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灼熱の魂(ネタバレ)/笑わない女が歌うのは…

■十字架とスカーフ

ポスターを見て、絶対に観よう!と決めていた作品です。燃えさかる炎を遠景に、虚ろな横顔の女性が一人。一体、この人に何が起きたのかをどうしても確かめたかったから…。母の遺言に導かれるまま、過去を旅した双子の姉と共振して、あっという間に物語に引き込まれてしまいました。過去と現代の時制が一瞬、曖昧になる所が何か所かあったんですね。親子を演じた女優さんが似ている事と、中東特有の、わずかばかりの樹木以外、岩と砂ばかりの変化に乏しい風景だからこそ可能なんでしょう。母の過去と娘の現在が、映画が刻みつけていく特別な時間の中で邂逅する−それぞれの思いが交差する時空間は、決して語られることのなかった母の過去を再構成すると同時に、子供達が自らの手で自身の起源を遡る旅でもあるんです。
パレスチナ難民とキリスト教徒の若い男女が恋におち、女は身ごもる。駆け落ちしようとした所を見張っていた兄に恋人を撃ち殺され、家名を汚した罪によって同じく殺されそうになった娘を救ったのが、彼女の祖母でした。ナワル・マルワンが妊娠を告げた後、石作りのお家の中から、彼女の悲鳴が聞こえていましたが、これって、多分、ナワルが流産しかかったということなんですよね?恋人を殺されたショックからか、それとも、異教徒の穢れた血を排除しようとする共同体から孫娘を守るために、祖母がとった人工的な処置(煎じ薬か何かを飲ます)かはわからないんですけど…。それでも子は流れず、祖母は出産後村を出て街の大学に進学する事を条件に、彼女の保護を約束。無事に生まれた赤子に“しるし”を施し、黒マントの女の手によって孤児院に引き渡たされる。かかとの印からも『オイディプス神話』を連想しますが、父殺しと近代的成熟の文脈から読み解かれることの多いオイディプス神話を、子を孕む宿命を背負わされている女の視点から捉えなおしたと言えなくもない。
内戦の勃発と同時に、生き別れになったわが子の身を案じて母ナワルは故郷の南部に戻り、“いつか必ず探しに行く、私を忘れないで”と誓った約束を果たすために子供の行方を探し始める。一本の樹に祈るように寄り添っていた姿が印象的でしたけど、この場所に恋人がひっそりと埋葬でもされたのでしょうか。
中東のレバノンがモデルのようですが、イスラム諸派、キリスト教諸派の微妙な力の均衡の上に成り立っていたモザイク国家に、大量のパレスチナ難民が押し寄せる。この大混乱に乗じて拡大しようとする諸派と、抑え込みにかかる勢力、それそれの思惑が入り乱れた戦闘は「中東の真珠」と讃えられたベイルートを破壊…映画を観て、イスラム圏の本を慌てて復習しただけのにわか知識ですけど、中東の歴史に疎くても混乱はありません。ムスリムはスカーフ、キリスト教は十字架といった具合に、分かり易いアイコンで示されます。このスカーフと十字架の違いが身の安全を担保してくれるんですね。母ナワルは十字架を外し、バッグから取り出したスカーフで髪を蔽い、ムスリムを装ってバスに乗り旅をしてました。キリスト教右派の武装集団に襲われた際には、十字架を取出しキリスト教徒に戻る。政治的均衡が失われた流血の時代だからこその生き残るための知恵なんでしょうが、宗教の違いを皮相のみで見せてしまう手法に、宗教対立を冷めた感覚で見つめる作り手の意思が感じられます。

■のどに刺さった剣

監獄クファリアットで受けた民族浄化の名の下に行われた凄惨な暴力の末、産まれた双子の姉弟。母の遺言に関して、この姉弟には温度差があります。過去を知りたい姉と、忘却の彼方へ一刻も早く母を葬り去ってしまいたい弟。ナワルが経験した重量級の過去は、カナダに移住した後も彼女を呪縛していたんでしょう、弟が話す“変わり者の母”という台詞には、子供を存分に甘やかせてやる、優しいだけの母親ではなかったであろうナワルに対する屈託が窺えます。
どんな拷問にも耐える“歌う女”の不屈の精神を支えていたのは、生まれてすぐに引き裂かれた赤子への想い。子守歌に託して、彼女は息子との再会、唯それだけの為に、消え入りそうになる望みをなんとか手繰り寄せてました。独房で自分の腹を殴ってましたけど、日々、迫出してくる腹を眺め、我が身を呪い、どれだけ恐怖したか…自身の胎内で命を分け合っているまだ見ぬ子供に対する愛おしさと、同時にこみ上げてくるレイプした男に対する憎しみ。複雑な思いの中で、母ナワルは常に引き裂かれてたことは想像に難くないですが、同じ産む性である姉ジャンヌには理解できても、弟君には大変だっただろうなぁって思います。
この双子の姉弟が中東のホテルのプールで泳ぐシーンが良いですね。母の過去を旅し、出会うべくして出会った真実。事の重大さ、衝撃の大きさに、一体どう受け止めていいのか、姉弟それぞれが迷いの中で水に飛び込む。たゆとう水に全身を委ね意識を解放するうちに、苛立ちや不安が不思議と静まり、双子としてこの世に生を受けた、決して分かつことの出来ない絆が立ち現れる。プールは、母の子宮、羊水でしょう。母の胎内にいる時からずっと二人は一緒だったんですもの。それを感じたんだと思ってます。女の体内には愛を奪い去る者に向かって放たれるすべてを焼き尽くすほどの激しい憎しみと、同時に、憎しみを溶解させ再生へと向かわせる生命の源の「水」があるのでしょうか。
一神教の苛烈さには、中東の厳しい自然環境が大きく影響しているのでしょうが、岩と砂ばかりの大地に放たれた火はすべてを焼き尽くすまで消えることはないです。ナワルは、キリスト教右派の武装集団が放った「火」によって、憎しみの連鎖の中に自ら飛び込んでしまいましたが、魂までもが焼け焦げる一歩手前で彼女を引き留めていたのは、自身の体内深くで命を宿すと同時に生まれる水なんだと思います。「火」と「水」の相関性は面白いですよね。どちらも「浄化」をイメージしますが、宗教的な意味合いも絡めていくともっと深まるかもしれません。そのうち時間が出来れば、ちょっと探ってみたいところです。

■沈黙が破られ、約束が果たされる

序盤に登場するカメラ目線で観る側(観客)を睨め付けるひとりの少年。裸足で髪を剃られる風景は、監獄クファリアットで拷問に耐え続けた母が最初に受けた処遇と同じですね。人の尊厳を打ち砕く非道な監獄と少年兵を養成する組織は似てしまうのでしょう。食事や保護を受ける代わりに洗脳され、即戦力の兵士に仕立てられた少年は、優秀なスナイパーとして、同胞さえ怖れる凄腕の拷問屋として、幾度か名前を変えて組織に尽くしてました。
母と子供たちを呑み込んだ壮絶な物語は、乾燥した大地で剥き出しにされた少年の不屈の眼差しが、最終的にどこにたどり着いたかを指し示す−しっとりと湿度を帯びた緑滴る墓地で、母の墓石を前に項垂れるほかない、祖国と産みの母、二つの「母」から分断されていた、寄る辺なき男の佇まいとして幕を閉じます。物語の発端から、早々に消えてしまったかのような少年が再び物語内に召喚される構造は、この一風変わった母の遺言が双子の姉弟だけではなく、もう一人の息子に向けられたものであったことの証左でもあるんですよね。
プールでの奇跡のような再会。母ナワルにその命を奪うほどの衝撃を与えたのは、決してインセスト・タブーだけではなかったと思うんです。兄は、目の前にいる女性が誰か分からなかった。母である事を知らないのは当然だとしても、彼、自分が犯した囚人としても記憶していなかったんですね。残虐な行為を大義のための英雄的行為だとすり替えて、長年、人間らしい感情や理性を麻痺させて来たのでしょうから、政治犯数百人が収容されている監獄でレイプした女の顔なんていちいち覚えてもいない。道端の石ころや空き缶に思いが及ばないのと同じ、彼にとってはナワルは非人称の、単なるモノであって「他者」ですらない。でも、ナワルは忘れなかったんです。彼女は何も知らない無垢な子供ではなく、激しい憎しみからテロ行為にまで手を染めてしまった加害者でもあるんですよね。憎しみの連鎖の輪の中に自ら飛び込んでしまった女は、かつての無垢な時代に戻ることはできない。自分の外部に悪を規定して、安産圏に身を置き、他者を糾弾する甘えが許されない事を誰よりも理解してるのが彼女。憎しみの業火に焼かれながら、子供達への想いに引き裂かれてきた女だからこそ、内在する憎しみの「火」と、何があっても断ち切ることのできない慈愛の「水」を同列させることが出来る。もう一人の息子に充てられた遺書は、忘却の彼方に押し流されてしまう痛みに満ちた記憶を、死者の名の下に呼び戻しました。長男には、これから暗く長いトンネルを潜り抜けなければならない試練が待ち受けてます。が、ナワルが残したもう一方の遺書−あなたに何があっても、私はあなたを愛する−が、その困難な道程を照らす一筋の光となってくれるでしょう。監獄でナワルを支え続けた「子守歌」同様に。私はあなたの喜びと共にあり続ける、あなたの悲しみと共にあり続ける、私はあなたを忘れなかったのだから…。