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イノセント・ガーデン(ネタバレ)/靴擦れが出来た日


■唇は黙し、ピアノは囁く━The Merry Widow(陽気な未亡人)の憂鬱
誕生日ごとに贈られるサドルシューズをキチンと箱に納め、ベッドの上にずらーと並べたその中心に胎児のように丸まってるインディア・ストーカー(ミア・ワシコウスカ)の姿がとても印象的で、あの画だけで本作のイメージが固まってしまいました。パタパタと走り回る幼児の足音を挟んで、18歳の現在から一瞬で過去へと遡る鮮やかさはお見事。パク・チャヌク監督は「円形(円環)」に拘りのある人で、キー・ビジュアルに必ずと言っていいくらい登場させます。「eviled egg」になるゆで卵、フンコロガシの糞玉、鳥の巣と卵の模型、外界と隔絶した豪邸の庭にひっそりと埋葬された犠牲者たちの石の墓標等、本作でもかなり登場してますけど、このシークエンスが一番好き。出口のない閉じた回路=円の内側で庇護され「目覚め」の時を待っていたミアにとって、あの靴は彼女を守る殻だったんでしょうね。靴擦れが出来てしまうほど円の内側で成長した彼女に、チャーリー(マシュー・グード)が下僕のように跪き、恭しく女王を迎えるセレモニ―に登場したのはクロコダイルのハイヒール。ハイヒールが性において象徴的な位置を占めてる、しかもマゾヒスティックな性的倒錯の記号であるという既に定着しているイメージの上に、靴を履きかえる瞬間にあえぎ声を漏らすミア(笑)を加えずにはいられない、下品すれすれのあざとさもパク・チャヌク印ですね。ピアノの連打シーンや、シャワー室での自慰より、私はココが一番エロいと思いました。洗練されて取り澄ました相貌のエロスよりもっと土着的なんですよ。「恨」という韓国独自の、無尽蔵とも思えるエネルギー磁場で渦巻くエロスは、重心の低い地を這うような感情を伴い、胃もたれしそうなくらいごってりと盛られた強烈な個性となってたんですが、ハリウッド進出第一作目に当たる本作では、作品舞台が変わったせいか、より洗練の方にかじ取りされてるみたいで、冒頭のフラッシュバックの独特なリズム(←ちょっと類似作品を思いつかない)から、幼少のチャーリーが作っていた砂のお城からカメラがせり上がっていく所、滑り台の下に掘られた深い穴の真俯瞰の画等、要所で魅せる華麗なカメラワークを愛でる作品でしょうね。監督がリスペクトしているヒッチコックよりも、ヒッチ経由のデ・パルマみたい…。中でも豪邸の優雅な階段で起きるドラマの数々には引き込まれました。ミアが大人のリチャードと肩を並べる為に、文字通り一段、階段を上る所。父の書斎から持ち出した手紙からリチャードの過去を知るシークエンス。クロコのハイヒールを履いた娘が自分のライバルだったと思い知る事になる母イヴリン(ニコール・キッドマン)のキッとした眼差し。ファミリーメロドラマの特権的トポス「階段」は映画ととても相性が良い、そんなことを改めて感じました。
ヒッチコックの『疑惑の影』のオマージュというか、影響があるようですが、登場早々から既に怪しいチャーリーおじさんの動向には興味はなくて、物語の推進力となる仕掛ぐらいに思っていて、それより、覚醒した娘と、その娘と長年不仲だった母親との確執がチャーリーという異物を挟んで炙り出される、女同士の内圧の高いドラマを期待したんですが(予告篇を見た限りではてっきりそうだと思ってました)、母イブリンのキャラがどうにも掴めず、未消化のモヤモヤが残ってしまいました。イブリンは結婚生活の中で抑圧されていたみたいで、夫の死をきっかけに、母も目覚める(笑)。ひとりの男を巡る三角関係は、目覚めと解放の時をじっと待っていた二人の女の直接対決なんですよね。イブリンはチャーリーと踊った時に“あなたが誰だろうとかまわない”と話してましたけど、この台詞は終盤、娘から愛情を向けられなかった母親の哀しみとして変奏されて登場します━“あなたはいったい誰なの?”。眉間にしわを寄せていつも不機嫌そうな娘の方が、アルコールを手にしてばかりいる母親よりどっしりと落ち着いてる。イノセント=無垢は、自身が受け継いだ血に目覚めるミアより、名家の中で飼われ続けてきた母親の方により似つかわしいと思えます。メイン・ダイニングの洗練された色調とは違い、彼女の私室の、「赤」い壁と所狭しと並べられた「緑」の観葉植物のどぎついコントラストは、情熱的で奔放な生活を求めるイブリンの潜在的願望が透けて見えるようで、「サマーワイン」を聞きながら欲望のままに自身を解放する夢想をするイブリンの方が随分と、乙女チックな人だなぁと。。満月の夜、深い森の中で*1、チャーリーとの共同作業=殺人を成し遂げ「通過儀礼」を果たしたミアは、母と同じシルクのスリップを着て彼女の私室に入ってましたけど、母の方はやっと娘が心を開いてくれたとかすかな期待もあったのでしょうが、髪を梳かしながらのミアのフラッシュバック(イブリンの髪が、猟場の草むらに変わる)から考えても、この訪問は敵陣視察、父親から狩りのコツを習ったように、その手練手管(男に対するリアクションの取り方)を盗んでやろう(学習しよう)と意欲満々で、イブリンが完全に押されてますよね。で、私はココからの母親の反撃を観たかったんです。娘に愛されなくても、名家の奥さまとして母親としてのプライドと体裁は一応、彼女死守してるんです(チャーリーを私室に呼んだ時、<不適切な関係>ではありませんよのアピの為、ドアを開けておいた)。でも、それだけでは収まらない生身の女の部分も匂うんですよ。例えば、チャーリーの正体に気づいたイブリンが、“娘にだけは手を出さないで、私を抱いてもいいから”みたいな事をしれっと言っちゃうのは“とにかく抱いてくれるのなら、私は何でも構わない!”と自ら告白しているように思えて仕方がないんです(笑)。夫の遺品を燃やし、ベッドルームで着ていたガウン(←これは夫との性生活の記憶が染み込んだもの)まで焼いて生身の女を封印しようとしたのに、捨てきれなかったんでしょうかねぇ。かなり穿った見方だと自覚はありますが…。血に導かれ、無事に覚醒、解放→巣立ちを果たしたミアとの対置で、イブリンにももうひと捻り欲しかった。後、そうですね。ベッドで手足をバタつかせているミアのカットがなかった方が、彼女の闇が受け継いだ血によるものなのかどうかが最後まで曖昧なままになって、サスペンスとしては面白かったんじゃないかと思います。全てが血との因果関係に繋がるより、ミアの闇がどこから来たのか分からない方が私は好き。スタンド・アローン状態で、尚且つ母のブラウス(女の部分)、父のベルトと狩猟のテクニック、おじからのハイヒール―それぞれのギフト(それぞれのキャラの特性)さえ自身に取り込んでしまう底知れぬ闇の貪欲さを観たかったですね。

*1:森を舞台に少年少女の通過儀礼が行われる民話、童話はたくさんあります。少女の通過儀礼が禁忌も含めた性的な要素が含まれるのは韓国でもそうなんでしょうかね。それともシャルル・ペローをはじめとするヨーロッパの童話を源泉としているのでしょうか