イラン式料理本(ネタバレ)/シートの上に残ったグラス

■キッチンからの革命
モハマド・シルワーニ監督の身近な女性達、母親、妹、おば、義母、母の友人、友人の母、そして妻。料理上手のベテラン主婦からイマドキの女性まで、様々な年代の女性達の台所を通しイラン社会を斜めから切り取る、とても楽しい作品でした。以下、思いっきりおばさん目線の感想です(笑)。
義母の肝っ玉母さんが良いですね。14歳(だったかな?)で嫁ぎ、大家族と同居。夫と一緒にいられるのは一日の中でほんのわずか。親元から独立して家を持ち、二人だけの時間が増えたのが嬉しくって、5人も子供を作ってしまったわ、あはは!と豪快に笑うご婦人。姑に虐められた過去はそれとして、今は私がボスよ!と堂々の宣言。家族間であっても、夫婦が互いの名を呼び合うのも憚れる時代から、一日の大半をキッチンで過ごし、椎間板ヘルニアを患っている今でも、家族の為にキッチンに立ち続ける。嫁として避けられない台所仕事を、創意工夫で楽しみに変えていった人です。ターメリックサフラン、ディル、クミン等々、彼女が常備しているスパイス類の多さは、ヨーロッパとアジアの中間に位置する東西文明の合流点ならではの歴史を感じますね。このお母さんと一緒にお料理したら楽しそう。。
ラマダーンの豪華料理から、家族だけで囲む伝統料理まで、手間暇かけたごちそうの数々を紹介するのが主眼ではなく、その料理を食べる、主に夫たちに批判の目が向けられてます。これだけの料理を作るのに要した時間は?と、夫たちに質問をぶつけているんですね。ココでの違いがとても面白かったです。年配者と若い世代でくっきりと分かれるんじゃないかと思ってたんですけど、そうはならないんですよ。ラマダーンの“ハレ”の食卓に集まった男性たちは、料理を用意した妻に対してそれぞれ労いや感謝の言葉を口にし(これはイスラム社会ではとても珍しいこと)、60歳を過ぎた男性が後片付けを手伝っていました。そうかと思えば、奥さんと30歳以上歳の差のあるお爺ちゃんは、やはり料理の事は分からない。おそらく台所に立ったこともないんでしょうね。二人の子供を抱えながら大学に通う妹の夫は、妻が腰を屈めてテーブル代わりのシートを拭き、たたんでいく作業を横で見ているだけで手伝おうともしない。シートの上に残っていたグラスを片づける様に、子供たちに言ってましたけど、これは夫に聞かせるために言ってるんだって事を、そもそもこの夫は気づいてもいないんです。イスラム独自の硬直した伝統も、世俗社会では家族の繋がりを失わずに変容し続ける柔軟さに心和む反面、伝統の上に胡坐をかいたまま、現実から目をそらし続ける頑迷さを手放せないでいる男性は、どの世代にもいるんだなぁと…。
10代前半で嫁ぎ(100歳のおばあちゃんは9歳で結婚したと言ってました!)、就学もままならず家庭という奥所に閉じ込められた母親世代とは違って、高学歴と専門職を手に入れ社会に飛び出していく若者世代。そんな彼女たちが、伝統の二文字の壁の前で苛立つ余裕の無さが、ちょっと気になりましたね。妹のように、諦観の中に不満をとりあえず閉じ込めてしまうか、監督の妻のように“男は政治を語り、女はその(男の)頭を切り落とす想像をする“とこわーい発言をして溜飲を下げるしかないのか…妹と監督の妻、最後でテロップにあったように離婚しちゃったんですよね。イラン社会、特にテヘランなどの都市部では離婚率高いのでしょうか。。
缶詰め料理を出したことを妻から知らされた際の動揺とか、妻の苛立ちにミネラルウォーターの話で誤魔化そうとする所とか、身近な所から社会を俯瞰する覗き穴を扱うドキュメンタリー作家としての建前と本音の微妙な温度差が露呈してしまう面白いシーンも印象的でした。食後の後片付けを放置し明かりを消して去っていく妻って、怖いでしょう?うちの夫はビビってました。ココが一番怖かったって(笑)。どこまでが演出なのか、ちょっと判断付かない所もあるのですが。。

公式サイトhttp://www.iranshiki.com/