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籠の中の乙女(ネタバレ)/言語(記号)が世界を規定する

■ママ、庭にゾンビが咲いているよ

子供たちを外界の危険から守るために、郊外のプール付豪邸に子供たちを閉じ込めるだけではなく、このお家では「海」は「革張りの椅子」、「高速道路」は「強い風」、「遠足」は「固い床材」と教えていました。「海」も「高速道路」も「遠足」も、この外界から隔てられた箱庭世界の「外部」に位置するもので、その外部と子供たちとを分断しておくために、こんな“言いかえ”をやっているわけですよね。父は「外」で買ってきた日用品のパッケージを剥がしてゴミ箱(これも外部にある)に突っ込んでました。外部から侵入してくる「記号」を遮断するためにあらゆる手段を講じていますが、人里離れた郊外であっても、消費社会のシステム内にあるわけですから、記号の浸蝕を完全に防ぐことは不可能。用心していても入り込んでしまった言葉の意味を子供たちから聞かれて、その都度、外部の記号をお家の中にあるモノに置き換えていったのでしょう。
この夫婦には、3人の子供たちの他にもう一人、子供がいたらしく、その子を事故か病気なのかはわかりませんが亡くしてしまった、その喪失感から、子供たちを危険から守ろうとする異常な家族関係に至ったようです。長男(最初の子を考慮すれば次男になるのでしょうけど)と長女はかろうじて兄がいた記憶が残ってるようですね。お家を取り囲む壁に向かって、このふたりはリアクションしていましたもん。この両者の対応の違いがとっても面白かったです。長男は父の車の洗車自慢をして、石を投げ、長女はキッチンからこっそり持ち出したパウンドケーキを差し入れる。塀の外にある日突然いなくなってしまった兄が生きていると思っていたんでしょう。これは後日、衣服を引き裂いて偽物の血までつけ、恐ろしい「ネコ」に襲われたふりをして見せた父親のお芝居とぴったり呼応しています。外部には人を襲う恐ろしい化け物「ネコ」がいて、兄は殺された。けれど外に出ない限りは安全だと教え、家族一同が四つん這いになり(母親も参加していた)犬の鳴きまねをして外部のネコ(怪物)を威嚇し、塀の外に花を投げ入れ家族の追悼の儀式を行う。サナトリウムを思わせる清潔な空間、子供たちの衣装も小ざっぱりとして、個性を主張するもの(Tシャツにプリントされた過激なロゴとか)もない。原題の「DOGTOOTH」は犬歯(けんし)の事です。この両親は子供たちをまるで犬を躾けるみたいに育ててたんですね。閉ざされた空間で情報をコントロールし、洗脳し、従順に従えば褒美を、逆らえば体罰(マウスウォッシュの罰は可笑しかったです)を与える━作品を貫く寓意性からギリシャの国内問題に止まらず、より普遍的な社会システムや宗教上の戒律まで含めた視座を見出すのは容易なのではないでしょうか。。
一番ぞっとしたのが、母親です。息子の性欲処理の為にお金で雇ったクリスティーナをお払い箱にした後、外部から赤の他人を招いて余計な事されるよりはましだと判断したんでしょうが、実の妹にその役をやらせたんですね。姉妹ふたりの内、どっちを選ぶかを息子に決めさせ(バスルームで、兄が妹たちのバストや腰回りの抱き着心地を確認してる、異様な光景がありました)、兄が指名した長女の髪を梳かし、化粧までしたやったのがこの母親でした。もう一体何考えてるんですかねー。理解不能だわ…。兄の性処理が目的なので、余計な事(性行為もある体位しか許されていない)をしようにもその情報が与えられてない娘を代用しよう!あぁ、私はなんて頭が良いのでしょうくらい思ってるんでしょうか。抑圧的で父権主義の権化みたいな父親より、夫に何の疑問も持たずに従うこの母親の方が私はとても怖い。。この母親は完全に壊れている人(娘たちも気づいていた)で、彼女の狂気が父親を妄執へと駆り立ててるように思えます。何せ、このお家の中心にあるのがプールですもの。変幻自在な水を湛えた子宮=プールの中で、子供たちは遊び、父親もシュノーケルに興じてます。この家族関係は壊れた妻を守るための虚構を出発点にしているのじゃないでしょうか。
血縁による、社会の最小単位の家族間での近親相姦にまで事態が進展する、外部を遠ざける為に血縁内でのルールが歪んでいくおぞましさには参りました。BGMを廃した静謐な画面に、最も近しくて親密な関係から、互いの命を奪うような危険な関係へといつ反転するかも知れない不穏な空気がじわじわと染み出すような瞬間があって、悲鳴を上げながら人形をはさみで切っていく妹、プールでの救命処置ゴッコやクロロホルムを使った遊び、剪定用ハサミで切り刻まれたネコの死体−柔らかい陽光と、清潔な空間に顔を覗かせる死と暴力の匂いが、この刺激の少ない箱庭世界で鮮烈な色を帯びる度に、決して後戻りできない悲劇へと進むんじゃないかってずっとドキドキしながら観てました。私にとっては、ホラー映画と同じです。プールサイドで姉(だったかな?)が父親の足の爪を切るシーンでさえ怖かった。。後、そうですね、ヌードをはじめ性的シーンの多い作品ですけど、フィックスを多用した、カメラが対象から禁欲的な距離を保っているせいなのか、官能性どころかエロさえ感じない不思議な空間が現れます。身体が間違いなくそこに在るといった生々しさが余り感じられなかった。

■虚構が現実を上書きする

外部からの訪問者クリスティナーによって、長女は覚醒します。彼女から借りたビデオの数々(「ロッキー」「ジョーズ」「フラッシュダンス」)が彼女を外部へと押しやる力になるんですね。このお家は、敷地を取り囲む「壁」の他に、両親が教えた虚構世界の「壁」がありました。親が教えていた世界は都合よく現実を歪曲した「虚構」だったんですよね。で、気になるのは長女がこの二つの壁を超える為に選んだ手段です。犬歯が抜ければ外に出られると教えられたから鉄アレイで歯を抜き、次に壁の外に行く為には車でなきゃ不可能だって言われていたから、車のトランクに隠れ、壁を乗り越えた。でもラストでメルセデスのトランクが延々と映されるだけで、長女がそこから這い出て、自分の足で立った映像がなかったんです。実は、ココでまだ迷ってます。。彼女が壁を乗り越えられたのも「虚構」=映画がきっかけだったんですよね。そもそも壁の内側の現実は既に虚構によって上書きされていて、彼女が現実だと信じていた世界は虚構によって浸食されていたわけですから、歯を折り、車で物理的な壁を乗り越えても結局は、虚構に留まるしかないんじゃないか、両親が規定したコード(法)に従いそこから逸脱しない以上、現実が虚構を取り込んで多層化されるだけで終わっちゃうんじゃないかという考えが拭い切れなくて…。おもちゃの飛行機が塀の外に落とされた時、メルセデスに乗って拾いに行く父親の一部始終を子供たち視ていましたけど、この時、一度も車から降りてはいなかったんですね。それが塀の外でのコードだと信じ込んでいるのなら、姉も車から降りないんじゃないかと。ドレスの前面を血だらけにしながらもひょっこりトランクから顔を出す映像があればまだしも、あのままじゃずっとトランクの中に隠れていて、日用品を買い出しする父親に見つかってしまって…みたいな気がしてしまいます(笑)。それでもアメリカ文化の洗礼を受けた長女は、「ロッキー」のバルボアみたいに不屈の闘志で何度でも脱出を試みるのかもしれませんが…。