ザ・ガール ヒッチコックに囚われた女(ネタバレ)/ガラテイアは心が通じぬブドウ

■『鳥』━ファリックな暴力性、『マーニー』━大理石の女、そして『めまい』へ
サスペンスの神様ヒッチコックと、彼に見出された女優ティッピ・ヘドレンとの出会いと別れまでを描くテレビ映画。スターチャンネルで観ました。
どこかで聞いたようなお話だなぁって思いながら見てたんですが、後で調べてみて納得。原作がドナルド・スポトーの『Spellbound by Beauty: Alfred Hitchcock and His Leading Ladies』なんですね。ドナルド・スポトーのヒッチコック伝記は『ヒッチコック━映画と生涯(原題は「The Dark Side Of Genius: The Life Of Alfred Hitchcock 」)』という題ですでに日本でも出版されていたので、読んでました。TVCMに出ていたティッピ・ヘドレンに最初に目を止めたのがヒッチの奥さまアルマだった事。パールのネックレスに関する指摘、映画『鳥』にちなんだブローチのプレゼント、痩せすぎなのを心配したヒッチが、彼女の自宅にジャガイモを届けるエピソード等、共通点が多いです。アルフレッド・ヒッチコックが“クールなブロンド”女性に執着していたことは割とよく知られてると思うんですが、本作では執心を超えたセクハラの領域にまで達している(あくまで本作ではそう描かれているという事。どこまでが事実なのかは分かりません)のですが、有名な映画監督のスキャンダラスな恥部を暴くというより、歪んだ欲望により、一層孤独を深めていく男の物語になっています。
面白かったのが映画『鳥』での撮影時、ティッピ・ヘドレン(シエナ・ミラー)が独り屋根裏部屋へ入っていき無数の鳥に襲われるシークエンスの撮影時のエピソード。模型ではなく生きた鳥を使用し(しかもティッピにはその変更は伏せられていた)鳥たちが逃げ出さないように、スタジオ内に設けられたセットごとネットで蔽い撮影していたんですね。映画『鳥』の冒頭、小鳥店で偶然、弁護士のミッチ・ブレナーと知り合った”大金持ちで甘やかされた道楽娘*1がネットを張ったスタジオ=「鳥かご」に閉じ込められる。当初の予定では一日で終わる撮影が、何日にも渡って撮り直しが続き、彼女は精神的にも、肉体的にも追い込まれていきます。これに先立つ、電話ボックスに閉じ込められ鳥の攻撃を受けるシークエンス(本作では、ティッピはこのシーンの撮影中に、電話ボックスの割れたガラスで怪我負ってます)同様、“クールなブロンド”=ティッピが籠の中の鳥になっちゃうんですよ。
映画『鳥』では、何故、鳥たちが人間を襲うのか、その理由は明かされてませんが、鳥達は何のメタファーなのかと考えると色々妄想できる余白のある作品で、ミッチ・ブレナーの母親が抱く無意識の「恐怖」、自由奔放(イタリア旅行中に、裸で泉に飛び込む)で洗練された道楽娘が、夫亡き後、彼女を支えてくれた息子を奪っていくのではないかという「恐怖」が鳥なんじゃないかと今まで漠然と思ってたんですが、少し考えが変わりました。作品全体を貫く「恐怖」は原初の母性的なものを出発点にしているには違いないでしょうけど、本作で、電話ボックスを襲う鳥、屋根裏の鳥のシークエンスは、撮影中のティッピを凝視するヒッチのサディスティックな暴力性が強調されてます。もう一度『鳥』を見直してみたくなりました。
モデル出身の新人女優には不釣り合いな豪華な楽屋=鳥かごで飼われ、7年間にも及ぶ専属契約*2に縛られ、ヒッチに全てをコントロールされる抑圧から最終的に彼女を解放させたのは、『鳥』に続く長編映画『マーニー』の撮影終了だけではなく、ヒッチの彼女に対する異常なまでの執着は、キプロス島の王ピュグマリアンが美しい彫像ガラテアに恋をし魂が宿る事を望んだのとは全く真逆の、いつでも彼の欲望を投影できる美しい女性の姿をした「彫刻」=お人形を渇望している事に彼女、気づいたからなんですね。映画撮影においても、全てをコントロールしたいヒッチ(彼が屋外ロケを嫌ったのは、お天気だけはコントロールできないから)が築き上げた映画の王国で飼われたブロンドの小鳥=ティッピが外の世界に飛び立って行くラスト━自立した一人の女性として、度重なるセクハラやパワハラ(自分の下を去れば、この世界から干されてしまうぞ!と脅された)をかわし続け、自分を見失いそうになる恐怖と戦い、なんとか映画の完成まで漕ぎつけたティッピの流す晴れ晴れとした涙には、同じ女として共感できる部分が多かったです。寧ろ、出来過ぎの感があります。
93分 の言う尺の短さもあって、セリフに頼る部分が多いのは致し方ないとしても、助監督相手にヒッチもティッピも悩みを打ち明ける形で、それぞれが不安や恐怖を明確に言語化してしまってるんですよね。序盤で、既に彫刻の冷たさをイメージするmarble(大理石)という言葉を登場させたり、ヒッチ邸の庭で、鳥視点の俯瞰ショット→カラスの声と繋ぐ画を入れたり、映画『めまい』そっくりのショットがあったりで、心理的ショットをキチンと押さえる以上に、セリフでも説明してしまうのは、中盤でちょっとしつこいと感じてたんですが、ヒッチの欲望が明らかになる辺りから変化していきます。電話での会話、書斎での出来事、ヒッチの愛の告白をティッピは最後まで聞かずに、いつも土壇場ですり抜けてました。愛の言葉はその都度宙吊りにされ、虚空に浮いたまま行き場を失い、言葉を発したものの下に止まり続ける。彼の言葉が鳥かごに押し込められる。『マーニー』での最終撮影時でも、ティッピが去った後に、小さな声で“カット”とだけ囁いています。ティッピの耳に決して届くことのない響きには、孤独な初老の男の哀しみがより感じられて大好きでした。

*1:定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォーより

*2:ヒッチコック 映画と生涯より:当時、彼女(ティッピ・ヘドレン)は安定した収入の得られる仕事を探していた━離婚した母親として4歳の娘(『ワーキング・ガール』 『虚栄のかがり火』に出演したメラニー・グリフィス)を養っていく責任があったが、モデルという職業は不安定だったからだ。「私は映画スターは勿論、女優にもなりたいと思った事はないの」と彼女は語っている。「ロサンジェルスに来たのは、ニューヨークより条件のいい仕事を見つける為でもあったけど、庭と木があって、近所に遊びまわれるところのある家で娘を育てたいと思ったからなの