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最初の人間(ネタバレ)/作家の義務とは、歴史を作る側ではなく、歴史を生きる側に身を置くこと

■起源への旅
1960年、自動車事故で急逝したアルベール・カミュ未完の自伝的小説『最初の人間』の映画化作品です。著名な作家ジャック・コルムリ(ジャック・ガンブラン)の父親の墓参りから始まる本作。地中海の彼方にある祖国フランスの為に、一人息子が生まれてまもなく亡くなった(第一次世界大戦時、マルヌ会戦での負傷が原因)入植農民だった父と、その父親が死んだ年齢を既に超えてしまった中年男性が、故郷アルジェリアに戻り、過去を回想しながら、生まれて直ぐの時から「不在」のままだった父親との空白を埋め、やがてもう一つの起源「母」へと回帰していく物語です。厳格な祖母(おそらくカトリック)と、息子への揺るぎない愛の中で生きた母。心優しい叔父に、進学の道を開いてくれた恩師との出会い。白い石畳と青い海、光り輝く陽光、地中海沿岸地域特有の空気感は、そのままジャックの子供時代の情景と溶け込み、感傷に塗りこめられがちな幼少時代のエピソードに、乾いた心地よい情感を与えてくれてます。
父という、かつては存在した「中心」の不在を埋める擬似的な父的存在が面白いですよね。家族という閉じた空間で独裁者のように君臨する祖母も、母と同じく文盲なんでしょう?彼女と映画を観るシーンで、おそらく文字が読めない祖母は、それを知られたくはないために、字が読めるジャックをお供にして映画館に行っていたんですよね。ジャックが初めて祖母に反抗し、同じように抑圧されてきた母親とのささやかな共闘を、視線の交差だけで魅せる場面も大好きです。ジャックに煙草を教え、亡くなった父の話を聞かせてくれた叔父は、ちょっと複雑な人。海岸で横たわる彼の視界に入っていた女性と女児の存在もそうなんですが、叔父の手のひらに残る「傷痕」、彼なりの“戦いの跡“らしいのだけど、印刷工場の機械に手を伸ばす一人の男の映像があって(記憶が曖昧なんですけど)もしこれが叔父だったとするなら、彼の仕事中の負傷には、表層以上の意味があるのか、あるいは意味など最初から存在していない「不条理」そのものなのかがちょっと気になってしまいました。
本作、アクロバティックな演出も、過剰な劇判もなく、とても落ち着いてるんですが、何気ない描写にハッとする瞬間が何カ所かあって、一番印象的だったのが幼いジャックが母を探すように言いつけられ、海岸近くの林を抜けていく長回しのシークエンス。祭日なんでしょうか、音楽に興じ、ダンスを踊る人々の間を進んでいくジャックを捉える横移動の画から、カメラは彼の背後へと回り込み、その先に開ける空間がジャックの視点(彼の視界に入るもの。一種のPOVに当たるのでしょうが)と 重なってるんですけど、観客にはそれが何であるのかが分からないです。私はてっきり、彼の目前には青い海が開けるんだろうと思っていたんですが、それが見えないんですよ。この場面でジャックが視たものって、一体なんだったんでしょうか。。
フランス領からの独立を願うアルジェリアと、植民地の既得権益を手放したくはないフランスとの間で、政治的態度をあいまいにしたままのジャックは、著名な作家という立場から、右と左、どちらの陣営からも非難されてしまいます。アルジェリアで生まれ、貧しい生活の中でアラブ人に混ざり合うようにして暮らしてきたジャックには、アルジェリアとの共存と非暴力の理念がしっかりと根付いていて、アルジェリア独立の「正義」には心を寄せているんですよね。しかし、独立派の爆弾テロを目撃した彼は、彼のもう一つの起源である「母親」との紐帯から、母を傷つけたら自分はアラブ人の敵になるとまでい言わせてしまいます。“作家の義務とは、歴史を作る側ではなく、歴史を生きる側に身を置くこと”━この言葉がとても重くて、まだまだ咀嚼しきれていないのですが、とりあえずの感想はこんな感じです。。