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小津安二郎 生誕110年/没後50年

ユリイカ 2013年11月臨時増刊号 総特集=小津安二郎 生誕110年/没後50年

ちょっと前に出版されたユリイカの特集です。

ユリイカは映画以外でもちょくちょく買ってるんですが、寄稿者の面子によってかなりバラつきがあって、実際に手に取り読んでみるしかなく、試しに買ってみたのですが充実した内容でとても面白かったです。小津初心者でもこれなら大丈夫でした。
蓮實重彦氏と青山真治監督の師弟(笑)対談もお約束ですね。ハスミン先生は山田洋次監督でリメイクされた『東京家族』について結構な毒を吐かれています。ユリイカでの蓮實重彦氏の対談では出色の出来じゃないでしょうか。後半、どんどんとお話がずれていきますけど、それはそれで味わい深いというか、コッチをもっと語って欲しい。。

以下、面白かった箇所をいくつか、挙げて行きます。

小津は明らかに「違法」(イマジナリーライン*1を超える事)であることを知りつつ「映画の文法」を犯し続けたが、その理由についても全く意識的だった。……中略……狭い日本間でカメラの可動範囲は限られてる。
もし、対面する人物を撮影する時(イマジナリーラインを超えてはならない)という規則に縛られると
「或る一人の人物の背景は床の間だけであり、もう一人の人物の背景は襖とか、あるいは縁側とかに決まってしまう」*2
こうして小津が言おうとしたのは、一つ一つのショットを外部から連結する論理を否定して、ショットひとつの自律的な<強度>を尊重する事である(凡庸と幻視 宇野邦一)

やはり誰もが気にとめるローアングルからのショットについても、小津が無造作に、神秘的ヴェールを剥ぎ取るようなことを書いてる
「カット毎にあっちこっちからライトを運ぶので、2、3カットやるうちに床の上は電気のコードだらけになってしまう。いちいち片づけて次のカットに移るのでは時間もかかるし、厄介なので、床の写らないように、カメラを上向けにした。
出来上がった構図も悪くないし、時間も省けるので、これから癖になり、キャメル(カメラ)の位置も段々低くなった。*3(凡庸と幻視 宇野邦一)

小津作品と言えば「ローアングル」。その成り立ちの秘話は面白かった。
撮影現場での諸事情や、いろんな制約から生まれる創意工夫が小津作品になくてはならない刻印になったんですね。

小津安二郎が『東京物語』を撮った1953年には、尾道の埠頭の周辺はけっして彼が描いたような、秩序だった空間ではなかった。
前後(戦後の誤植?)の混乱の中で不法建築の家々が、まさにフジツボのようにびっしりと群生し、外地から引き揚げてきた日本人と「在日朝鮮人」(サンフランシスコ講和条約の締結後、そう呼ばれるようになった)から成る「国際マーケットが」席捲し、海辺すぐ近くまで迫っていた。
小津はそのような現実を一顧だにせず、あたかも老夫婦の家と埠頭の間に遮るものがないかのように、全ての空間を演出した。彼はスラムなど見たくもなかったし、日本人の観客に見せたくもなかった。
小津のこの措置はフィルムの経済(節約)にではなく、その政治に属するものである (『東京物語』の余白に 四方田犬彦)

この戦後特有の集落の存在を知ったのは、『東京物語』から12年後の1965年に、ドキュメンタリー作家の土本典昭が同じ場所でカメラを廻していたからである。彼がまだ水俣の海に出会う前のことだった。 (『東京物語』の余白に 四方田犬彦)

小津安二郎と土本典昭を同時に映画として愛するなどと、軽々しく口にすることはできない。そのためには相当に鈍感な感受性が必要とされる。
小津は視線の意図的な回避と隠蔽を姿勢の基本において、映画を撮り続けた。彼は「小市民」という松竹の製作方針の枠内を食み出ることなく、「ホームドラマ」というイデオロギーのジャンルに留まった。(『東京物語』の余白に 四方田犬彦)

ずいぶんとラディカルですが、面白いでしょう?これに対する反論は(確か小津監督の戦争観についての本が出版されてたはずですけど、タイトルをど忘れしました)色々あるでしょうし、そういったものと併せて読みたいですね。

東京フィルムセンター展覧会情報小津安二郎の図像学 でも始まっている、小津安二郎とデザインについての一考があったり、エドワード・ブラ二ガンによる『彼岸花』のショット分析があったりで、多方面からのアプローチは映画を愉しむための視座が開けていくようで、こういった内容は地味ですが、私には読みたい批評のひとつです。

*1:対面する人物を結ぶ仮想の線

*2:小津安二郎『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』 日本図書センター p56

*3:小津安二郎『僕はトウフ屋だからトウフしか作らない』 日本図書センター P13