ブランカニエベス(ネタバレ)/白と黒の見世物小屋

牛から決して目を離してはダメ

『天国の口、終りの楽園。(アルフォンソ・キュアロン)』、『パンズ・ラビリンス(ギレルモ・デル・トロ)』、『テトロ 過去を殺した男(フランシス・フォード・コッポラ)』等に出演していたマリベル・ベルドゥの、一片の同情も寄せ付けない性悪女ぶりに、終始ウットリしてました。
大金持ちで花形闘牛士アントニオ・ビヤルタ(ダニエル・ヒメネス・カチョ)の財産と名声だけが目的の女で、入院中は献身的に尽くし、無事入籍を済ませた途端、全身不随となった夫を屋敷の一室に閉じ込め、娘カルメンシータ(ソフィア・オリア)と引き離す。白昼堂々、愛人とSMゴッコ(当然のことながら彼女が女王様です)に耽る、肝の据わった正真正銘の毒婦を実に楽しそうに演じています。
彼女の欲望がどんな豪華な衣装でも誤魔化せなくなった時、顔にブツブツと湿疹が現れる特殊メイクにはぞわ~っとしました。新聞や雑誌の一面を飾る、社交界の花形から彼女を引きずり下ろしたのは(彼女のポジションを奪ったのは)殺した筈の義理の娘だったんですもの。
その罰として(口封じでもあるのでしょうが)、カルメンを仕留めそこなった愛人を殺し(プールに浮いていた死体)、一時的にストレス発散できたんでしょうか、出来物は嘘のように、その後は引いたみたいで、よござんした(笑)。

父アントニオ・ビヤルタが幼い娘カルメンシータに車椅子に乗りながら闘牛士の訓練をしていた場面で”牛から決して目を離してはいけない”と教えていたんです。で、この場面とカットバックしてあったのが毒婦エンカルナのパート。練習用の牛の模型の「目」と彼女の目を同列に繋いでるんですね。カルメンシアータが闘わなければならない牛は、闘牛場の牛、継母のエンカルナの2種類あったという事なんでしょうね。
そう思うと、カルメンシータのペット鶏のペペは雄鶏だったのも頷けます。「時を作る」雄鶏は、早朝一番に鳴いて太陽の前触れを知らせる、闇(悪霊)を追い払うお守りみたいなものだったんでしょうか。。

本作、全編モノクロなんですが、あらかじめカラー撮影したものをポスト・プロダクションで彩度を落としてモノクロにしたようで*1、フォトジェニックなロングショットの美しさ、序盤、擬似アイリスショットで始まる闘牛場へ詰めかける群衆の画(←先行する映画がありそうな所なんですが)、父アントニオの所有する豪邸、風に揺れる木々、祖母の家のパティオ、強い日差しと心地良い日陰 、カルメンシータの母が被っていた白いレースと、終盤闘牛場に現れたエンカルナ(継母)が被っていた黒いベールの対比。祖母自ら手作りしてくれた初の聖体拝領の日のドレスの白。そのドレスが真っ黒に染め上げられるおぞましいショット。たなびく真白い洗濯物のシーツが、まるで映画の「スクリーン」の様に影絵を映し込み、少女時代から娘へと一気に時間を駆け上るマジック。
ドイツ表現主義をはじめとするサイレント時代の映画が持っていた魔法がそこかしこに顔を覗かせる愉しみ*2だけではない、白黒の画がそこには映っていない筈の「色」まで連想させる━リンゴ、口紅の赤、雄鶏のトサカ、闘牛士のマント、流れる血、情熱的で毒々しい「赤」が脳内に溢れる、ちょっと奇妙な映像体験でした。

闘牛とフラメンコ

そもそも、闘牛場自体が「光と影」のイコンのような所があって、闘牛シーズンは春を迎える火祭りの後(3月)から冬の訪れの前(10月)までの期間、およそ「太陽」との関連がありそうな祭りにその原型があるんじゃないかしら?と予想してるんですが(まだ調べてないのでいい加減ですみません)、闘牛場の観客席は日向(sol)と日陰(sombra)、中間(sol y sombra)の3種類に分けられています*3
「闘牛」と言えば、真っ先に思い出すのが、フランシスコ・デ・ゴヤ(1746 - 1828年)の版画集『闘牛技(タウロマキア)』
http://www.city.himeji.lg.jp/art/digital_museum/meihin/kaigai/goya/tauro.html

熱狂的な闘牛ファンだったゴヤは現代闘牛のさまざまな様式が完成された18世紀を生きた、まさに闘牛と同時代の人だったんですね。彼が残した版画集にはモーロ(ムーア)人と闘牛との密接な関係が反映されており*4、過去イスラム支配の時代があったスペインの複雑な文化形成の一端が窺えます。
カルメンシータの祖母、母とも「フラメンコ」の達人で、フラメンコも18世紀の末、モーロ人(イスラム)とヒターノ(ロマ)、二つのエスニックグループがその成立に大きな影響を与えたと言われているもの。当時のヒターノ(ロマ)やモーロ人を簡単に被差別民とタグつけは出来ないでしょうけど、本作の終盤、過去の記憶を取り戻したカルメンシータが、闘牛場を埋め尽くす観衆の拍手と母の思い出のフラメンコが、劇判=音を通して結びつく印象的なシーンもありました。闘牛とフラメンコが父と母の血を受け継いだ彼女の中で完全に一体となって融合するんですね。

王子様のキス

全身マヒとなった父の姿は、同じく全身マヒ状態となった娘カルメンシータの姿とぴったり重なりあいます。父は本物の牛によって、娘は毒リンゴを仕込んだもうひとりの牛エンカルナの手によって…。父の葬儀の際、棺に群がり記念写真を撮ったり遺体を弄ったり、死者に対する冒涜じゃないの?とさえ思える傍若無人な態度を示す客たちの群れがありましたが、見世物小屋で運試しの道具にされていたカルメンシータも同じですよね。
「見世物」を欲する大衆の貪欲な好奇心は「小人闘牛団」にも向けられています。場末の闘牛場を転々とする浮草暮らしの「小人」達には、大衆のあざけりや冷笑こそが飯のタネだったんですよね。カルメンシータを呪縛するのは何も毒リンゴだけじゃない、文盲で文字が読めなかったから悪徳興行主に騙され「永久専属契約」で縛られる。そんな彼女をじっと見守り献身的にお世話をしていた男性が独り、小人闘牛団にいました。
彼女にキスした男(王子様)はふたり(見世物小屋の客は別にして)。最初は継母の愛人が無理やりにでしたけど、でもこの時、彼女は一端は意識を取り戻しているんです。
次が見世物小屋での小人の王子様のキス。伸びた髪を梳き(彼女の髪を梳いてくれたのは、祖母もそう)口紅をつけ、棺の隣に横たわる。小人症(こびとしょう)の彼が気おくれせずに彼女と寄り添えるのは、立ったままではなくて横たわった時でしょうね(視線の高さの違いがなくなるから)。小人の王子様のキスを受けた後、カルメンシータの目から一滴の涙が零れ落ちます。ココはいろいろ解釈が判れそうな所なんですが、私はこの涙は目覚めへの前段階だと受け取ってます。父の入院中は献身的に看病し、その後、掌返しをしたエンカルナとは違い、小人の王子様がカルメンシータを想う心に偽りはないでしょうし…。一緒にまた花火がみられるといいなぁ。。


*1:http://www.imdb.com/title/tt1854513/trivia?ref_=tt_trv_trv  Shot on color film stock and desaturated to black & white in post-production.

*2:http://www.imdb.com/title/tt1854513/trivia?tab=mc&ref_=tt_trv_cnn

*3:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B9%E9%97%98%E7%89%9B%E5%A0%B4

*4:http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/permanent/jousetu-winter2013.pdf