悪いやつら Nameless Gangster(ネタバレ)/家宝は黒い電話帳

■ゴーストは、耳元で囁く

任侠映画はちょっと苦手なんですが、評判通りの面白い作品でした。序盤、チェ・ミンシク (チェ・イクヒョン)が税関職員の職権を利用して、小銭稼ぎに血道を上げている辺りから、劇場内で笑いが起きてました。税関職員さん、あんなに沢山トイレに集まって、一体何してるんでしょうかね、仕事サボってるんでしょうか。。自宅購入資金としてコツコツ貯めた頭金を、家長としての体面を守るために、妹(すでに妊娠してましたが)の婚約者に通帳毎、ポンと差し出す。それを見た奥さんが“妻より、血の繋がった妹の方が大事なのね“と泣きながら席を立つって、コントかと思いましたもん。
イクヒョンが“10億の価値がある”と語っていた黒い手帳には、父系を中心とした血縁社会の韓国が凝縮されてるんですよね。暴力団とは縁のないごく普通の市民にも、就職や結婚 、人生の節目に必ずつきまとう「血縁」を基に結束する共同体。それを最大限に利用しコネで世渡りするイクヒョンと、信じた人間に裏切られ、人を容易には信じない暴力団の若き組長ハ・ジョンウ( チェ・ヒョンベ)の蜜月関係とその崩壊までの物語です。
全身の毛穴から役者魂が滲み出てきそうな チェ・ミンシクの怪演が一番の見どころでしょうか。陽気で気配り上手かと思えば、姑息なまでに卑屈にもなる。愛人の囁き(マクベス夫人のごとく、男同士の蜜月関係に毒を吹き込み、亀裂を入れるのは必ず女なんですね)にいい気になって天井知らずの欲望に踊らされたかと思えば、足元にひろがる深淵の思いがけない闇にたじろぎ、おどおどビクつく。こんなにも人間臭い中年男を突き動かしていた欲望の正体は、儒教国韓国らしく、長子(長男)への愛なんですよ。父親として子供に残してやれる財産、先祖から受け継いだ血脈と、彼が作り上げた人脈の複合体を、アメリカ留学までさせて検事となったわが子に残します。韓国の熾烈な学歴社会を象徴する「キロギアッパ(雁の父)」朝日新聞グローブ (GLOBE)|こども教育 幼いうちが勝負。将来設計は前倒しの存在はよく知られてますね。

何度も裏切りにあい、人を信じられなくなっていたヒョンベから”大叔父、愛してます“と言わせるだけの人間的な魅力がどこから来るのか━やはり、銃に実弾を込められない「パンダル(半端者)」の非情にはなりきれない弱さやその裏返しの優しさにあるのでしょうか。ヒョンベがやくざ社会から完全に足を洗うようイクヒョンに最後通牒した場面なんか、唯一、胸襟を開くことのできる人間を失う痛みさえも抑え込んでしまう彼の孤独を思うと、ココはグッときました。
終盤、盧泰愚大統領の指揮の元、暴力団構成員の撲滅に警察、検事局の士気はマックスとなり(実弾の使用許可まで出ていた)、彼を絡め取る包囲網から逃れようと足掻くイクヒョンには、父から受け継いだ血縁も、築いた人脈ももはや役に立たない。苦肉の策が、担当検事と手を組む事。この時に生じた検事との関係が長男に残す遺産として育つんです、凄いわ―。この検事さん、ふてぶてしい面構えで、平然と殴る蹴るの暴力を行えるとっても怖い人でした。どっちがやくざかよく分かんない…。検察(警察上部)で、こんな手打ちをされたら現場の刑事さん、たまんないでしょうね、真面目な人ほど腐ってしまいそう。。
終盤、赤ちゃんのお披露目式のシークエンス。パーティーの喧騒から逃れ、海に面したベランダで、子供時代に父が贈収賄で逮捕される瞬間を見てしまった息子が、その胸の奥に当然あった筈の父に対する怒りや、愛憎相半ばするわだかまりもなく、薦められるままに、目線だけはしっかりとかわして煙草を受け取っている姿を見てると、すべて洗いざらい息子に話した上で、この親子は信頼関係を築いているんだなぁと思えました。で、それが将来を約束された検事さん=司法なんです。光州事件からソウルオリンピック、盧泰愚大統領の民主化路線へと激動の時代を肌で知っている韓国民にはピンとくる所なのかも知れませんが、私には、この辺りの社会的視座はよく分からなかったです。勿論、皮肉込みなんでしょうけど…。
赤ちゃんを抱いた好好爺イクヒョンの耳に“大叔父“と囁くヒョンベの声で幕を閉じる鮮やかなラストは鳥肌モノ。ハ・ジョンウさんの声は良いですね。過去からの亡霊、裏切りの末に彼が見捨てたヒョンベの声は死ぬまでイクヒョンを捉えて離さないでしょう。で、今一番の関心事は、一体この声はいつから聞こえていたのかという事です。ヒョンベ逮捕の時か、それとも、クラブやカジノの利権をめぐって抗争していた、顔に傷のあるやくざとの最初の面会の時か…。私は後者の方が面白いんですけど…。

80~90年代の韓国裏社会をノワール映画のような陰翳のある画作りで描くのかと期待していたら、ちょっと肩すかし。先行するこの時代の映画作品に似せてるんでしょうか、割と平坦(陰翳はさほど深くない)な画面のように感じました。それでも所々、黒が深くなる場面があって、床屋でヒョンベが髭を剃ってもらうシーンや、ドアの外枠が映画内のフレームとなる、スクリーンとの二重フレームの中に、引っ越し荷物と一緒に佇んでるイクヒョンからカメラがわずかにズームアウトする場面などは『ゴッドファーザー』みたいでめちゃ好みでした。