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ザ・マスター(ネタバレ)/砂の女を抱いてまどろむ

■ニューヨーク行きの船に乗って
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」から5年(それにしても寡作ですよね)、ポール・トーマス・アンダーソンの新作です。とにかく、画の吸引力が半端ない。デパートで、マネキン替わりのモデルさんが商品の毛皮のコートを着て歩き回る優雅な長回しの後に現れる写真用暗室の色使い、海軍施設からシンナー(?)を抜き取る時の赤い光、この世ならぬ「光の船」*1が現れるシーン、ポーチの前庭で、レスリングをやってるのか、じゃれ合ってるのか、女から見ると別世界の出来事のような(笑)男同士のファナティックな儀式*2をフィックスで捕えた場面、キャベツ畑の全力疾走、フレディ(ホアキン・フェニックス)の恋人が「Don't Sit Under the Apple Tree (With Anyone Else but Me)」を歌う場面での、ぽっと上気した体温まで伝わってきそうなクローズアップ等、印象的でした。
第二次大戦直後のアメリカ、元海兵隊員のフレディ、新興宗教団体“ザ・コーズ”のカリスマ教祖ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)とその妻ペギー(エイミー・アダムス)の三角関係を軸にドラマが進行していきます。船のスクリューが作り出す波を船尾から俯瞰で撮ってる場面、確か三回*3あったと思うんですが、波の画をインサートすることで物語の大きな骨組みを明示しているんですよね。「ザ・コーズ」は設立から間のない黎明期で、家族経営(ファミリービジネス)のような所があって、幹部を家族(血縁)で固めてる。そこにアルコール依存症セックス依存症でもあるんですが)+戦地で受けたPTSDを抱える野獣フレディを、ファミリービジネスの屋台骨を揺るがす異物として危険視する(半ば嫉妬もあるでしょうが)ドッドの妻が面白かった。酔った夫を介抱してるのかと思いきや、自慰のお手伝いだったのには驚きました。あれなら洗脳、お仕置きの類ですよね。カリスマ教祖をコントロールしてるのはこの妻。ドッドには数回離婚歴があり、前妻との間にできた子供達も教団幹部に収まってる。歳の差カップルで、彼女も最初は信者だったんでしょう、まぁ信者さんに手を出すドッドの女癖の悪さは身をもって知っているでしょうし…。女児を生み、その上妊娠してる━子を持った女はやはり強い!です。
ドリスとフレディが最初に言葉を交わすシークエンス。煌々と灯る光と、漏れ聞こえる音楽に吸い寄せられるように船に乗り込んだフレディは、酒に酔って前夜の事をまるで覚えていませんでしたが、彼の作るオリジナルカクテル(シンナーなどの揮発性の薬品とか市販薬が入ったとんでもないお酒です。肝臓、壊しちゃいますよ)の強い刺激の虜となったドッドが、徐々にフレディ自身に興味を持っていく心的な変化、切り返しの度にドッドから見たフレディの姿がほんの少しだけ大きくなっていくのが可笑しかった。「だるまさんが転んだ」と言いながら遊ぶ子供の遊戯があるでしょう?あれみたいでした。最後にはクローズアップで終わるんじゃないかとちょっとドキドキしましたが、さすがにそこまで下品なことはなさいませんでしたけど。。還るべき場所(家族)も、帰属する共同体も持たない寄る辺なきフレディが、坂道を転がるようにドッドに傾倒していくのは理解できます。教団独自のメソッドで醜い部分を全てさらけ出した後、ソシオパスの疑いさえある彼を受け入れてくれたドッドに、新しい家族を得たような思いだったのでしょう。
船上結婚式の場面でドッド自身が話していたように、教団を一つの「船」なんだと考えると、彼が艦長(マスター)には違いないんですが、船の操舵は妻に権限があるんですよね。信仰で結びついたファミリーと、血縁で結びついた家族が乗り合う「船」を纏め上げる人間的魅力にあふれた人格者の「看板イメージ」を保つ為に、彼自身が切り捨ててきた部分をそっくりフレディが持ってるんだと思います。そこにドッドは強烈に惹かれてます。教団に敵対する勢力(ココには国家や司法も含まれる)、教義に論理的な「異」を唱える部外者、できるならドッド自らの手で完膚なきまでに叩きのめしたいのだけど、立場上それが叶わないものだから、組織内の武闘派(とは言ってもあの性格ですから、条件が整えば勝手に飛び出してくれる)フレディに担わせる。女に対しても自由に(見境ないともいえる)欲望出来るフレディ(何せドッドには自慰の自由もないんですもの。ひょっとしたら奥さんの手でしか起たなくなっているのかも?もしそうなら、妻によって精神的に去勢されたようなもの)*4はドッドが封じ込めている欲望の代理充足なんですよね。
■イギリス行きの船に乗って
ドッドからの呼び出しを受け(←ココは後で触れます)フレディはイギリスに向かいます。欠落した部分を補完しあうことのできる両者の、唯一無二の関係性は、第二次世界大戦で戦勝国も敗戦国も疲弊し荒廃したヨーロッパの老大国(イギリス)と、戦時下で経済力をつけ超大国となった若きアメリカとの関係に置き換え可能だと思います。ドッドの望みは、老いた大国がその長い歴史の中で培ってきた経験と叡智を差出す代わりに、若き大国の貪欲なエネルギーを吸収する事だと思うんですよ。ウロボロスの蛇のように互いのしっぽを飲み込みながら、循環しつつ安定した「円環」へと一体化する。これなら、いずれ新世代が成長しライバルとなる事もない、「独立」=巣立ちを阻むわけですから。。
前作「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の終盤でも、ダニエル・プレインヴュー(ダニエル・デイ=ルイスと)とH.W.、血の繋がらない「父と息子」の離反が描かれてましたが、本作のドッドとフレディも同じだと思います。ダニエル・プレインヴューは金掘りの穴で落下した際の怪我で性不能(肉体的に去勢された)になったと思っているんです。その後の彼の生活には、全く女の影がない。ニセモノ弟が娼婦を買うのにも露骨に不快感を表してましたし。。彼のリビドーは石油(象徴的に女の位置を占めているモノ)だけに向かい、“手つかずの大地(処女地)”に眠る“女”を独占したい欲望に突き動かされてるんですね。その父の片腕として石油事業のすべてを学び、そのノウハウを生かして自前の油井を持ち、父から「独立」したい息子H.W.と真っ向から衝突します。息子の出生に関してあらん限りの罵声を浴びせるダニエル・プレインヴューは、わが身の半身を失ってしまった孤独な男の咆哮のようでした。
家族にしろ教団しろ、閉ざされたミニマルな社会でカリスマを得た指導者=父は、権力の集中とその恩恵を独占したがるものなんですが、ドッドは妻から精神的に去勢されているからそれが出来ない。彼のリビドーは行き場を失い宙吊りにされてしまうんですね。ニューヨーク行きの船の中でフレディに対して行った「プロセシング」(自己啓発セミナーみたいでとっても気持ち悪かった)で、ドッドは“妻ペギーに欲情するか?”と尋ねてました。その後、フィラデルフィア(だったかな?)の上流家庭でのインチキ催眠術の施術+パーティーで、酒に酔ったフレディは女性客すべてのヌードを幻視しています。そのビジョンにはおばあさんから妊娠中で腹の迫出したペギーまでも含まれてました。父の妻(母)を欲望してはならないという父からの絶対の命令が守られて初めてエディプス・コンプレックスは”正常“に機能しますが、彼には何故か通用しないんです。
■On a Slow Boat to China(中国行きの船に乗って)
映画館でフレディが古いアニメ映画*5を観ていたシークエンス。「目標設定ゲーム」中にバイクで遁走した後、ドッドはフレディの居場所を知らない筈なのになぜ電話がかかって来たのか不思議だったんです。で、wikiの英語版やIMDBを探したら、この場面はフレディの見たvision(夢)で、彼は夢を一種のお告げのように解釈したんでしょうか、夢で見た通りにイギリスに向かったんじゃないかと書かれてました*6
*7南国のビーチの砂で人体を作り戯れ、海に向かって自慰をしていたフレディが、ラストでは、ビーチの砂で作った女の傍らに横たわる所で終わる円環的構造なんですけど、女の直感でフレディが教団の脅威となると分かってる妻ペギーが、訓練と称してあの手この手で洗脳しようとしていたシークエンスで彼のビジョンに現れた「砂の女」は、波に洗われて崩れ落ちる、危機的状況にありました。「砂の女」は、孤独である事を受け入れて初めて手にできる、何者にも強制されない「自由」の象徴なんでしょうね。イギリスで再会したドッドが歌う「On a Slow Boat to China」はラブソングです。ついに所有する事が出来なかった失われた対象━息子への哀切な思いが込められていて、グッときました!。「マスター」を必要としない“自由な人間”フレディは、この先どこへ向かうのでしょうか…。彼が夢想する南国の浜辺は、この世のどこにも存在しない、彼のインナースペースなんですよね。あの場所が外に向かって開かれているとは到底思えないんです。内に閉じることで得られる不可侵の領域、無為と無能の中に自ら閉じてしまっているようにも見えるんですけど…。

*1:光はほとんどの宗教で「神性」を意味しますが、闇から見つめる光となると、通過儀礼(迷宮内を照らす光)的な意味合いなのかも

*2:教祖がフレディを見捨てずに受け入れた事を他の信者(特に妻)に知らせる為でもありますが

*3:1.冒頭からドッドと出逢い、「プロセシング」を受けたフレディがドッドを信奉する蜜月期間 2.ザ・コーズのメンバーとして活動をはじめてから離反するまで 3.イギリスでの再会とラストまで

*4:ドッドが執筆した2冊目の本のタイトルは「The Split Saber(割れた剣)」。これもファルスの去勢を連想します

*5:この映画のタイトル、分からなかったんです。お化け?が登場してたみたいなんですが

*6:http://en.wikipedia.org/wiki/The_Master_(2012_film):While Freddie sleeps in a movie theater, Dodd mysteriously locates him and talks to him via telephone, although this may be a vision. Dodd informs Freddie that he is now residing in England and that Freddie must join him as soon as possible. Taking the dream literally, he travels across the Atlantic to reunite with Dodd.

*7:http://www.imdb.com/title/tt1560747/synopsis?ref_=tt_stry_pl:While sleeping in a movie theater, Freddie has a "vision" of Dodd, who calls him by telephone, having mysteriously located him. Dodd informs Freddie that he is now residing in England and that Freddie must travel and join him as soon as possible. Taking the dream literally, he travels across the Atlantic to reunite with Dodd.