラが近づくことが出来ないロングショットで撮られています。それまでは最も親密な空間(情事のあとのベッド)にまで入り込んでいたのに…。冒頭、浮気現場の証拠となる隠し撮りされた写真が示すカメラの位置から、ラストシークエンスは、ここまで距離が隔てられているんですよね。これは物語の中で神視点を与えられていても、観客は無力な傍観者でしかなれないのと同時に、決定的瞬間においてやはり傍観者にしかなれなかったジェイクの絶望と重なるんだと思います。法の埒外にある「チャイナタウン」、そこでは何が起きても見て見ぬふりをするしかない。温和な表情と気さくな人柄を演じ分けるペルソナの下に、用心深く隠しても滲み出てしまう不気味な闇を湛えたノア・クロスは、水が生む膨大な利権と自身の血を受け継ぐ孫娘まで手に入れます。この娘も母親と同じ運命をたどるのかと思うと、キャサリンの泣き叫ぶ声はとっても哀しかった。。何とも言えない後味の悪さが残るラストですけど、救いのない絶望的な終わり方は、よく言われるように、ポーランド系ユダヤ人で、アウシュビッツで母親を失った出自と、チャールズ・マンソン率いるカルト教団におなかの赤ちゃん毎、妻(女優シャロン・テート)を殺害された悲劇を経験した監督だからこそなんでしょうか。。。

*1:http://www.wga.org/uploadedFiles/news_and_events/101_screenplay/101list.pdf