砂漠でサーモン・フィッシング(ネタバレ)/錦鯉の池から養殖サケが巣立つ


■fish(魚) はfaith(信心)に通ず
イエメンで鮭釣りを実現させる、前代未聞の国家プロジェクトが動き出すまでのイギリス編が政治風刺が効いていて良いですね。首相広報官パトリシア・マクスウェル(クリスティン・スコット・トーマス)の頭の中は選挙=有権者の数しかなくて、彼女の行動原理はいかに支持者を獲得するかだけなんです。政治の中心に身を置きながら、遠いアフガンでの戦争をモニター越しにしか知らない一般市民と、心情的には同じ立ち位置にスライドしてしまう彼女の在り様は、面白いです。支持率アップの為に鮭プロジェクトに目をつけたものの、実現不可能と知るや否や、鮮やかに掌返しをしたその直後に、釣り人口の多さ(有権者数)に釣られて、すぐさま態度を変える変わり身の早さ。わざわざ椅子に座りなおしてましたもん、ホンと可笑しかった。全ては票の為━この単純明快な論理がトリックスターパトリシアと合体した時に、思わぬ事態へと物語を動かす原動力になります。イエメンの大富豪シャイフ・ムハンマド(アムール・ワケド)が所有するハイランドのお屋敷(スコットランドのArdverikieハウスで撮影)、水産学者アルフレッド・ジョーンズ博士(ユアン・マクレガー)夫妻の居心地の良さそうな小さなコテージ、パトリシアの意外にも(笑)、家庭的で温かみのあるお家。インテリアを見るのが映画を観る楽しみのひとつになっているので、この辺りは愉しかったです。
ジュネーブに栄転した(おそらく金融関係)ジョーンズの奥さんって、結構、怖いです。セックスの後に夫に向かって“これで当分は満足でしょ?“と言ったり、転職も彼に相談なしだったし、突然に省を退官した夫に(相談せずに辞めた夫もどうかと思いますが)”年金はどうなるのよ”と詰め寄ったり…魚と釣りの事しか頭にないオタク気質で子供っぽい夫を持つと、ここまでキツイ妻になってしまうものなのかと。。このお家には小さな池があって、錦鯉が飼われてましたけど、錦鯉化されていたのはジョーンズなんですよね。イギリスの小さな池(家庭)から解き放たれてイエメンに行っても、鮭のDNAのように母なる川(妻)に必ず戻ってくる習性なんだと、奥さん、彼を信じたかったのでしょうが…。錦鯉みたく囲っておけばよかったのに(笑)。アフガンで行方不明になった恋人の安否が分からずフラットに篭りっきりになってしまったハリエットを心配して、ジョーンズが人の行き交う道路=「川」を「遡上」したのが、池から脱出するきっかけになったんですよね。
大富豪シャイフがイギリスの鮭釣りに魅せられたのは、釣り人の哲学━身分も階級もない平等の精神と、謙虚さと寛容を備えた伝統でした。「サケ釣り」=fishはそのまんま民主主義の平等精神に置き換え可能だと思います。水源となるダムを造り、農地を開拓するだけではイエメンの近代化は出来ないと、シャイフは考えていたんです。サケ釣りは大金持ちの独善的な道楽でも、ましてや金儲けでもなく、純粋にイエメンの行く末を思い、子孫に伝えていく資産を産業(経済)と理念との両輪で考えている、とっても偉い人なんです。で、この不可能とも思えるプロジェクトを、不可能であるが故に前へと推し進めていくのが信心(faith)なんだと、繰り返し無神論者のジョーンズに話してました。この辺り、とても面白いんですが、舞台がイエメンに移ってから、ジョーンズとハリエット・チェトウォド=タルボット(エミリー・ブラント)のラブストーリーに主軸が移ってしまい、映画はセリフの表面をなぞるだけで一向に深まってはくれません。彼が進める近代化を、邪悪な西洋の方法をアラブの地に導入しようとする悪魔の仕業くらいに考えてる反対勢力の妨害があるんですが、この一派の描き方が書割みたいなもので、進歩派対原理主義者の単純な二項対立に見えてしまうんです。イギリス編の登場人物だってそれぞれが薄っぺらい記号でしかないけど、その薄っぺらさが同時に痛烈な皮肉になってたんですが…。
9・11前までは、イエメン(アラビア半島の南西部)や「アフリカの角」とも呼ばれるソマリアスーダン一帯がアルカイーダの活動地域であったにしても、少々単純化が過ぎるのではないかと。。西洋から見た「理想の他者」シャイフと、西欧(ジョーンズ)が手を取り合い、様々な苦難から、足元の小さな改革から始める「謙虚さ」を学び、妨害した一味の罪を問わずに許す「寛容」な精神という、絵に書いたように(笑)奇麗なお話で終わってますが、なんかこう、心の奥深くまで響いてくるものがなかったです。。
後、そうですね、「釣り」が重要なファクターになっている割には、釣りに対しての愛情があまり伝わってきませんでした。ジョーンズが手作りしていたフライ(毛針)、ハリエットのフラットで拾った糸くずを使ってあるんでしょう?テントの中でランプの明かりだけを頼りに夜なべして作っているジョーンズの画くらいあった方が良かったかも。。彼にとって手作りのフライは、100カラットのピンクダイヤくらい価値あるものの筈ですもの。。