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いとしきエブリデイ(ネタバレ)/子供たちからのクリスマスの贈り物は…

■そして、父になる

8歳の長女ステファニーを筆頭に、6歳の長男ロバート、次男ショーンは4歳、次女カトリーナは3歳。4人の子供たちは本当の兄弟姉妹で、撮影に使用されたお家も、彼らが通う学校も映画という「虚構」にだけ存在する幻ではなく、すべて実在する本物です。5年間に渡って撮影された子供たちの映像が、この物語のドキュメンタリーのようなリアルさを支える強固な基盤になってて、5年という時間の流れがあるから、子供たちの成長や変化が早送りのビデオみたいに、手に取るように分かります。おしゃぶりを咥えていたショーン、おむつをしていたカトリーヌが、赤い制服を着て小学校に通う頃には、長女、長男は中学の制服を着ていました。月日の移ろいが子供の成長を物差し代わりにして浮かび上がります。
特に女児の肉体的な成長は男の子より早く訪れますから、年下のBFが出来た事に複雑な感情を抱く父親(10歳の娘の7歳のBFを“若いツバメ“を表現する、娘を奪われる父のやるせなさはおかしかった)、兄弟姉妹の中で一番の泣き虫で気の弱いショーンが、父の悪口を言われたからと友人に刃向っていく場面。長男ロバートの父に対するちょっと複雑な屈託。父が不在だった5年間、子供たちがどれだけ寂しい思いをしたかは想像に難くないですけど、父が収監されていようがいまいが、確実に子供たちはそれぞれの「時」を迎え、成長していく…、当たり前すぎる程当たり前な現実を「定点観測」しているカメラを通して見せつけられたような新鮮な驚きがありました。「(父)親はなくても子は育つ」のですねぇ。。

同じくマイケル・ウィンターボトム作品『ひかりのまち』組のジョン・シム (父イアン) とシャーリー・ヘンダーソン (母カレン)が、子供たちの両親を演じています。プロの俳優(虚構)と、全くの素人である4人の兄弟姉妹(現実)が混在する作品で、この構造がそのまま作品内の各キャラクターの位相と重なっているような所があって、子供たちが親を思う揺るぎない信頼と愛情の確かさは、どこまでが演技なのか区別がつかない程自然に溶け込んでる反面、両親のパートには夫婦間の生々しい感情をエッジを効かせて潜り込ませてあり、大人の事情から、一筋縄ではいかない部分が際立ちます。「不在の父」は同時に夫婦関係の危機でもあるんですね。

昼はスーパー、夜はパブで働き、子供たちを育てる為に生活の全てを捧げているカレンにも、夫のいない寂しさから、夫以外の男性に惹かれてしまう揺らぎが生まれ、作品内では明確に示されてなかったんですが、麻薬密売で刑に服してる*1イアンが、仮出所を利用して再び刑務所にハシシを持ち込もうとする事件を起こします。このとんでもなく愚かな行為を知った時には、正直、あきれ果てました。父親としての自覚の無さと甘えにはうんざり…。妻カレンが肉体だけの関係ではなく、BFを次の「父親」に仕立てる算段を始めたのにも、驚きはなかったです。寧ろこれは賢明な選択ではないかと、共感すら覚えました(笑)。

面会時、夫の願いを聞き入れ、看守の目を気遣いながら、こっそり上着を脱いで胸の谷間を見せてたシャーリー・ヘンダーソン。本作の白眉と言える名場面ですが、お世辞にも美人とは言えない、その分イギリス女性らしい(というと失礼かもしれないけど、イギリス女性で、目も覚めるような、誰もが認める分かり易い美人って、少ない気がします)女性で、華奢な体つきと、何よりペチャペチャとした、甘ったるい幼児的な話し方が印象的で、その彼女が義母の家のガラクタの中から長男ロバートが猟銃を持ち出し森に入ってしまい、パ二くるシークエンスには、ドキドキしました。この事件は「父の不在」とは直接関係しない、成長期の男の子の通過儀礼的な出来事でしょう。それでも「父親役の不在」が、母親の不安を過度に増幅させてしまうんですね。この件と、その後に起きた夫のハシシ持ち込み事件を契機に、妻はBFの存在を子供たちに隠さなくなる。食事に招き、彼の車で海岸まで行き家族全員で仲良く遊ぶ。男の子たちが欲しがっていた自転車も、BFが買い与えたんですよね?

妻からの三行半で、映画は終わるのかしらん?と思いながら観ていたんですが、クリスマス・シーズンに釈放された父親のパートと、小学校で聖歌を習う子供たちのパートのカットバックのシークエンスから、その予測は外れました。出所する父のパートにいつしか子供たちが歌う聖歌*2が被さる編集は良いですね。父の解放は子供たちの歌に乗って運ばれてくる、「還るべき場所」*3のある父の幸せが自然と滲みだす。
その後、愚かな行為で夫婦の危機を迎えていた事に気づいていないイワンは、妻から告げられた浮気の告白により、まざまざとそれを知る羽目になるんですね。幸福の絶頂からのまっさかさまの墜落です。妻の裏切りに怒り、壁を殴っていた(らしいとしか分からない、映像はなく、音だけでしたから)父と母の争う様子を不安げに子供部屋で聴いていた子供たち。父が戻ってくるまでは、こんなことは起きてはいない。子供たちから見れば、父の帰還が、父親無しでも家族はやっていけるんじゃないかという疑念を生んでしまうんですよ。きっと、「父になる事」の難しさは母親の比ではないんでしょうね。。
翌朝、いつもの様に、朝食のテーブルに着こうとした父に向かって(多分ショーンが)“そこはママの席だよ”と、一言。つまりは、ママを虐めるあんた(イアン)には、この家には「居場所」がないとチクリと牽制する場面の上手さには、唸りました。表面上には表れない子供たちからの水面下の攻防から、どうやらイアンは待ったなしの覚醒を促されたようですね。
父は「出所したら、家族を旅行に連れて行く」約束を果たそうと、知人から借りた車に家族を乗せ、海岸を目指します。カレンのBFと一緒に遊んだ海岸かどうかまでは分かりませんけど、夫は知らなくても、妻と子供たちにはその時の記憶が残ってるわけで、ココもヒヤヒヤしましが、特別な事はなにも起こらずで、良かった…。
この小旅行の目的が、父と母が愛し合っている事を子供たちに知らせる為だったと、子供たちが理解できるのにはもう少し時間が必要でしょうか。。引き潮らしく、茶色い地肌をさらけ出した海には審美的な美しさはみじんも感じられない、特別な場所ではないんですね。でも、この思い出が残っている限り、いずれ子供たちは自らの力でその答えに辿りつくでしょう、両親に対する愛情と感謝の念を思い起こさせる大切な記憶ですもの。。
イギリス、ノーフォーク州のリリカルな田園風景、牧草と羊、小麦畑を渡る風、雄大な雲の流れ、舗装されてない小道、緑と対を為すひなげし畑の鮮烈な色、暗闇の中に浮かび上がる「我が家」の灯。絵葉書クラスの美しい映像と、マイケル・ナイマンの詩情豊かな音楽とが並べば、どうしてもふわふわと浮遊してしまいそうな所を、子供たちのリアルな成長記録と、控えめながら、要所で顔を覗かせる虚構ならではの棘とが、本作を地に足の着いた作品にしているんじゃないでしょうか。

*1:http://www.imdb.com/title/tt1037223/trivia?ref_=tt_trv_trv

*2:この聖歌の題名が判らなかったんです。歌詞に羊飼いや賢者が登場していたのでキリスト生誕(劇)に因んだものだとは思うのですが

*3:出所する際、刑務所の係官が“(帰る)家はあるか?と尋ねてました。次に仕事はあるかと聞かれてましたけど、これはイアンが直面しなければならない現実の厳しさでもあるんです