しわ(ネタバレ)/記憶は時空を超える

■私はまだ死んでない
パコ・ロカのコミック『皺』を基にイグナシオ・フェレラスが監督したアニメーションです。医学の飛躍的進歩によって平均寿命が伸び、人生の終盤に到ってもお迎えはなかなか来ない。体は衰え、身の回りの事もおぼつかなくなるのに、死に至るまでの長い時間とどう向き合うかを、介護施設に入所する個性的な老人たちの日常を通して描く作品。「老い」の問題は家族を含め介護する側の視点が入ることが多いのですが、本作はその辺りはさらりと触れているだけで、オミットされています。主軸は人を人たらしめる「記憶」を徐々に失っていく「アルツハイマー型認知症」、老人たちの「恐怖」の対象を当事者の老人たちがどう受け入れていくか、その変化を丹念に追ってるんですね。
老人ホームと言っても、入居者の健康状態は様々なんですが、この施設の2階部分、重度の認知症患者が収容されている恐怖のエリア、漏れ聞こえてくる叫び声、2階に移されたら最後、二度とそこからは出られない現実が老人たちを縛る枷となっていて、軽度の認知症の老人を騙しては小銭稼ぎをしている現実主義者のミゲルも、やはりそれを一番恐れています。クローゼットに自殺用の睡眠薬まで用意してましたから。。長年銀行に勤め、真面目で実直な性格だったエミリオと偶然同室となったミゲルは、エミリオの症状の進行を正確に把握しながら、彼との関わりで生まれた友情を失いたくはないために、あの手この手で、エミリオの「2階行き」を妨害します。医者の問診に対する答えをカンニングさせ、診療室のドアの鍵穴をチューインガムでふさぎ、火災警報器を鳴らして問診を中断させる…。その場限りの対抗策を講じても、エミリオの病状の進行を食い止めることは出来ず、ミゲルはやがて追い詰められてしまうんですね。食事用のスプーンとナイフの違いも分からなくなったエミリオを気遣って、メニューをサンドウィッチに切り替えるよう手配する繊細さを持ち合わせているミゲルは、こっそりレンタルしたスポーツカーでの事故で、エミリオを「2階行き」にさせてしまう、決定的な原因を自ら作ってしまいます。エミリオの認知症の症状を一気に加速させてしまった罪悪感と孤独から自殺を考えたミゲルを救ったのが、エミリオの残した「記憶」でした。本作でここが一番厄介な所だと思います。数日、いろいろ考えてはみたんですけど…。
認知症のエミリオは、自分でベッドに隠した財布や腕時計の事はすっかり忘れて、モノが無くなったと大騒ぎしてましたけど、ミゲルにはベッドの下にそれらの品が隠されている事を知った後に、自殺を思い止まり、彼のお得意さんだった老人たちに、様々なギフト(贈り物)を届ける劇的な変化が訪れます。認知症の老人たちの「空想(過去の記憶)の世界」を肯定するようになるんですよ。遠い過去、かれらの記憶の中にだけ存在する時空間と現実世界を地続きにするお手伝いをするんですね。自殺用の薬を拾おうとして、腰を屈めた視線の先に、エミリオの「記憶」が残っていて、それが視界に入ってくる。見る視点の変化がミゲルの「気づき」に繋がってるんですが、モノが無くなった!私は知らん!と、取っ組み合いの喧嘩をしたことも、おそらくエミリオは覚えていないんでしょう。鍵のかかったプールに忍び込み、ふたりで泳いだ記憶も、スポーツカーをぶっ飛ばした記憶もエミリオには残っていない。ミゲルの事さえ覚えているかも疑わしい。アルツハイマー症は新しい記憶から失われ(新しい体験が記憶として定着しない)ますから。それでもミゲルは、エミリオの「記憶の中の時空間」に自ら越境することで、彼の記憶の住民になる方を選択したという事なんでしょうか。それは若く美しい妻との記念写真の中に生きる幼少時の息子かも知れないし、銀行の支店長室で融資の申し込みに来た顧客かも知れない。長い人生の中で宝物のように残されている大切な思い出、認知症の車椅子の老人にも、かいがいしく世話を焼く妻との美しい思い出がありました。食事時、同じテーブルを囲んでいた友人が、一人減り、二人減りし、一人ぼっちになった老女が主のいなくなった椅子を一瞥した後、日がな一日、窓辺に陣取り、オリエント急行に乗ってる空想(過去の記憶)の世界に生きてる老女の部屋を訪ねる場面も同じなんでしょうね。夫の待つイスタンブールに向かう車内で、豪華な毛皮を纏った貴婦人の目には、年老いた女も若く美しい女性に変わっていました。認知症の老人から見た「世界」を描く視点は本作の白眉でしょう、優雅なアーチを持つ石造りの橋を進む列車が登場するシークエンスの美しさにはため息がでそう。。
主な登場人物が介護施設のご老人ばかりなので、飛んだり跳ねたりはしないのが当たり前。アニメーションの命である「動き」を封じられている上に、バン!と見栄えするレイアウトや動的なカメラ視点もほとんどありません。シンプルな描線が、老いの見た目の醜悪さを上手く中和させ、徘徊や人格変容等、アルツハイマー症の深刻な部分も避けてあります。老いの実態を鋭く抉るのではく、老境にあっても、人は変わることが出来る、その初々しさ、瑞々しさを認知症の老人視点でインサートする事で成功した作品だと思います。銀行での融資をしているエミリオが自宅ベッドにいる現実に引き戻される冒頭との対比で、オリエント急行での一幕をラストに持ってきてあったら最高だったんですけど。。