ゼロ・ダーク・サーティ(ネタバレ)/死の陰の谷を行く時も

■コードネームはジェロニモ
キャスリン・ビグロー監督作らしい、骨太で男前な作品です。前作『ハート・ロッカー』は、ビグロー姐さんの趣味全開の(笑)、男だらけのホモ・ソーシャルな世界(実際の軍隊には多くの女性兵がいる筈です)でしたが、今回は女性が主役です。と言ってもそこに甘さを微塵も感じさせない硬派な口当たりは、既にお家芸といえるかも。。高校を卒業して直ぐにCIAにリクルートされたマヤ(ジェシカ・チャステイン)がビンラディン追跡の為に、新人からベテランに鍛え上げられていく行程が面白かったです。拷問のエキスパート、ダニエル(ジェイソン・クラーク)の下に送られたマヤが会得した技量を披露する、囚人を殴る係の軍人さんとあうんの呼吸で入れ替わる無駄のない動きが素晴らしい。その是非はともかくとして拷問の有効性を認識しているマヤは、表面上は冷静を装っていても、さすがに独りになれば動揺は隠せない。人の尊厳を奪う卑劣な行為は、CIAの威信を地に落しただけではなく、それを行う者を徐々に蝕んでゆきます。マヤもやがてはその底なし沼に足を取られて現場から離れざるを得ない運命にあったのでしょうが、同僚のCIA局員の死をきっかけに「生かされた者の使命」として、ビンラディン追跡に執念を燃やし始める。この辺りから、マヤを駆り立てるものが使命なのか報復なのか、復讐心をエサにするしかもう生きる目標を見つけられなくなっているのかといった具合に、あらゆる境が少しづつ曖昧になっていきます。この曖昧さは、最貧国の自爆テロから軍事大国の暴力行使までも包括する、テロ行為を巨視的に俯瞰させる視座と重なっていて、そこがマーク・ボール脚本の良さでもあるのでしょうね。
冒頭、9・11の映像を一切廃し、音声のみで伝えられる犠牲者の声は、9・11後のアメリカ市民がその後背負うことになる生き残った者の「使命」と、テロに怯え続けなければならない「恐怖」を住処に徘徊する「亡霊」のようでした。マヤが背負うものがとても分かり易い画があって、↓

ココに映り込んでいる星条旗とマヤの姿は、余所でも指摘されてますが*1ビンラディン殺害後、マヤ一人の為に用立てられた輸送機で、シートバルトを着用した彼女の背中にある付属品(←何なのかは分かりませんでした)が血によってボロボロになった星条旗のように見える場面と対置されてると思ってます。

映画の外部に関してこれだけは書いておきたいので、簡単に触れて置きます。暗殺作戦で、オサマ・ビンラディンにつけられたコードネームはジェロニモ。当時、ニュースで話題になっていて不快感を覚えたのを思い出してしまいました。これでは、ネイティヴアメリカンに対する屈辱と受け取られても仕方ないと思います。
イスラム革命の波及を恐れ、イランを封じ込める壁としてイラクのサダム・フセインに軍事支援を行い、混乱するアフガニスタンで、パキスタンを窓口にムスリム義勇軍(ムジャーヒディーン)に武器供与を行ってきたアメリカは、自らが育てた化け物に手痛い仕返しを受けたも同然。CIAや国防総省の見込み違いが生んだ混乱を収束させる国家的テロ行為を、映画や娯楽小説の中で繰り返し再生されてきたイメージとしての「野蛮な先住民」といった記号と同列にはできない筈なのに…。

*1:『痛んだ物体』のorrさんの記事 http://blogs.dion.ne.jp/orr_dg/archives/cat_68743-1.html