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思秋期━Tyrannosaur(ネタバレ)/明日も戦う為に、愛する為に、カーテンを開けよう

■2度、犬を殺した男
主人公ジョセフ(ピーター・ミラン)は、2度、犬を殺します。一回目は、ノミヤで負けた腹いせに、愛犬を強かに蹴り上げた時。イギリスの地方都市の下層住民で、職もなく(郵便局で受け取っていたのは、多分失業手当なんでしょうね)、昼間からパブで飲んだくれては、些細なことにイラつき、喧嘩を吹っ掛ける。うだつの上がらない人生の労苦にすっかり飲み込まれてしまっていて、衝動を抑える心の弁の働きが弱くなっているのでしょう。でも、コントロールできない怒りによって誰よりも傷ついているのは彼自身なんですよね。アイリッシュの頑迷さと毒舌が災いして、負のスパイラルに陥りもがき苦しむ初老の男を救ったのが、敬虔なクリスチャンでチャリティーショップ(←ココも教会が運営しているんだと思います)で働くハンナ(オリヴィア・コールマン)でした。偶然、店に飛び込んできたジョセフのただならぬ様子に、正しい「道」を見出す強さを与えて下さいと祈る。見も知らぬ赤の他人の為に祈るハンナの姿に心動かされたジョセフは、その後、何かある毎にこの店を訪ね、少しづつ心を開いていくようになります。ハンナがDV夫に長年苦しめられ暴力を振われている事実を知ったジョゼフは、彼女の夫殺しを知った後、もう一度、今度は隣人の少年を救う為に犬を殺します。
母親の愛人がやって来る度に、家から追い出され、独り路上で遊ぶ幼い少年サム。男が帰った後に息子を呼ぶこの母親のセリフを聞いて、泣きたくなるくらい胸が締め付けられました。“Sam in now!”のたった三文字ですよ、まるで犬に命令するみたい…。亡くなった父のプレゼント(ウサギのぬいぐるみ)を肌身離さず持ち歩いていて(そのせいで煮しめたみたいにすっかり変色していましたが)そのぬいぐるみを、男たちが嗾けた犬にボロボロにされる━少年が犬に襲われる事件の前に、既に予兆はあったんです。それを母親は見落としてしまったというか、不安を自分の胸に閉じ込め、代りに新しいぬいぐるみを買い与えることにすり替えてしまったんですよね。家庭という私的な空間、領域で、弱い立場の者(老人や子供)を標的にしいじめや暴力を繰り返す、自己中心的な権力者の位置に収まりたがる人は、家庭以外の外の世界で屈辱的立場におかれ、自信を喪失する不安や焦りに曝されているケースが多いです。この男性、エスニックのようですね。
映画用ポスターはハワイ生まれでニューヨークを拠点に活動しているダン・マッカーシーの作品。で、このポスター、ちょっと気になるんですよ。

http://www.mnn.com/lifestyle/arts-culture/blogs/an-eye-for-nature-q-a-with-artist-dan-mccarthy
http://www.noiseking.com/artblog/2012/10/dan-mccarthy.html
地中に埋められた恐竜の骨は、作品中で説明されていた、ジョセフが糖尿病の合併症で亡くなった妻につけたあだ名「ティラノサウルス」でしょう。体格が良く(おデブさんだったんですね)、素直で人を疑うことを知らない、根っからの善良な人を足蹴にしてきたジョセフが、亡き妻の事を初めて打ち明ける━ハンナの受けてきた痛みを通して自分の愚かさに気付き、その痛みごと受容するに到る告白には、醜悪で凶暴な恐竜に、過去の自身の姿を重ねて見てしまっているんだと思うんです。彼の衝動的な暴力は、一端は愛犬と一緒に庭に埋められました。隣りの少年が虐められている気配を感じた時、バットを握りしめイライラしてましたけど、ハンナと出会い、それまでの自分から変わろうとしていたジョセフは、隣に殴り込むのをやめてしまったんですね。その彼が一度は封印した筈の暴力を、今度は少年を救う為に再び解き放つ。庭に置かれた椅子(ひょっとしたらこのソファー、亡き妻が愛用していたんじゃないかと思うんですけど)に陣取り、膝に切り落とした犬の首を置いて血まみれになりながら彼が視線を真直ぐに向けている先は、犬を殺された怒りに猛り狂っている上半身裸の母親の愛人に向けられているのではなく、その向こうで様子を見ていた少年の母なんだと思います。彼の眼差しを受けて、この母は何を感じたのでしょうか。男の機嫌を取るために子供を二の次にしてきた後ろめたさはあっても、母一人子一人、決して豊かではない生活の中で、外部の人間がこの親子の為に変わらぬ友情と見守り続ける役割を担ってくれる心強さは、孤独な少年が受けてきた心の傷を癒す支えとなってくれる筈です。冒頭で無残にも殺された犬、長年ジョセフから虐げられてきた妻、失われた命は戻っては来ないですけど、地中深く埋もれた凶暴な恐竜の死体が、複雑に張り巡らされた根と絡み合いながら、地上の木々を成長させるのと同様、痛みと屈辱に満ちた人生で、その重みと孤独に耐えかねていた男の心の中にも、光の差し込む朝が来る。少年を救う決断をしたジョセフは窓のカーテンを開いてましたよね。

■ロザリオを外す

チャリティーショップで働くハンナの胸元には、小さなロザリオがありました。見落としてなければ、このロザリオ、ジョセフの下に身を寄せて以降(夫殺害後)は身に着けていなかったと思うんです。ハンナの夫は眠っている妻に放尿し、暴力を振う反面、妻の膝に泣き崩れ、見捨てないでくれと懇願する姿も見せていましたよね。敬虔なカトリック信者にとって離婚することはプロテスタント以上に重い決断でしょうし、この夫婦は典型的な共依存関係━暴力の後に手のひらを返したように縋ってくる姿に、自分がこの男の生を支えている、自分がいなければ夫は生きていけないという、虐待される側が時に抱いてしまう逆転した力の感覚━この二つが重なって、夫の下から逃げ出す時期を逸してしまったのかなぁと思っていたんです。
本作、構成が巧みで、ジョセフの暴力性が薄れていく一方で、ハンナの顔に現れる傷の深さとシンクロするように彼女が抱えている闇が濃くなっていくんですが、夫の異常性、控えめな表現でも十分理解できるだけの情報は与えられているので、彼女がジョセフの下にやってきたのは、夫の暴力から逃れる為だと、真っ先に思っちゃうんですよ。自宅に残されていた死体をジョセフが発見した時も、精神を病んでいた夫が妻に捨てられ、追いつめられての自殺だろうと、私はココでも気づきませんでした(笑)。彼女が信仰を持っている事と、ジョセフの友人の葬儀の後のパブのシーンでの笑顔がとっても印象的で、あんな笑顔の裏に、これだけの秘密を抱えていたのかと思うと、ちょっと言葉を失ってしまいます。アイリッシュで、男は強くなければならないという固定観念に縛られていたジョセフが、自身の弱さを受容できずに攻撃的になるのと同様、カトリックの信仰がハンナを呪縛し、人として虐げられ尊厳を奪われても、夫を見捨てるわけにはいかないと思わせてしまったんじゃないかと思うんですよねぇ。。私は信仰を持っていないので、こういう考え方をしがちなんですが…。ラストの刑務所での面会シーン、ジョセフと手を握り合うハンナの、何の迷いもない眼差しを見ていると、この人は自身の信仰とどう折り合いをつけたのか、本人に聞けるものなら、是非聞いてみたいです。本作の要だと思うのですが、もし彼女が夫殺害後にロザリオを外したのなら、もう神の世界での救済には何一つ期待していないということになるのでしょうか…。私にはココが茫洋としています。。