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クロワッサンで朝食を(ネタバレ)/靴を履き替えた異邦人

■後ろ姿の女

雪深いエストニアで暮らすライネ・マギ (アンヌ)。彼女の人生に重くのし掛かっていた認知症の母が天国に召され、看病に追われていた毎日から解放されたのも束の間、ぽっかりと空いた無為の日々に倦み疲れ、心機一転、フランス、パリでの新生活に賭けます。人生の折り返し地点をとうに過ぎた50代。子供たちはそれぞれ独立し、酒癖の悪い夫とは離婚済み。老境にはまだまだ時間が残されているけど、若さは既に失っている。難しい年齢に差し掛かった女の揺らぎを端的に見せているのが「アンヌの背中」です!と宣言したいくらい、彼女の背中を捉えた画、多かったですね。お金のかかった流麗なハリウッド映画のカメラワークとは違い、ちょっともっさりしたカットのリズムは、まぎれもなくヨーロッパ映画の感触。この所、ビッグバジェットばかり続いて疲れてしまっていたので、良いリフレッシュになりました。
母親のいびきを聞きながら傍らで眠りにつく、その閉塞感たるや…。いつか必ず訪れる「最後の時」まで神経を張りつめて暮らす息苦しさから逃れる為に、命の証である寝息を水道の蛇口を捻り水音で誤魔化す。母を愛していながら、同時にその死=母からの解放を願ってしまう、介護する側が背負う重い軛が印象的でした。息を引き取った母親の脈を確かめた瞬間、どんなに安堵したかを想像するのは難くないです。

母の看病に追われるまでは老人ホームで働いていた事、学生時代にフランス語を学んでいて少しは話せる事等の条件が揃い、パリの高級アパルトマンで暮らす、毒舌で気難しい老婦人フリーダ(ジャンヌ・モロー )の家政婦となります。イヴ・サンローランのカーテン、ココ・シャネルが生前愛したコロマンデル屏風がある室内、シルクのナイトガウンからスーツまでシャネル(作品に登場するシャネルは全て、ココ・シャネルと親交のあったジャンヌ・モローの私物だそう)で武装したいじわるばあさんが仕掛けてくる数々の虐め(マイセン?らしき高価なカップ&ソーサーを惜しげもなく割る。お茶を何度もわざと零す。エストニア料理には手も付けない等々)にも健気に耐えるアンヌさんはとても忍耐強い。クロワッサンをひっくり返して焼き具合をチェック*1する猛者ですからね、かなりの強敵(笑)。こういった精神的にエグいシーンも、せいぜいがバストショット止まりで、アンヌの心情はその後ろ姿をフレームで切り取るだけで表す、とても抑制されてますよね。
エストニアにはない宝石箱のようなパリの街を散歩し、ストレス発散していたアンヌは、ショーウィンドウに映る、ダサいコートと実用一点張りのブーツの己が姿を、自らの目で見てしまう通過儀礼の後、品良く結った巻き髪に(生活臭漂う纏め髪のほつれ毛から一転、この変身はファッションよりも鮮烈でした)フリーダが貸してくれたバーバリーのコートへと、醜いあひるの子が白鳥へと開花していきます。ココはお約束通りのベタな展開でも、やっぱり愉しい。女にとってファッションは命にも等しいもので、いつでも自分を支える一番のカンフル剤となります。カフェに着ていくドレスを選ぶアンヌの嬉しそうな様子ったら…。それをキチンと受け止め、衒いも無く熱い視線を送るジェントルな男性たち(若い時とは違って、歳を重ねた分、それだけ余計な手間暇がかかってる事を知っている男たち)がいる事で、女たちは更に自分を磨いていく…こういう「大人な」文化は羨ましいです。ウチの夫なんか滅多に褒めませんから。。

パリにやって来た時、ブーツを脱いで室内履きに履き替えていたアンヌは、フリーダとの諍いからアパルトマンを飛び出し、ストラップ付きの黒のヒールを履いてパトリック・ピノー (ステファン)と肉体関係を持った後、今度はブーツに履き替え、街を彷徨い、夜明け近くにエッフェル塔に到着します。早朝の凍える大気の中で、紙袋から取り出した焼きたてのパンでかじかんだ指を温めながら、観光客のいない「パリ」を独り占めする。上空には彼女を故郷へと運ぶ(筈だった)飛行機雲が浮かび、それを晴れ晴れと見送るアンヌ。パリの異邦人だった彼女が還るべき場所はもうココにしかないと覚悟を決めたのはこの瞬間だったんでしょうね。ダサいけど街を歩き回るにはうってつけのブーツを履き、同時にクロワッサンを頬張るハイブリッドな感覚は、50年以上前に憧れの都パリを目指したブリーダも、ひょっとしたらこうしてエッフェル塔を見上げていたのかも?と想像させてくれる解放感に満ちた場面です。ちょっと甘口ですが…。

■プラスチックを食べろというの?

1928年生まれのジャンヌ・モローさんは流石の存在感。フリーダの役を演じているのか、本人そのままなのか、このお歳になるともう見分けがつきません(笑)。
恋多き女で、若い頃は舞台女優になりたかったブリーダは、祖国エストニアからの亡命者(政治、経済の両方でしょうが)も受け入れてたんですね。彼女を中心とした一種のサロンのようなものがあったのかもしれない。夫を亡くし、数々の愛人とも縁が切れ、唯一ステファンの訪問だけを心の支えにして、自己だけで完結した世界に住むご老人。彼女は完全なる自由を保持するために、同郷の友人とも距離をとり(←エストニア福音教会の合唱団内の痴話げんかが元なんですが、その原因を作ったのは妻子ある男を寝取った彼女なんですよね)溢れんばかりの記憶=歴史を詰め込んだアパルトマンから一歩も外に出ない生活を送っていました。もう何もかもがめんどくさいんでしょうね。孤独な老婦人には自殺衝動があり、そのくせ長年培われた慣習とはおさらば出来ずに、朝食のクロワッサンへのこだわりは勿論の事、朝が来れば来客の予定もないのにシャネルのスーツにキチンと袖を通す毎日。キングサイズのベッドの必ず片側(向かって右側)で眠る習慣は、彼女の傍らで眠ってきた男たちの記憶を忘れずにいるからでしょうね。ステファンが同じベッドに横たわれば“これは私の思い出なの“と言って、すかさず男の股間に手を伸ばすのには大笑いしました。このお歳になると何でもできちゃうんですね、私も長生きしようと決めました(笑)。
どうやら子供を産まなかったらしくて、娘(子供)ステータスのまま大人になったような女性です。故郷と完全に縁の切れた彼女、パリッ子としてのアイデンティティを仮面に憑依させた暮らしは、仮面すらもう素顔なのか区別できなくなるくらい馴染んでしまったんでしょうが、同郷のアンヌの出現によって仮面の下に封印されていたものが顔を覗かせるようになります。他者との関わりの中で予測不能の偶然性が生まれ、古い記憶の中に埋もれた恋の懐かしい手触りが甦り、同時に、死をまじかに控えた老女の産みの母に対する想い、祖国への素直な憧憬となって現れるようになる*2

最後にはステファンを巡る一種の三角関係のようになってますが、女が二人寄れば、そこにはもう新たな宇宙が誕生するようなもので(笑)、信じられないでしょうが、ほんとにそうなんです(きっぱり)。女という共通の身体感覚は、ブリーダとアンヌ、両者を隔てる境界を融解させ、フラットにしちゃうんですよ。男を通しての共犯関係のようなもの、一種の同化ですね、まぁ恐ろしい(笑)。アンヌ以外の女がステファンと寝たならブリーダーは嫉妬して許さなかったでしょうし…。こういう解決方法を身に付けられるだけ、修羅場を掻い潜ってきた女性ですもの。それだけに彼女がステファンが眠っている時、こっそりとアンヌと関係を持った事を知っていると告白するシーンは、ちょっと余計に感じてしまいました。ステファンの事務所を出たアンヌが一瞬浮かべた微笑だけで分かりますもん。ジャンヌ・モローは老いを恐れるようなタイプじゃないし、それを映されるのも厭わない人でしょう?この場面は、セリフではなく彼女の皺だらけの手が一瞬の逡巡の後、動きを止めるクローズアップで収めた方が、股間へと伸びた手の対置になって良かったのに。監督さん、ちょっと遠慮しちゃったんでしょうか、クローズアップ一度もなかったような気がします。
そうそう、ドレスアップしてカフェへと繰り出すフリーダの軽やかな足取り。ジャンヌ・モローは歩く姿の美しい女優さんのひとりだと思っていたので、彼女の颯爽とした姿はすてきでした。

*1:クロワッサンのようなバターを生地に練り込むパンは扱いが難しく、もたもたしていたら、生地の温度が上がってしまい、バターが溶けだしてパリッとした焼き上がりにならないんです

*2:ブリーダは同郷のアンヌに、兄から母の死をすぐに知らせてもらえなかったことをきっかけに故郷と縁が切れたと話しています。それでも母親のそばに埋葬されたいと打ち明けていた 9/15 追加