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風立ちぬ(ネタバレ)/風は吹いているか、ならばまだ生きねばならぬ

■ゼノンのパラドックス━アキレスと亀

堀越二郎と本庄がドイツに視察旅行した際、その圧倒的な技術力、工業力を目の前にして「アキレスと亀」の寓話に擬え、亀(欧米の列強)に決して追いつく事の出来ないアキレス(日本)の現状を憂うシークエンスがあります。堀辰雄の小説『風立ちぬ』にはポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節“Le vent se lève, il faut tenter de vivre”からの引用があり*1、ヴァレリーの詩にもゼノンの4つのパラドックスのひとつ、「アキレスと亀」が登場するんですね。*2。俊足のアキレスが足の遅い亀と競争してもなぜ勝てないのか━それはアキレスが亀の後方から出発するという大前提があるからで、日本より早く工業化、近代化の進んだ欧米(亀)と、列強に追い付け、追い越せと競争しても、アキレスは絶対に亀には追いつけない。アキレスが亀の出発点に到着しても、足の遅い亀でもその位置から少しは前進している。アキレスが次にその位置に到達しても、亀はさらにその先に進んでいる。亀はその歩みは遅くても決して「立ち止まらない」のですから。この寓意がとても面白くて、本作の命題と上手く絡めないかなぁとしばらく考えてたんですけど、ちょっと思いついたことがあったので、それを中心に書きます。まだまだ未整理な所もあるんですが…。

幼い頃から、大空を自由に羽ばたく飛行機のパイロットに憧れながら、ド近眼の為にその夢を諦める他なかった少年二郎の空想世界(夢)に登場するカプローニ男爵が、二郎をパイロットではなく航空機製作の道に導くんですが、カプローニ男爵が夢に出てくる以前から、朝霧の中、空を飛ぶ空想に出てくる無数の飛行機に、既に爆弾らしきものが搭載されていた(蠢く虫みたいでしたけど)ように、飛行機が殺人兵器である事を二郎は夢(潜在意識)の中で予見していたんです。“飛行機は戦争の道具でも、金儲けの道具でもない”とカプローニが胸を張ってみせても、時代がその夢を浸蝕してしまうんですね。二郎の開発した飛行機は、やがてゼロ型戦闘機として戦争に利用され、多くの若者の命を奪う事になります。彼は呪われた夢に従事した男。宮崎作品には「呪い」という形で登場人物に憑りつく「宿命」を背負う登場人物がしばしば登場し(『紅の豚』におけるブタに替えられたパイロット、『もののけ姫』でたたり神の呪いを受けるアシタカ)、しかもその呪いは完全に消えることはなく(『紅の豚』のポルコはファシストに加担するより豚でいる方を選択した。イノセント(矜持)の為に呪いを受け入れた男。『もののけ姫』のアシタカは呪いが暴走を抑える装置になってる。呪いを受けた事で彼の心はダーク・サイドに堕ちないんですよね)「主体と呪い」の関係性は、本作でも有効だと思います。

ストレプトマイシン 等抗生物質のない時代、「死の病」である結核に罹った里見菜穂子が受けている呪いは、まんま結核です。二郎を愛し、彼の為に高原のサナトリウムに入院した 菜穂子は雪空の下*3、二郎から受け取った手紙を読んだ後、彼の下に押しかけます。サナトリウムは菜穂子にとって肉体だけではなく精神(魂)をも閉じ込める檻だったんでしょう。「美しい飛行機」を作る事に人生のすべてを捧げている二郎が、菜穂子の孤独を癒す為に足蹴く病院を訪ねたりはしないでしょうし…。独り檻の中で、精神までもが朽ちていくのを唯じっと待つより、彼女は覚悟を決めて二郎の腕の中に飛び込みました。菜穂子に残された時間が彼女の背後にひたひたと忍び寄るアキレス(死)の足音に脅かされても、その一瞬、一瞬を意味ある生の輝きで満たす為に、愛する二郎とのままごとのような新婚生活に賭ける。黒川家の離れで臥せってばかりで、二郎に心配かけまいと顔色の悪さを頬紅で誤魔化すのが精一杯、何一つ妻らしいこともしてあげられない。何より辛かったのは、病気の為に赤ちゃんを産むことが出来なかったことでしょうね。それでも彼女は、徹夜明けの疲れた体を自分の傍らで休ませる夫のメガネを外し、一枚の布団に仲良く包まれる距離に止まれる時間の方を選びました。飛沫感染する結核で、二郎にうつしてしまう可能性だってあるのに、二人はキスもするし、同じ布団で休んでます。菜穂子達は二人に残された一日、一日を大切に生きる道を選択したんですね。死(アキレス)が菜穂子(亀)に追いつけない為には、亀はたとえわずかでも今の位置から前に進むしかない。二郎と過ごすために、彼女は「亀」になる覚悟をしたんだと思います。

二郎の上司、黒川の妻が、離れにあった菜穂子の置手紙を二郎の妹が見つけ、彼女の後を追うとしたのを“菜穂子が駅に着くまで追ってはならない”とけん制したのも、菜穂子の決意を尊重しての事ですし、二郎も、その日、菜穂子が黒川家を出た事を試験飛行中に感じ取ってます*4。病の為に、亀の歩みさえ不可能になる瞬間が来ることを菜穂子と二郎は理解しています。その上で、歩みを止めてしまった彼女をアキレス(死)が追いついてしまう、無慈悲な「宿命」を避ける事は出来なくても、死が菜穂子を捉えるまでは、わずかでも歩み続けて、その生を「よりよく生きる」━二郎は飛行機は勿論の事、サバの骨までに「美」を見出す男でしたが、彼が愛したのは決して外観(フォルム)だけではないと思います。脚を骨折した女中お絹を背負う二郎の後を、大震災の混乱の中で荷物を抱えて必死に後を追いかけていた菜穂子は、自分達の荷物と二郎の荷物、幼く非力な少女には到底両方を持つことが出来ない中、迷わず二郎の荷物を持ち上げてました。宮崎監督のヒロインには一瞬の決断の鮮やかさがあるんですね。心根がまっすぐで、決断しなければならない時には思い切った判断を下す、『カリオストロの城』のクラリスのように、男性の妄想の産物が動き出したかのようなロリ系美少女にも決断の美しさが訪れる瞬間あります。監督の理想の女性像なんでしょうけど、私のようなおばさんが見ると、クラリスのあまりの聖性にかえって白けてしまいます(笑)。私はクラリスが理想像です!なんて持ち上げる女性って、まずいそうにないですもん(ココは突っ込まないで下さい。話すと長くなるので)。本作の菜穂子も、軽井沢で二郎を森の泉(森と泉ですものねぇ。これに象徴的記号を機械的に当てはめると、とんでもないことになりそうで…)まで、日傘を使って二郎を誘き寄せてる。上流階級で、自分がどんなにはしたないことをしているのか(この時代の女性像から鑑みればですが)、菜穂子には自覚はあるんですよね。それでも自分の意志を貫きます。エゴとそれを自覚するが故の恥かしさに身もだえしながらも、尚その上で自我を押し通す女に、何故こうも男性は弱いんでしょうか…うちの夫なんかイチコロです(笑)。

黒川家で挙げた結婚式には泣けました。髪に白い花*5を飾り色打掛*6(これは黒川家に嫁いだ奥さまが貸したんでしょうね)を羽織った菜穂子を迎える、古式ゆかしい口上*7が良いですね。この場面、高橋留美子の画に似ていて絵柄もガラッと変わってます。私は関西出身なので、あの口上は初めてお目にかかりました。黒川の妻が着ていた羽織の家紋は、北条氏ゆかりの三つ鱗だったと思うんですが、妻がドレスコードを守り二人のささやかな門出を祝福しようしている反面、夫の方は普段着のままだったのが可笑しかった。黒川さん、良い奥さん貰いましたねー。彼女がかいがいしく台所で箱寿司?(押し寿司みたいなもの)を作っている場面、生粋の京女で、料理上手だった祖母を思い出しちゃいました。ココ以外にも、二郎と妹が折り目正しく挨拶を交わしたり、とにかくなんでもかんでも昔は良かったと絶賛するつもりはなくても、節目節目で交わされる礼儀正しさには、すうーっと背筋が伸びるような思いがします。ネット上だとドン引きしますが(笑)。齢70を過ぎて宮崎監督がパンツを脱いだ!*8と既にあちこちで言われている、新婚初夜の菜穂子の胸元の色っぽさには、観ているコッチまで顔が赤くなりそうなくらいどきまぎしましたね。演出意図によってデッサンが狂う事、過去作でも結構あるんですが(子供を抱く母親の腕や胸が大きくなるのは宮崎作品ではお馴染み)、男女の情愛の場面で胸が大きくなったのは初めてではないでしょうか。。

■呪われた夢

今でももやっとしてるのが、二郎の方です。ドイツ視察中にアキレスと亀の話をしていたシークエンスで、二郎は飛行機製作に関して“(日本)は亀になれないだろうか“みたいな事話していたんです。宿に設置されたオイルヒーター*9を見て“美しい”とつぶやいた二郎の言葉を聞いて、本庄は“飛行機とコタツ(オイルヒーター)はくっつけられる!”と閃いたようでしたが、この時のコタツ(オイルヒーター)は、おそらくパイロットの人命重視の機体なんだと思います。技術的な事がさっぱり分からないのでものすごく頓珍漢な事書いてるかもしれないんですけど、二郎たちは機体の軽量化(スピードアップ)と丈夫な装甲で人命を守る、相反する命題をクリアできる設計を目指していたという事なんでしょうか?
軽井沢のホテルで二郎は上の部屋にいる菜穂子に紙飛行機を作って飛ばしてましたけど、この時の紙飛行機が彼にとっての理想の機体の原型なんですよね。このシークエンス、最初に飛ばした紙飛行機は、ドイツ人のカストルプ*10がキャッチしようとして潰してしまうんです。どうやらスパイらしきドイツ人が飛行機をつぶすエピソード、ココにまず引っ掛かります。その後、二郎は新たに作った紙飛行機に輪ゴムを付けて飛ばし、見事成功。輪ゴムはエンジンなんでしょうか?この辺りがまだすっきりしていません。

少年、少女の物語が重力への抵抗と、飛翔で彩られてきた過去作と比べ、本作では重力を体感する、その延長上である飛翔シーンでの浮遊感やカタルシスはかなり抑えられていると思います。『天空の城ラピュタ』のパズーや『未来少年コナン』のコナン等、アニメでしか表現不可能な身体の跳躍や縦(垂直)の運動は、帽子や日傘、紙飛行機等に置き換わり、アニメーションとしてはずいぶん手の込んだ表現にはなっていますが、イマイチ瑞々しさに欠けるかなぁと…。立派な大人同士の恋愛だから少年少女の「ボーイ・ミーツ・ガール」ではなく、帽子の受け取りが一種の相聞歌のようなものと同じなんでしょうね。菜穂子は最初の出会いからずっと片思いしていたみたいで、大震災の時に二郎の帽子を受け止めた菜穂子が、今度は二郎が受け止めるわけですから。。

大震災での火災による黒煙と赤く燃える火の海は、太平洋戦争の大空襲による火の海として、終盤、二郎の回想シーンで姿を現します。大震災=自然の猛威、戦争=人間の愚かさの違いはあれ、これだけの規模となると、もう誰か一個人に責任を押し付けたり、要求する事は不可能です。自然災害が起きても、自然そのものを相手にその責任を追及できないでしょう?それと一緒になっちゃうんですね。混沌として未来の見えない閉塞感に覆われていた時代であっても、人は生きる為に、自分の成しえることを求めていく他ないです。本作では終始、風が吹いている(風が吹いていることがわかる演出が随所にある)のですが、震災から大戦への巨視的な政治的視点は慎重に排除され*11、二郎はその書割世界の傍観者でしかない。戦争を憎みながら同時に、ミリオタで戦闘機が大好きという宮崎監督の大いなる矛盾が、この激動の時代のダークサイドを遠ざけて、ゼロ戦の設計者で、ナショナリズムの文脈とは切り離せない堀越二郎個人をフィーチャーする方法にかじ取りさせたんでしょうか。戦闘機愛!故にか、モノつくりに憑りつかれた男の狂気が、自身をも引き裂いてしまう残酷さはあまり描かれず*12、過去の宮崎作品の登場人物同様、「大人になりきれない」男、イノセンスを明け渡さない代わりに「宿命」を背負うことになる男の物語に収斂してしまうのはちょっともったいないです。イノセンスを喪失しない故に、周囲の人物は、自ら捨ててきたイノセンスに対する弔い(郷愁)に殉じ、結果、彼らを助けよう、救おうと皆、善人になってしまう、確かにとっても感動するんですが、悪人が全く登場しないんですよ。善と悪の二項対立どころが、みんな良い人ばっかりで。。二郎のオルターエゴでありメフィストフェレス的存在カプローニ男爵さえも、最後には良い人になっちゃうパラドキシカルな毒は、この監督ならではですけど。ドイツ人カストルプがいまいち掴めなくて、やはり、トーマス・マンの『魔の山』読まなきゃ無理でしょうかねぇ。

で、宮崎監督は本作でパンツを脱いだか?ですが、私は脱いでないと思います。二郎の母親は登場しても、父は出てこなかったでしょう?。監督のダークサイドは父親との関係性にある!(きっぱり)の筈なんですが、今回もまた避けられてしまいました。母はしっかり登場するんですけどね(メガネを外して二郎に布団をかけてやる菜穂子は半分オッカサンです。同じ布団に潜り込む女の部分も半分残ってますが)。後そうですね、ものすごく個人的なツボで、三菱に住友軽金属から部品が届く所とか、蒸気機関車、渡船、路面電車、自動車のタクシー等、乗り物の変遷が時代の推移になっている所、エリートの二郎に用意されていた輸入物の製図台に座り、イスを少しづつ近づけていく作画には見惚れました。こういう何げない動きってとても難しいと思うんですが、違和感なかったです。公開時期は長いでしょうから、時間を作ってもう一度見るつもりでいます。実在の人物がモデルにはなってますが、本作は主人公二郎に監督自身をどっぷりと投影させた紛うことなき「ファンタジー」作品。ホント変われない人なんでしょうね。とっ散らかった内容ですけど、初見の感想として一応、こんな感じです。。

……………
「映画」風立ちぬ(ネタバレその2)http://d.hatena.ne.jp/mina821/20130808

*1:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E7%AB%8B%E3%81%A1%E3%81%AC_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC

*2:http://rimbaud.kuniomonji.com/etcetera/cimetiere.html

*3:舞い落ちる雪片は大震災の日に降りかかる火の粉の対比でしょうね

*4:風向きが変わり、風の音までミュートのように変わってる

*5:この花はさざんか 絵コンテ全集P538 8/20 追加

*6:寝間着に、黒川夫人が選んだ華やかなお召を打ち掛けのように羽織った菜穂子 絵コンテ全集P538 8/20 追加

*7:黒川夫人:申す。七珍万宝投げ捨てて、身一つにて山を下りし見目麗しき乙女なり。いか〜に。 黒川:申す。雨露しのぐ屋根もなく、鈍感愚物の男なり。そ…それでもよければお入りください 絵コンテ全集 P540 8/20 追加

*8:http://d.hatena.ne.jp/char_blog/20110626/1309097046

*9:スタジオジブリ絵コンテ全集19 P271ではスチーム暖房のラジエーターとなってます。考えたら、この時代オイルヒーターはなかったでしょうし…2013/08/01追加

*10:彼のセリフにも出てくるんですが、トーマス・マンの『魔の山』が本作の補助線のひとつになってると思います

*11:三菱航空機での重役、軍部との会議と対置されてる技術者だけのミーティングの熱気。黒川達までが感動していました。しかも政治を排除した純粋な技術に対する熱意は、さわやかな風まで呼び込む

*12:菜穂子喀血の電報を受け、東京に向かう列車内で仕事をしながら泣く場面くらいですかね。菜穂子が血を流すのと同じく、二郎は涙を流す。彼らは「亀」になるべく「アキレス」と競争してるんです。