ハンガー・ゲーム2(ネタバレ)/空を射たマネシカケス

炎のウエディングドレス

独裁国家パネムの首都キャピトルは、SF的な近未来都市のイメージから寸分もはみ出さない、鋼鉄とガラスの超高層ビル群といった、手垢の着いた未来都市の表象で塗り固められてますが、そこに何故かしら古代ローマの意匠がひょっこりと顔を覗かせる。
キャピトルの市民の娯楽として「消費」されるサバイバルゲームが、古代ローマの「panem et circenses(パンとサーカス)」*1、本来なら政治システムを監視する市民の目を欺くために為政者が設けた「ガス抜き」イベントをモデルとしているからなんでしょうか、各地区の優勝者が「見世物」として披露されるショーには、チャリオット(戦闘用馬車)まで登場してました。

古代ローマ帝国の市民は、元老院、騎士、市民、属州民、解放奴隷、奴隷と、レイヤー(階層化)されてましたけど、必ずしも一生涯に渡って固定化された身分制度ではなく、流動的だったんですね。政治の中枢を純血種で固める事より「開かれた」人事で、常に新しい血を受け入れてきたのが古代ローマの政治だと思ってたんですが、本作は頑として「閉じた」世界です。
「ハンガーゲーム」の勝者には富と名声が与えられる━その恩恵にはキャピトルでの市民権も含まれるんじゃないか、前作を見た後で漠とそう考えてましたが、違ってました。
ゲームの勝者には確かに一定の富、勝利者だけの居住区「勝利者村」が与えられますけど、キャピトルではなく各隷属地区にあるんですよ。勝利者に「市民権」を与えるつもりもなく、隷属区に縛り付けたままで分断しておきたいんですよね。バカな政治家が考えそうなことですが…。

で、パネムの御威光を誇示する宣伝活動のためにカットニス( ジェニファー・ローレンス )とピータ(ジョシュ・ハッチャーソン )のカップルは、イベントに駆りだされ各隷属区を巡回する羽目に…。こんなもの見せつけて歩けば、ゲームで命を落としたプレイヤーの家族だけじゃなく、長年虐げられてる隷属区の民衆に「蜂起」させる、そのイコンを作り上げる行程にスノー大統領 (ドナルド・サザーランド )が手助けしてるように見えてしまいます。
前作で詰め腹を切らされたゲーム・メイカーに代わって登場したプルターク(フィリップ・シーモア・ホフマン)が中々の策士で、彼の掌の上で踊らされている(であろう)スノー大統領は、常に彼の思惑の裏をかき、ことごとく潰していくカットニスが目障りで仕方なく(愛憎半ばしてそうですけど)、サディステックな欲望にせっせと燃料放り込んでるみたいで、市民に対する目くらましに与えたはずの「心地よい物語」に最愛の孫娘までもが虜になってしまう*2始末。
隷属区の反乱と革命へと発展しそうなトリロジーの最終幕では、カットニス殺害命令も、冷酷な為政者としての選択というより、倒錯的欲望の虜(純粋にカットニスを虐めたい、彼女を自分の足元にひれ伏せさせたい)になった老人のフェティッシュな趣味全開になりそうな予感。ドナルド・サザーランドはソッチ系も十分に熟せる役者さんですけど。。

前作にあった「サバイバー番組(孤島や密林に隔離された参加者たちが賞金や賞品をめぐって争う視聴者参加型番組)」を見る現実世界にいる私たち一般の視聴者と、映画内で「ハンガーゲーム」に熱狂するキャピトル市民が重なる皮肉な視点は最終章でどう処理されるのかが、目下の関心事のひとつ。
監督の変更もあって、前回よりはスムースな流れになってますよね。ゲーム開始までかなりの尺を割いて世界観の説明に当ててますけど、どちらかというと生き残りゲームの方には関心のない私なんかは、この構成の方がより楽しめます。だって、明らかに次回で「革命」やりたそうなんですもの。
原題の「ATCHING FIRE」のように、反乱の萌芽は革命の火へと燃え広がるんでしょうね。パネムの市民層がより前景化し、その中から立ち上がる者達(カットニスのスタイリストなんかもそう)と、隷属区を「繋ぐ」戦いの女神にカットニスが祭り上げられ、解放の象徴となるのでしょうか。
コイバナの行方(笑)は兎も角として、彼女が真に覚醒する瞬間だけは是非観たいので、次回もお付き合いするつもり。

*1:「パン」は小麦の配給、「サーカス」はCircus(競技場)の英語読み

*2:”カットニス達のような素敵な恋がしたい”とつぶやいていた