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危険なメソッド(ネタバレ)/赤い帆のヨットで、夢を見る


ザビーナ・シュピールライン演じるキーラ・ナイトレイの下あごが、顎関節が外れそうなくらい伸縮自在に伸びます。バストトップの披露も辞さず、頑張ってます、以上!…で終わりたい(笑)。一番面白かったのはジークムント・フロイトヴィゴ・モーテンセン)とカール・グスタフ・ユングマイケル・ファスベンダー)との師弟関係の崩壊でも、ユングとザビーナとの恋愛でもなく、ユングの奥さまエマ・ユングサラ・ガドン)の楚々としたペルソナの下に蠢く闇でした。作中で“妻は家の土台”とユングに喩えられた奥さま、夫の仕事にも関わっていたようですね。
http://www.iwc.com/ja/experiences/c-g-jung/
本作でも、嘘発見器のような機械の実験台になってます。この実験で彼女の願望(欲望)はどうしても男の子を産みたい、離婚は絶対にしない、この二点だけは死守しようとしていたことが分かりますよね。実家が裕福で、夫にポン!とヨットをプレゼントし、ユングの渡米時にも一等船室を押さえてる。貞淑で良妻であったエマは、夫の考えを常に先取りしていくんですね。で、ユングがサビーナに惹かれていくのを、この奥さん、かなり早い段階で知ってたんじゃないかと…。その上であのヨットをプレゼントしたと考えると、ちょっと面白くなる(笑)。赤い帆(ザビーナの破瓜を連想しますが)を掲げた優雅なヨットが、鏡面のように静かな湖を漂う。ザビーナとの愛を育み、精神科医として大きく成長する(本作では、史実は兎も角として、ユング心理学の要、アニマとアニムスの概念はサビーナとの関係性を揺籃としています)━ヨットで、双子のように寄り添い眠る姿から「揺りかご」を連想してしまったからなんですが、ユングは常に妻という「湖」の上で守られているとしか見えない(笑)。ザビーナも水と関係しますけど、バスタブや池であったりで、湖とではてんで大きさが違います。社会的地位を確立し安定する(妻)と、精神世界での充足(ザビーナ)との二重生活に引き裂かれていても、生命の孵卵器「水」を断つことは出来ないのでしょう。フロイトとの最初の出会いでも、結構、本作のユングって、子供っぽいというか、幼いですよね。初対面で十数時間、ぶっ通しで話し続けるのは研究者としての純粋な熱意とも言えますが、薦められた料理を山ほど取り分けたり、コーヒーに大量のお砂糖を投入したり…トラウマ的な欠如があるんでしょうか。。
ユングとザビーナの関係が終わり、フロイトとの師弟関係(学問上での擬似親子関係)も壊れ、失意のユングの下にザビーナを呼んだのも妻でしたし。。序盤で馬車に乗り、患者としてユングの前に現れたザビーナは、終盤、立場が反転して、患者から分析医としてユングと再会し自動車で去っていきます。精神分析の黎明期、アシュケナジー系ユダヤのフロイトプロテスタントユングの対立に、第一次世界大戦前夜のヨーロッパの歴史の一端を見るのも可能でしょう。無神論者のフロイトが固着するリビドーが彼にとっての信仰(超越的存在)に置き換え可能なものだと気づくユング。そのユングが神秘主義に傾倒し、精神分析の分野ではオーソリティでも、子だくさんで一介の開業医に過ぎないフロイトが、お金の心配をせずに研究に打ち込めるユングに嫉妬したりで、精神分析に精通しても人として悩みや嫉妬からは解放される訳ではないんですね、当たり前でしょうけど。。
女性が自立するにはいろんな障壁があった時代に、統合失調症の患者から心理学の専門家へ、家庭も持ち独自の道をしっかりと歩んでいく事になるザビーナがあんまり魅力的に見えないんですよね、どうしてなんでしょう。彼女の分岐点となる「鏡」に映る自画像(鏡像)をスパンキングの最中に注視する━自己を俯瞰し、客観的視点を彼女が獲得するシーンで、フェティッシュを無意識に期待してしまう見る側(つまり私なんですが…笑)が、クローネンバーグの新作!だとついハードルを上げてしまいがちですね。キーラ・ナイトレイの演技で一番良かったのは、下あごじゃなくて、背後に座ったユング視点で、彼女の背中を見せた時です。あの華奢な背中の下に蠢く何かが、皮膚を食い破って出てくるんじゃないかと、妄想したくなる画でした。