東ベルリンから来た女(ネタバレ)/バルト海から吹く風

■海は嫌いなの
ベルリンの壁崩壊前の旧東ドイツの田舎町が舞台。監視社会の恐ろしさがサスペンスのフックとなって、とても緊張感のあるドラマで引き込まれました。ベルリンの大病院から田舎町の小さな病院に左遷された女医バルバラ(ニーナ・ホス)は、秘密警察「シュタージ」の監視下に置かれる身。医師をはじめご近所さんからいつ密告されるか分からない、疑心暗鬼の蟻地獄から自身を守るために、周りに溶け込もうとはせず、一線を画して、自ら孤立する道を選んでました。外国たばこ+赤いハイヒールといった「西側」の自由と豊かさを表象するイコンを、まるで鎧のように纏うヒンヤリとした美しい女には、ひりつくような孤独な影が忍び寄ります。秘密警察から受ける屈辱的な身体検査(担当する女性がゴム手袋をはめるだけで、どこに指を突っ込むのか分かりますよね)、常に監視されてる閉塞感、個人の自由を奪っておきながら、有能な医師としての能力だけは利用したい当局(社会主義国家)の身勝手さにはあいた口が塞がりませんが、バルバラは病院に勤める医師アンドレ(ロナルト・ツェアフェルト)との接触から、頑なだった心を徐々に開いていくようになります。
このお医者さんが良いです!未熟児用保育器で起きた事故でエリート医師としての未来を葬られてしまった男性ですが、その不運に心を腐らせることもなく(この心境に到るまでにはそれなりの時間は要したでしょうが)設備も不十分な田舎の病院で、自分にできる足元からの改革をコツコツ行い、常に患者に真摯に向き合う、とても素晴らしいお医者さん。丸っこい体型とやさしい笑顔の癒し系男性。保育器での事故でふたりの赤ちゃんから“光“を奪ってしまったアンドレが「地の塩」のように患者に寄り添う誠実さは、シュタージの関係者にも平等に向けられます。診療のお礼に差し出された、トマト、ナス、ズッキーニ等で作ったラタトゥユ、パスタソースにして食べてみたい!。フランス南部プロヴァンス地方の家庭料理は、冷戦構造なんか関係なく、とっくに「鉄のカーテン」を超えてますよね。意志の気高さを保ちながらも、常に足元をじっと見つめ、日々の生活の喜びを大切にする。彼、本当にこの小さな町を愛してるんだと思います。
鉄のカーテン」があった時代の抑圧的監視社会を体現する、無遠慮で暴力的な「視線」を遮る「カーテン」がとても有効に使われてました。真昼間からカーテンを閉ざしてピアノを弾く、カーテンの隙間から自身を見張る視線の在り処を確かめずにはいられない女の頑な心を開いたのもカーテンなんですよね。脳に重大な障害を負った少年と医師アンドレがいる病室を、バルバラはカーテン越しに覗いてました。彼女が西側へ亡命しなかったのは、偶然患者となったステラの事は勿論なんですけど、外国人専用ホテルの場面で恋人が言ったセリフ“西に来たら、僕の稼ぎだけで十分だから、君は何もしなくていいよ“(←うろ覚えですけど)━同じ医者とは思えない言葉に、バルバラは自身の中で眠っていた仕事に対する使命感を呼びさまされたんじゃないかと思ってます。森の中で、互いを貪るように求めあう激しい情熱も色あせるほど、彼女にとってあの言葉は衝撃だったんじゃないでしょうか。。
面白いなぁと思ったのは、バスタブでやっていたふたつの事。水を張ったバスタブに自転車のチューブを浸し、パンク箇所を調べてましたよね。次に、西側に亡命するためのお金を包んだビニールから空気を抜くために同じくバスタブに浸す。最初の自転車のチューブは空気を「満たす為」にやってたんですが、お金の時は空気を「抜くため」でした。ココはいったいなんなんでしょうね、茫洋としていてイマイチよく分からない。何かありそうな箇所なんですけど…。
バルバラが自由へのパスポート=亡命費用を隠した十字架、バルバラの患者となるステラが堕胎を拒んだ事、アンドレが患者の“光を奪ってしまった“と話していた事等々、本作、カトリックの影響も幾分、感じました。C・ペツォールト監督が信仰をお持ちなのかも知れませんが。。そうそう、公式ホームページに載っていた地図を見て驚きました。ステラが逃亡した労働所とバルバラたちの勤める病院って、ものすごい距離があったんですね。
http://www.barbara.jp/map/