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大いなる沈黙へ -グランド・シャトルーズ修道院(ネタバレ)/沈黙の音を聞け

唯、十字架だけ

撮影許可が下りるまでに16年を費やしたドキュメンタリー。
戒律の厳しい修道院内が見られる機会はそうないぞ!とばかり、俗な好奇心を押さえられずに観て来ました。
まず、目を引くのは自然光のみで撮影された映像の美しさ。質素な室内に流れ込む透明な光が、対象の輪郭を柔らかく浮かび上がらせ、このまんま絵画になってしまいそうなくらい。
撮影機材は少なくとも二種類。明らかな違いが手に取るように分かります。フィルムの粒子の肌理がまるで違うんですもの。機材の使い分けはそう単純ではないようで、修道院の内と外、あるいは昼と夜と言った法則性もなさそう。詳しい方なら、何か見つかるかもしれませんが…。


カルトジオ会のグランド・シャトルーズ修道院は、他の修道院と際立った違いがあり、その建築様式に修道院の理念が凝縮されています。
同じカルトジオ会のシャルトリューズ・ド・クレルモン修道院が1850年代に復元された際に作成された図面が残っていて
カルトジオ会 - Wikipedia

シャルトリューズ・ド・クレルモン修道院の図面


中庭とそれを囲む回廊で、その周囲に同じような形をした18個の部屋があるのが確認できる。これらが修道士の個室である。

完全個室完備の修道院で何よりも優先されているのが「孤独」なんです。
自給自足の生活*1で、修道士たちは「すべて労働は祈りにつながる」よう、各自が担当する作業と礼拝堂でのミサ以外、一日のほとんどを個室で過ごします。
美しいアーチヴォールト(「穹窿(きゅうりゅう)」)のある回廊に面した個室の壁には小さな鍵付き扉が設えてあり、助修士(聖職者にならずに、生涯、修道院の雑用を担当する人)が木製ワゴンに積んだ食事を鍵を開けて届けてました。これって、ものすごく変な表現ですが刑務所と変わんないですよね。ココまでして孤独な環境に身を置くのは、修道士たちは全霊をかけて「祈る」為だからなんです。彼らは物心両面に渡っていかなるものも「所有」しない。その代りに祈り続ける、兎に角、祈って、祈って、祈り続ける。
精悍な顔立ちの若い修道士から、盲目の老人までが静謐な祈りの中に内なる魂を浸している。私ならすぐ居眠りしちゃいそうなんですけど(笑)。


ドキュメンタリーのありがちなナレーションもなく、劇判もない。この作品自体が、とても慎ましく禁欲的です。
序盤、修道士たちが次々に個室に入っていく際、壁に手を添えている事は分かっても、何がそこに置かれているのかもわからない。聖水盤だと分かるのはかなり後になってからです。
礼拝堂(教会堂)でのミサも、画面中央から上に浮かぶ赤い光(聖体ランプじゃないかと思うんですが)以外、漆黒の闇。やがてポツポツと他の光が現れて、何やってるんだか、ここがどこなのかさえなかなか分からないです。教会が生活の身近にある人ならすぐにピンと来るのかも知れませんが、私はグレゴリオ聖歌が流れるまでミサだと分からなかった。俯瞰気味の画で、教会堂の精髄、祭壇にもカメラは近寄りもしないんです。豪奢な教会建築、壮麗な典礼で知られるクリュニー会とは違って清貧を重んじるカルトジオ会は、そもそも華美な様式とは無縁で、一番派手な(笑)場面は「オステンソリウム(聖体顕示台)」らしき装具の登場ぐらいでしょうか…。
ここまで禁欲的でなくても、もちっと見せてくれてもいいのにと思ったんですが、多分、監督の意図は、典礼やサクラメント、あるいは教会建築や美術と言った、信仰の外側に興味があるのではなく、そこに住まう、神と共に生きる修道士を記録する事に重きを置いてるんでしょうね。
雑な表現ですが、バチカンを頂点とするカトリック教会が、世俗との繋がりを持ち、救済事業を行うのに対して、グランド・シャトルーズ修道院では、世俗との関係はほぼ無いに等しい*2。同じカトリックでも大乗仏教と上座部仏教くらいの違いがあるのではないでしょうか。。


作品中、聖書が繰り返し登場してましたけど、一番印象深かったのが『一切を退け。私に従わぬ者は弟子にはなれぬ』の一節。
何も所有してはならない修道士たちに、禁欲、清貧を説く言葉のようにも思えますが、「一切」を退ける━その一切にはひょっとして神の救済まで含まれるんじゃないかと、観終わったとじわじわ考えてしまいました。言語では決して分節できない状態にまで自身をひたすら高めていくのには、まず「言葉」ありきでは難しいんでしょうね。言葉を封じられた*3沈黙の世界は、修道士たちの素朴な生活から生まれる生そのものが息づく確かな手ごたえと、アルプス山系の厳しい自然が磨き上げた音に満たされ、とても豊潤な世界にも思えました。「沈黙の音」は決して音のない孤独な世界ではないです。

*1:電気バリカン、スニーカー、ペットボトル入りの水、パソコン、靴の修理様の接着剤、皮膚病の治療薬等も登場してました。清貧を重んじながらも、現代の文明、文化を完全にはシャットアウトしているわけではない

*2:ソウル出張の話が出てましたから、完全に俗世を断ってるわけではない。これも時代なんでしょうね

*3:安息日以外、会話は原則禁止で「沈黙」の修練なんです。これはか細き神の声を聞き逃さない為でもあり、カトリックの根本教義「三位一体」の内、「聖霊」の顕現にも関わってそう