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グランド・ブダペスト・ホテル(ネタバレ)/鍵の秘密結社

アスペクト比━フレームの中の箱庭世界


エンディング・クレジットに登場する「シュテファン・ツヴァイク」については『グランド・ブダペスト・ホテル』とツヴァイク - 映画評論家町山智浩アメリカ日記に詳しいので割愛します。ココ以外に「ハプスブルグ神話」と世紀末ウイーンのユダヤ人 : 同化ユダヤ人のアイデンティティ問題をめぐって」http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/18328/1/AN00044251-12-2-191.pdfもとっても面白い内容なので、さくっと目を通して置くと、本作をより楽しめる筈。終盤、老いたゼロ・ムスタファ(F・マーレイ・エイブラハム ) が語る”彼の世界は彼が来るずっと以前に消えていた。それでも彼は見事に幻を維持してみせたよ”にグッときますので。。

時間軸が三重になる入れ子構造に、アスペクト比(1930年代が 1.37 : 1のスタンダード・サイズ。1960年代が2.35 : 1 のワイドスクリーン。1985年が1.85 : 1のアメリカン・ビスタ
)を対応してる作品を、シネコンの開きっぱなしのスクリーンで見る奇妙な体験をしました。映画が始まる前、幕が厳かに広がっていく瞬間のワクワクをぶち壊す無粋な手抜き(デジタル対応だからだそうですが)も意外な効果があるようで、二重、三重ものスクリーンの外枠=フレームを通して、ウェス・アンダーソン印の「箱庭世界」を覗き見てるような感覚を味わったんです。特にスタンダード・サイズ(1930年代)に変わった時にはあっ!と声が出てしまうくらい、驚きました。
クラシカルなスクリーンサイズから匂い立つ映画史的な擽りや目配せ、シネフィルの監督ならではの指向(おそらくいろんな過去作からパスティーシュされている筈)も勿論なんですが、上下にゆとりのあるスクリーンサイズが殊の外、奥行きと相性が良さげなんですよ。
ウェス・アンダーソン作品には、二重フレーム(ドアや窓枠でスクリーンの中にもう一つのスクリーンを生じさせる。本作ならマダムDの屋敷で、窓枠の中で芝居しているマチュー・アマルリックの場面なんかがそう)を意識した構図が散見されたり、『ライフ・アクアティック』で潜水艦内をまんまミニチュアで見せたり、細部にまでこだわり抜いた美術デザインの情報量の多さ等々で、閉塞した、どこか窮屈そうな印象があったんです。フレームの外への広がり(フレームでは切り取られていない面としての空間性)が希薄で、代わりに中心に向かって密度が濃くなるとでもいった方がいいのか…。*1
例えばなんですけど、グランド・ブダペスト・ホテルの最上階、後にゼロが「グスタヴ・スィート」と名付ける控室。このホテルの司令塔、伝説のコンシェルジュ、ムッシュ・グスタヴ(レイフ・ファインズ )の狭い私室は監獄の独房へ、従業員に訓示を述べる(しかも大量のグスタヴ自作の詩がついてくる)演壇と従業員達の細長い奥行きのある休憩所は、修道院の説教壇へと、空間を超えてイメージ上で反復してあるんですよね、ふむ。。

秩序ある幻想の世界


ヨーロッパの架空の国ズブロフカ共和国のモデルはオーストリア=ハンガリー二重帝国であり、グスタヴ(Gustave、GUSTAV)はその名からドイツかスラブ系ユダヤ。彼の背景(生まれた国やホテルに勤めるようになった経緯等)は明かされてませんが、世紀末のウィーンで花開いた、豪奢でつんと取り澄ました貴族趣味の影で、淫靡で爛熟したもう一つの「ウィーン」が顔を覗かせます。ブルジョア階級なら、80歳を優に超えた老女ともベッドを共に出来る(安い肉の味わいと喩えてましたが)ドン・ファン的精力さでホテルを繁盛させるもの彼のお仕事の内なんですね。お気に入りの香水を欠かさず(匂いは最も記憶に残りますから情事の小道具として便利なんでしょう)“西欧的に洗練されたウィーンの同化ユダヤ人”。*2
彼と入魂だった、大富豪マダムDは「洗練されたウィーン人のグスタヴ」に惹かれて恋に堕ちたんでしょう、で、当のグスタヴはというと、名画「少年とリンゴ」を転売する気満々で、絵画の目利きなのに、芸術の庇護者でも理解者でもない、結構な俗物。収容所の看守が、差し入れのパン、チーズ、肉を乱暴にぶった切って異物(脱獄の手助けとなるもの)が入り込まないか厳重にチェックしていながら、差し入れのお菓子*3に、芸術の片鱗、その美を見出してしまったが為に脱獄されてしまうのに対して、ユダヤ人らしくグスタヴは現実主義で利に敏い人物です。

大富豪マダムDは、その死亡記事が帝国に迫るファシズムの軍靴と同時に新聞に記載されていた事から想像するに、おそらく”諸民族を統べる、老フランツ・ヨーゼフのごとき家父長的君主”的存在。*4ハプスブルグ家の最期の輝き、開かれた国際都市ウィーンを中心に多言語、多民族で構成される帝国の表象なんだと思ってます。キリスト教社会党の党首で「反ユダヤ主義」の代名詞、カール・ルエーガーを市長の座に据え置くのを数度にわたって拒み続けたのがフランツ・ヨーゼフ1世ですもの。
マダムDを演じたティルダ・スウィントンはインパクトのある超老けメイクを披露して頑張ってますけど、いかんせん出番が少なすぎまするぅ(笑)。ウェス・アンダーソン組ならアンジェリカ・ヒューストンでも見たかったなぁ。。

秘密は墓場まで


収容所から脱獄したグスタヴを助けたのが、有名ホテルのコンシェルジュたちのネットワーク。彼らは民族(nation)の壁を越え、互いに協力し合います。自由都市ウィーンの最も進んだ市民階級がこの秘密結社のメンバーじゃないかと思ってるんですね。時間の枠を無視して現代まで俯瞰するなら、多民族との共生、共存は、ハプスブルグ家の不滅の遺産として、ヨーロッパを緩やかに統合するEUの基本理念にも繋がるんじゃないでしょうか。
アンダーソン組の常連、オーウェン・ウィルソンや、もう何をやっても鉄板のビル・マーレイの可笑しさ、冷酷な暗殺者ウィレム・デフォーがブルーバック丸出しの合成写真上でバイクを走らせたり、冷戦構造などなかった時代の大らかなスパイ物、スワッシュバックラー風の冒険活劇を挟む編集のリズムはどの過去作より速い、速い。修道僧たちも秘密結社の協力者となります。どう見てもカトリックだしハプスブルグ絡みなのかしらん?
動物虐待シーン(ネコが窓から放り投げられ、死体は美術館のくず入れに…うわーん)もお約束のように登場しますが、何故動物が虐められるのかいまだにわからない。。

収容所から逃げ出した後、グスタヴはゼロからその出自を初めて聞き出します。ムスタファはアラブ語で、彼は中東出身者なんでしょう、祖国を追われ難民となったゼロの境遇に、同じく祖国を持たない、彷徨える民ユダヤ人のグスタヴは強く共振してゆくんですね。祖国を失った者同士の絆が、失われた記憶の世界=ブタペストホテルを存続させます。時の流れに任せ荒れ果てた老ホテルの佇まいは、グスタヴ時代の華やかさも賑わいもありませんが、それでも過去の記憶の中だけで生きる「おひとり様」専用ホテルとしてかつての面影を垣間見せ、ゆっくりと朽ち果ててゆくのでしょう、「グスタヴ・スィート」だけを残して。。

少年とリンゴ


マダムDの遺産、絵画『少年とリンゴ』は、途中でオーストリアの画家エゴン・シーレ風の絵画(しかもレズビアン)に差し替えられた事*5
に気づいたドミトリー( エイドリアン・ブロディ)は怒りにまかせてエゴン・シーレの絵画を引き裂いてしまいます。彼はその絵の価値が分からない男。これは終盤、列車で移動中のグスタヴとゼロの前に現れた軍人(勿論ファシスト)が、ゼロの身分証(エドワード・ノートンが発行したもの)を引き裂いてしまうのと同じだと思います。守るべき価値のあるもの、時代の風雪に耐えて「思い出」の中だけにひっそりと息づく美しいものが、多民族国家の消滅と共に消えていく儚さが、ヨーロッパの昏い歴史と同調して貫かれており、ポップな色彩で彩られた軽妙洒脱な映画では済まされない作品の陰翳になってるんじゃないでしょうか。町山さんの記事で随分助けられた事もあって、印象深い作品となりました。

マダムDの屋敷の図書室にグスタフ・クリムト風の絵があったり(壁に飾ってあるのではなく、床に立て掛けてありましたが)世紀末ウィーンで結実した二大画家の作品が登場するのは愉しかった。エゴン・シーレの方は詳しくないんですが、クリムトには興味があって、同じくウィーンで精神分析の道を開拓したフロイトのエロスとタナトス、あるいは無意識といったものをモチーフとする象徴主義的な作風は惹かれますね。

そうそう、劇中で登場した「少年とリンゴ」の絵画、元ネタが気になって探してみたら、やっぱりありました(笑)↓

Wes Anderson on the Painting at the Center of His ‘Grand Budapest Hotel’ | Gallerist

劇中で説明されていた(イタリア)ルネサンスの絵画じゃないんですね。マダムDの真の遺産はブタペストホテルでしょう?彼女はホテルのオーナーだったわけですから。贋作と知りながら偽の遺言書(本物はマチューさまが絵の後ろに隠した方)を残したという事か、グスタヴは本人が言うほど絵の目利きではなかったという事でしょうかねぇ。。

*1:本作なら、切り絵を単に張り付けたような平坦なケーブルカーのすれ違いの画の後に、ケーブルカー間を跨ぐ足元からわずかに見えるぞっとするような深淵の場面とか

*2:「ハプスブルグ神話」と世紀末ウイーンのユダヤ人 : 同化ユダヤ人のアイデンティティ問題をめぐって P218

*3:ゼロの恋人アガサが作るお菓子は、実際にあるお菓子じゃないですよね。ウィーン菓子はザッハトルテやシュトゥーデル等、見た目の派手さはない。あの焼き菓子のクリームの色(青ですもん)とか、何を参考にしたんでしょうか

*4:ハプスブルグ神話」と世紀末ウイーンのユダヤ人 : 同化ユダヤ人のアイデンティティ問題をめぐって P193

*5:http://www.imdb.com/title/tt2278388/trivia?ref_=tt_trv_trv M. Gustave and Zero replace the painting Boy with Apple with a painting in the style of Austrian painter Egon Schiele (1890-1918).