セデック・バレ(ネタバレ)/君がため 醸みし待酒 安の野に 独りや飲まむ 友無しにして

■高貴な野蛮人
1930年に起きた台湾原住民による抗日暴動事件「霧社事件」を『海角七号/君想う、国境の南』のウェイ・ダーションが、脚本、監督した歴史大作。上映時間4時間36分の完全版を観てきました。長っ!さすがに首がガチガチに…。台湾の山岳地帯に住む狩猟民族「セデック族」は高い身体能力を活かし、険しい山中にある先祖伝来の森「狩場」を駆け巡ります。獲物となる動物を与えてくれる豊かな森の支配権をめぐって、同じ山岳民族同士の争いが起きますが、敵対する部族の殲滅ではなく、頭目の首を挙げる事=首狩りが一種の宗教的、信仰的な厳格なルールの内に在り、標的が獣であれ人であれ「狩ること」が通過儀礼的な役割を担ってるんですね。見事、首を挙げた若者は部族内で英雄と讃えられ、一人前の「男」となる。森を中心に峻嶮な山間で展開する戦闘シーンは素晴らしいと思います。鋼のような男たちの肉体が、飛び跳ね、滑り落ち、駆け出す。狩猟民族の先祖礼拝と密接に結びついた森(土地)に対する素朴な信仰は、原初の荒々しさと躍動感に祝福されていて、血なまぐささよりもアドレナリンでまくりの多幸感さえ感じました。劇判も打楽器を中心とした力強いもので、狩猟場面によくあってます。
アクションシーンは『オールド・ボーイ』に関わったヤン・ギルヨン、シム・ジェウォンらの韓国組が監督したんですね。緑陰濃い森を縦横無尽に走り抜ける男たちの姿を多彩なカメラワークで魅せてくれます。開けた場所ではないので段取りは大変だったろうなぁ。。台湾は日本より南に位置し、亜熱帯から熱帯にまたがる気候帯ですけど、セデック族の居住区は高地にあるため日本の植生ととてもよく似ています。これだけ濃密な自然環境に囲まれながらアミニズムや汎神論的宗教観にならないのが不思議でした。森の主のような樹齢数百年を経た大樹(ご神木)が登場するのかしらん?って、もう「もののけ姫」なんですが(笑)、ちょっと期待しましたから。終盤、セデックの女たちから語られる「太陽と月」の民間伝承(神話)も、太陽=男、月=女で、この世では引き裂かれてしまう夫婦の情愛の表現でしたし。。
で、色々引っ掛かりがあったのがドラマパートのほう。日本統治時代のコロニアル(植民地)政策の非道ぶりが描かれます。駐在所を設置し警察組織を中心とした治安維持体制下、台湾原住民に徹底した「同化政策」を行い、顔の入れ墨や首狩りをはじめとする「野蛮」な行為を禁止、武器を取り上げて低賃金労働に従事させる。日本語教育も行い、日本人と原住民族が混在する街には朱塗りの鳥居まである。*1征服者の自覚なき傲慢さは、同じ日本人としていたたまれなくて観るのがちょっと辛かった。軍属の将官、鎌田弥彦 (河原さぶ)がセリフではっきりと語っているように“「野蛮」な原住民族に、我々日本人が「文明」を教え与えてやった”*2という驕りから、長らく抑圧されてきた原住民族の反撃を機に「文明人」と「野蛮人」の関係が反転します。神出鬼没のゲリラ戦に手を焼いた日本軍は化学兵器と(開発研究中の毒ガスが使用されました。この件に関しての真偽には諸説あるようですが)、同じ山岳狩猟民族を傭兵に雇い、同士討ちをさせる。その為に禁止事項だった「首狩り」を復活させました。「文明人」の筈の日本人が「野蛮」な行為に手を染めていくんです。本来帰属していた共同体から無理矢理引き離す同化政策ダブルバインドがこれほど明確に分かる所はないです。原住民族に対する暴力を正当化するために「蛮族」と「文明人」というアイデンティティの境界を設けた矛盾が一気に吹き出す。それをわざわざ将官、鎌田弥彦にセリフで語らせてしまうのはいかがなものかと…。もう、野暮ですよ(ぼそッ)。
モーナ・ルダオ(リン・チンタイ)達の戦術に翻弄され、空焚きのヤカンのように猛り狂い怒号を挙げていた将官(将軍と呼ばれてましたが)、終盤、勝つ見込みのない戦いの末に自決していったセデック族の男たちに、今度は“大和民族が100年も前に失った武士道を台湾でみるとは”と感嘆してみせ、同じ精神土壌に依って立つ者同士としての賞賛を口にする。私、ココで興ざめしました(笑)。民族の歴史的アイデンティティ、歴史の片隅に埋もれてしまう被征服者の物語を子孫に残す為に勝ち目のない戦さに突っ込んでいったセデック族の高貴さを称揚するのに何故、武士道を引っ張り出してくるのかがよく分かりません。武家の家系なんでしょうが、日本では既に失われてしまった(武士)の美徳、高貴な精神を台湾の蛮族の中に見出す、相互理解の難しい、時に脅威となる「他者」を、失われた高貴な精神に対する憧憬として回収してしまう、しかもその憧憬の源泉は常に「私」の側にあるわけですから。鏡像としての他者ではなく、私ではない「他者」を理解する困難さは不問にされている、少なくとも細心の注意を払って扱われていないと思うんですよね。将官がセデック族と、許容できる既知の概念以外で理解を深めた過程は全く描かれていないので、唐突に武士道の話が出てきて面喰ってしまったんです。不思議なのはアメリカ映画でよく描かれる高貴な野蛮人の構図(「ラストサムライ」の例が一番分かり易いと思います)を再現したのが台湾の監督だった事なんです。日本の将官が「その程度」の人間だと描きたいのならまだ納得できるんです、でもそうじゃないでしょう?監督は親日家らしいのですが…何なんでしょうね。
■鉄線の橋、木の橋、虹の橋
占領後、台湾で治安維持に当たっていた警察内に、セデック出身の若者が二名いました。日本側から見れば蛮族、セデックから見れば日本の犬、彼らの内部で複合するアイデンティティがモーナらの決起によって対立し軋み始め、そのどちらかを選択しなければならない状況に追い込まれていきます。日本の着物を着て、日本人として自害した花岡一郎(ダッキス・ノービン)と、セデックの民族服に身を包みセデック人として死んでいった花岡二郎(ダッキス・ナウイ)。複数のアイデンティティに引き裂かれた両名の悲劇は勿論ですが、小島源治(安藤政信)も警官として現地民族と関わるうちに、現地語を学び、セデックに対する理解がある分、モーナが起こした暴動に心を痛めるだけではなく、大切な家族も暴力に巻き込まれて失い、その弔い合戦に身を投じてしまいます(終盤、セリフでの説明だけでしたが)。現地民族の中で生活すれば、おのずと理解は深まる。たとえ時間のかかる行程でも、矛盾を抱えながらの迷いはあっても、その道を見出すことは出来ます。本来なら安藤やダッキス達らが、民族の違いを超え「架け橋」となるべき人たちなのに、流血はその大切な人の命をなぎ倒してしまうんですよね。統治にあたって、日本はこの山深い奥地に立派な鉄線でできた橋を架けていました。セデック族はこの橋を利用せず、昔からある木製の橋を利用する。セデックの土着信仰に登場する虹の橋は、先祖と彼らを結ぶ来世に架かる橋。何より必要だったのは、この世界に架けられる人の繋がりの橋だったのに…。警官組織には、多彩な人物が配置され、一応、ドラマとしての奥行になってるんですが(ハンサムな安藤さんを現地民族に理解ある警官に、セデックの祝いの酒を断り、暴動の発端を作った日本人にはそれらしい卑小な役者をあてがう。露骨なほどの分かり易さ)、軍部はトップダウンの一枚岩のままで、かなり省略されてますね。軍部内の分裂というより、治安維持を行ってきた警察機構と軍との間の軋轢がないのも物足りなかったです。
男たちの誇りを賭けた戦いの影で、何の力も与えられてない女たちの置かれた状況は辛かったですねぇ。男たちが潜んでいる洞窟に残り少ない食料を子供たちに届けさせ、自分達は次々と木に布をかけて首をつっていくのには、もう言葉もない。。他に選択肢がなかったのか、父(男)が死にゆくのなら、子供たちを守るのは女しかいないのに…。そこまで追い込まれた状況だったと重々理解していますが、たとえそれが先祖の霊に背く、不名誉極まりない行為であっても、何が何でも子どもたちの為に生き抜こうとする母親の姿を見たかったです。面子やプライドなんか煮ても焼いても食えやしないよ!と豪語するような女性、その場にはいなかったんでしょうか…。自死をしなかった女性達が、暴動の鎮圧後、山に潜伏している夫たちに酒を届けるエピソードも、私は男たちからよりも、女たちが自らの言葉で語るに値する「女たちの物語」も聞きたかったなぁと思います。挿入される歌詞にその片鱗はうかがえますが、音楽が過剰に情緒的で、感傷的な旋律に誤魔化されてしまうそうだったので。。モーナたちは、幸運にも生き残った子供たちに向けて、子子孫孫語り継がれる民族の歴史物語を自分たちの血と引き替えに作り上げました。願わくば、その物語が未来に向けての希望の灯りとなり、日々の生活を紡ぎながら、ただじっと足元を見つめる眼差しに宿りますように…。
日本の旗がモーナの瞳にメラメラと映り込んだり(古い喩えですけど『巨人の星』か!と突っ込みたくなった)、炎の中から武装した男たちがわっしょい!と出てきたり(←イメージや心象を可視化してるんですね)、血を吸ったような赤い桜の花びらが、山に潜むセデック達に投降するように呼びかけるビラに変わったり、所々漫画チックな画作りも…。一番の主役は、あのロケ地です。深山幽谷の隘路、峻烈な川の流れ、深い森、竹林…。虹のかかる晴れ間より、降り続ける雨音が印象的な作品でした。疑問点がひとつ。モーナが飼っていた犬にエサを与え、その後刀を突き付け後を追うな!とお別れの儀式をした後、この犬が警官の帽子(←だと思うんですが)を咥えて再びモーナの前に現れる場面。あの犬はモーナ達とは別の所で私も戦っています、ご主人様。って事なんでしょうか?

*1:詳しい描写はなかったのですが、「鳥居」だと明治維新から第二次世界大戦までの国家神道を連想してしまいます。興味のある方は「高砂義勇隊」で検索してください

*2:http://www.u-picc.com/seediqbale/about.html「台湾原住民」とは、17世紀頃の福建人移住前から居住していた、台湾の先住民族の正式な呼称。中国語で「先住民」と表記すると、「すでに滅んでしまった民族」という意味が生じるため、この表記は台湾では用いられていない。現在では憲法で「原住民族」と規定されている