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思い出のマーニー(ネタバレ)/白鳥は哀しからずや空の青

青い二重窓


予告トレーラーにあった金髪碧眼の少女との百合百合しい接触を、ローティーンの御嬢さん方に囲まれて中年夫婦が食い入るように大画面を見つめる画を想像しては、「これはないな」と観ないで済ますつもりだったんですが(笑)、「ジブリ解散か?」の報道を知り、ジブリ作品の見納めとなるかも知れないと思い、お盆休みに観て来ました。
予想に反して、お客さんは私たちくらいの年齢層が一番多く、女の子だけのグループはほとんど見かけなかった。やたらと感動を売りにしている「ドラえもん」に流れちゃったのかな?
原作は未読な上に、一回観たくらいでは理解が覚束ない所(特に嵐のサイロの場面)が多々あって、アップするのを躊躇したんですが、頭の中の整理がしたくてざっくりした感想になりますけど、一応記事にしておきます。


目に見えない魔法の輪の「外側」に自らを追い込んでしまって「私は私が嫌い」だった少女が、「イマジナリ―フレンド」との交流を通して“私はあなたが好き“━大嫌いだった自身をもうひとりの「私」が赦し、受容する、つまりは自身を肯定できるまでに成長する物語。モノクロームのデッサン画が豊かな色彩を纏うまでのお話でもあるし、心を閉ざし他者を遠ざけながら、一方でその寂しさに悲鳴を上げてる心が折れるように「鉛筆」もまた力加減が上手くいかずに折れてしまう。その鉛筆を上手く削れるようになるまでのお話でもあり、パーティーで髪に刺した薄紫の花が、髪留めとなって還ってくるお話でもある…といった具合に、相当練られた脚本だと思います。最初に「湿っ地(しめっち)屋敷」を訪れた際のボートの揺れに怯えていた杏奈が湿地を素足で歩くまでに変化するといったリアクションを始め、スケッチブック、鉛筆、髪留めといった小物に到るまできちんと反復されており、それらがどういう変化を遂げたのか、最終的にどこに収まるか、細部に至るまで徹底して構築されており、これ以外にも見直せば相当数見つかる筈。


主な作品舞台は海(水)と陸(地)、二つの世界が入り混じる湿地の入り江。現実と幻想のあわいがあやふやな杏奈が、もう一人の私(マーニー)に出会うにはこれほど似つかわしい場所はないでしょう。
マーニーを閉じ込めていた「青い二重窓」は、杏奈の「青みがかった瞳」でもあるんですよね。杏奈の見る世界は「二重の壁(窓)」に縛られていたんです。
血の繋がらない母が役所から支援金を貰ってると知ってから杏奈は心を閉ざすようになった様ですが、養母から受けていた「愛」がお金目当てだと知った(これは杏奈の思い込みですが)辛さで、養母頼子との間に隔たり(壁)を築いた上に、あの繊細過ぎるほど繊細な頼子が、その事を敏感に察している娘杏奈の態度=無表情な顔に、ますます萎縮してしまうという悪循環。ただでさえ、この年頃の女の子には母は「重い」のに、頼子が気づかいすればするほど、その思いやりを素直に受け取れない杏奈を追い詰めてしまう。大岩セツさんなら“ガハハ”と笑い飛ばしてしまうでしょうけど、頼子は金を受け取ってるという事実を必要以上に負い目に感じてしまうタイプなんでしょう。
絵の先生から「絵を見せてごらん」と差し伸べられる「手」に、頬を赤らめながらも一旦はその気になった矢先、タイミングよく(悪くかな)起きたアクシデントで無残にも潰されてしまう場面も。「絵」は杏奈が唯一世界に向けてアウトプットできるものでしょう?性的な成熟をジョークにできるだけの術を既に身に付けている、「大人」の世界に片足かけてる同級生の姿を目の当たりにした気おくれと少女特有の潔癖さから築いた「壁」の上に、わずかなすれ違いから、自分をさらけ出せる機会=絵の披露も諦めてしまう。
ギクシャクしてる養母との関係と、思春期の青い屈託、彼女は二重の壁(窓)の中に囚われているんですね。

未来で待ってて


三日月の夜にマーニーと最初に出会い、満月の夜に二人でダンスする。「湿っ地(しめっち)屋敷」にボートを漕ぎだすのは満潮時。潮の満ち引きにも月の引力が関係していますし、満ち欠けを繰り返す月の永遠性は神話世界の時代から女性性との結びつきがひときわ強いものです。
現実と虚構、二つの世界が溶けあう湿地はもう一つの世界軸、過去と現在をも反映してたんですね。
杏奈の祖母がマーニーであり、杏奈は両親の死後、彼女を引き取った祖母から聞いていた「昔話」を元にイマジナリ―フレンドを作り上げた。遠い昔に忘れてしまったはずの物語が彼女の潜在意識の中から羽ばたき動き始めるんです。孤独な子供時代を送った祖母(の昔話)と、現在の時間軸にいる同じく孤独を抱えている杏奈とが時空間を超えて共振し、やがてそれが自らが作り上げた鏡像であったと受容する事で杏奈の成長は遂げられる訳なんですが、ちょっと引っ掛かる所があるんです。夢の中(幻想世界)のマーニーが完全な杏奈の欲望の鏡としての鏡像からふらふらと逸脱していくような感じを受けたんですよ。杏奈の無意識の願望とは別に、ひょっとしてマーニーはマーニーとして自律してるんじゃないかと思われる箇所がある。ココはもうDVDじゃないと無理なので、いづれ掘ってみたいなぁと思ってる所です。
宮崎監督が関わってない作品に過去作を参照するのもどうかと思うんですが(笑)、『ハウルの動く城』に登場した「どこでもドア」には、ハウルの幼少期の記憶(もしくは時空間)に直結した場所がありました。ソフィーは暗黒面に魅入られていくハウルを救う為に、彼の過去(の記憶)に越境します。本作のマーニーも、杏奈が照射する理想の自画像以外に、孫娘を想う祖母の祈りみたいなものが照射されていたら素敵だなぁなんて思ってます。


もうひとつ、杏奈は諸々の屈託から、一度は過去を忘れ去ってしまいましたが、喘息の療養のために彼女を引き取ったセツさんは過去を絶対に忘れない人。このふたりは対照的なんです。杏奈を迎えに来た車に積み込まれた雑多な荷物(信楽焼のタヌキまであった)、しょっちゅうお菓子を食べてるおデブさんでしたけど、彼女は「記憶」を手放さないんです。娘の部屋も、靴も大事にとっておく人でしたもん。
夜遅く、浴衣を泥だらけにして杏奈が戻っても、笑い飛ばして追いつめたりしない。汚れた浴衣が、綺麗に洗濯されて青空の下、気持ちよくたなびいてる風景そのまんまの人。単にガサツなだけじゃないんですよ。一番感心したのが、終盤、心配性の頼子が杏奈に電話を掛けてこないように牽制していたと分かった時(頼子に向かって、貴女も電話をよく我慢したねと話してた)。杏奈を一人で釧路に寄越すように指示したのも多分、彼女でしょうね。
互いが互いを思いやるが故に煮詰まってしまっていた親子関係をほぐすには、適度な距離と時間が必要な事を分かっていたのでしょう。杏奈は大岩夫婦の大らかな愛情の下、豊かな自然に抱かれた世界を「幻想」の翼で何度も行き来し、自分を取り戻してゆきます。

「ふとっちょ豚」と悪態をついた信子との和解も捻りが効いていてよかったです。体型から考えても信子ちゃんはセツさんと似てるんですよ。杏奈が信子との関係を一旦カッコ内に入れたまま「どうかなぁ~」と答えたのは、養母に心配をかけないように「良い子」を演じるのを降り、あるがままの自分をさらけ出せるようになったからでしょうね。口先だけの和解で穏便に事を済ますより、自身の心の中で本当の友人になりたい(信子には押しの強さがあって、杏奈みたいな子はちょっと苦手なはず)という思いが育つまで待つといった方がいいかしら。。このふたりの関係にはこの先まだ見ぬ「未来」が待っています。真っ白なスケッチブックに何が書かれるかは、未知数ですもの。
屋敷からマーニーの日記を発見した功労者、メガネっ子ちゃんと杏奈が並ぶと「トトロ」のさつきとメイのように見えて仕方がなかった(笑)。
杏奈とマーニーがキノコ狩りをする森の美しさは本作一番の見所。これを手書きでやる労力は凄いわー。ジブリ作品での食事シーンは有名ですが、杏奈がもぎたてのトマトを切る包丁さばきも中々なモノ。トマトのヘタを包丁の刃元でちゃんと三角に切ってます。お料理をする人がコンテを切ったのかな?
この他にも、手(指)の動きが素晴らしくて、ウットリと見入ってしまう場面がありました。