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チキンとプラム(ネタバレ)/ため息の数だけ、命が輝く


■チキンのプラム煮にも、ため息は宿る
ナセル・アリ(マチュー・アマルリック)が死に、母の墓石の横に埋葬されるまでの8日間を描いた作品です。冒頭で、雪を抱いたアルボルズ山脈らしき山が切り絵風の絵に収まっていたり、美しいアーチのあるバザールが登場したりしながら、ナセルのお家は、高い窓と中庭に囲まれた西洋的建造物で、主な登場人物の衣装はとても西洋的です。イラン・イスラーム革命前の、女性がスカーフの着用を義務付けられる前の時代(イランでは、英国の後押しを受けたレザーシャーの軍事クーデターによってパフラヴィー朝が成立、1925年に国王に即位。性急な近代化政策の下、28年にヴェールの着用禁止、西洋服を義務付ける法律を制定。従わないものには容赦なく弾圧を加えていた時期がありました。洋服にしろヴェールにしろ、着用の義務化が問題になる国なんですよね)、テヘランなどの都市部のごく限られた層、西欧化された富裕層や中産階級のライフスタイルってこんな感じだったんでしょうか。。
原作コミックの作者であり、本作の脚本、共同監督を務めているマルジャン・サトラピはカージャール朝(マルジャンの曽祖父がカージャール朝最後のシャーである)の血を受け継ぐ、世が世なら本物のお姫様だったんですね。私の頭の中では、大粒の宝石を身に纏い、金糸銀糸で刺繍された豪華な家具に囲まれ、バラ水なんか気怠く飲んでる深窓の令嬢のイメージがパッと浮かんでしまう(笑)。実際は、進歩的な上流階級の家庭に育ち、少女時代にパーレビ国王の白色革命とその後のイラン・イスラーム 革命、イラン・イラク戦争を体験しているとの事。イラン(ぺルシャ)とフランスをはじめとするヨーロッパ文化が混淆するハイブリッド感は、彼女の幼少時の記憶をイメージの源泉としているのでしょう。
大切なヴァイオリンを破壊され、生きる意味を失ったナセルが、いざ、死を目前にすれば、心構えが出来ていなくてあたふたと足掻く。人間なんて、大抵は自己矛盾の塊みたいなものですが、エゴイスティックでありながら、同時に男のかわいらしさ、弱さを魅せるマチューさまはステキです(うふっ)。部屋に篭ったままの兄を心配した弟の映画の話から、女優ソフィア・ローレン→豊満で母性の象徴のような女の巨大な胸に抱かれ、甘く”坊や”とささやかれるシークエンスはフェリーニを連想してしまいそう…。
死までの数日間、過去を回想し、未来へ思いを馳せる、この過程が死を受け入れる、受容プロセスとなっていて面白かったです。自己チューな男でも、一応、子供の行く末は気になるようで(笑)、自分そっくりの長女が大恋愛の末、その恋人の死をきっかけに、煙草の紫煙を吐息の代わりにして自らを孤独の牢獄に閉じ込めてしまう反面、息子のパートはファミリードラマの文脈で、アメリカに対する皮肉を織り交ぜながらカリカチュアしています。妻、母親、弟、師匠、そして過去の叶わなかった恋、ナセルを取り巻く人たちのエピソードを幾重にも重ねることで、ナセル自身のキャラを多層的に浮かび上がらせる巧みな語り口に身を任せ、ふと気がつけば、愛情と同じ重さで人生の諦観が胸に追ってくる、何とも言えないほろ苦さが良いですね。徹底した個人主義でありながら、ラテンの血がそうさせるのか、それでも愛の物語を紡ぐ事を諦めないフランス映画みたいな所もあります。
1958年のテヘランのナレーションで始まる本作、その語り部がやがて告死天使のアズラエルと分かる構成も好きです。死を司る天使、全ての生きとし生けるものがその運命に従う他なく、だからこそ、死を受容することがかけがえのない生を輝かせたりもする訳です。ナセルの秘められた恋は、その後、芸術家として生きる、彼の人生を決定づけました。そしてその影でもう一人の女の生き方も縛ってしまったんですよね。ナセルの妻は夫の奏でるバイオリンの美しい音色の中に、自分の居場所はどこにもない事を知ってしまっていました。夫の大好物、チキンのプラム煮を作る度に、彼女はどんな思いを込めていたのでしょうか。師匠から伝授されたバイオリンの名器と、それを奏でる極上のテクニックがあっても、聞く者の魂を揺さぶるような美しい音色にはならない。ナセルを愛し続けた妻の料理にも、彼を揺さぶるものが確かにこめられていた事を彼が気づいたうえでの死なら、妻も報われたでしょうに…。美しい音楽も、人を蕩かせる料理も、どちらも同じ芸術です。それを見ようとする者の目には、芸術は遍在する。その姿はずっと変わらずに、最初からそこにあり続けていたんですよね。。イラーヌ(祖国を離れることになったサトラピのイランへの想いがこれほどストレートに感じられる名はないです)との悲恋は、終盤、とても美しく描かれていますが、私はどうしても奥さんの事が気になっちゃいました。妻の黒縁メガネを、息を引き取る前のナセルがそっと外して、その瞳の美しさに気付くくらいの演出があった方が良かったかも?って完全に妻目線で観てしまってるからなんですが(笑)。