サクリファイス(ネタバレ)/水滴の中に映し出される世界

A・タルコフスキーに興味を持ったのは押井守氏の本でしたので、実際に作品を見たのはかなり遅かったです。『天使のたまご』でタルコフスキーの影響を指摘したのは、作家の長部日出雄氏が最初じゃなかったかなぁ。本作以外では『惑星ソラリス』と『ノスタルジア』を観ただけなので、あーだこーだ書くのは100年早い!とお叱りを受けそうですが。。
映像の詩人と讃えられたタルコフスキーですから、画面から伝わる緊張感と、長回しによる独自の時間の結晶化はやはり素晴らしいです。ベルイマンと一心同体とまで言われた撮影監督スヴェン・ニイクヴィストとのコラボは勿論の事、音響設計が良いですね。戦闘機のジェット音で揺れるワイングラス、天井のシャンデリアの揺れ、風の渡る音、滴り落ちる水のしずく、牛飼い(?)の唄とも呼び声とも判別できない女の声、燃えさかる家屋で割れるガラスの音、姿を現さない鳥の鳴き声。フレームの内と外で、ひそやかに時には猛々しく響く音の数々は印象深かったです。
タルコルスキーが四大元素(地、水、火、風)のモチーフを映像を通して再生し続ける事はつとに有名です。本作でも、湿地に隣接するお家が燃え落ちる水と火のスぺクタルが用意されていて、湿地帯=海(水)と大地(土)が混ざり合う、境界上での水と火の浄化は、キリスト教の枠内だけでは還元し得ないものを感じます。時間(記憶や未来)が一部入れ子構造になってる(仮に途中から主人公の夢だったとしても、夢のまた夢といった多層構造が部分的にあるのか、他者との夢=意識とのシンクロがあるのか…よく分からない)事、ロシア正教の独自の背景、思想等々、とても複雑です。映画や本を通して知っている、私の僅かばかりのキリスト教の知識よりもっと魔術的、呪術的なイメージに満ちてるんですよね。時代的にユングの影響があるのでしょうか。そこに東洋的な陰陽思想や音楽が出てきたりで、日本人が観るとちょっとびっくり(私は驚きました)。この万華鏡のようなイメージをカメラを通して透視することによって、黙示録的な世界をペシミスティックに描くだけではなく、既存の宗教の枠を超えた、より普遍的な希望への可能性を匂わせる事が可能なのでしょう。偉大な映像作家として多方面から研究されているでしょうから、タルコフスキーに関して何か書く事自体滅茶苦茶恥ずかしいことなのかもしれませんが、それでも書きたい!って思わせるだけの力が作品にあるんですよね。素人の図々しさで、ここは思い切って書いちゃいます、書かないとどうにもすっきりしないので。。以下、面白かった所をだらだらと挙げていきます。あっ、妄想込ですから(笑)。

■レオナルド・ダ・ヴィンチ作『東方の三博士の礼拝』
http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/davinci_magi.html

OPのタイトルバックにある絵画。一階に飾ってある絵なんですが、主人公アレクサンドルの書斎にもあり。で、聖母マリアの背後にあるのが生命の樹(Tree of life)ですよね。冒頭で“父と息子”が水を与え世話していた「日本の木」のイメージに繋がる所。生命の樹の影を映す天上の湖には生命の源であるミルクが満ちているという伝承があるそうなんですが、出典まで辿れませんでした。ミルク瓶が割れるでしょう?あれが気になるんですよ。郵便屋のオットーがこの絵画を気味悪がっていた理由は分かりません。

■医者のプレゼント 
15世紀ロシア聖像画家(イコン画家)アンドレイ・ルブリョフの画集。タルコフスキーは1967年にこの偉大なイコン画家をモデルにした作品を撮ってるんですね。色彩に乏しい本作にあって、画集の鮮烈な赤は印象的でした。序盤でアレクサンドルの息子(唯の「子供」とだけ呼ばれていました)が流した鼻血の赤も…。

■元教師の郵便屋オットーはニーチェの「永劫回帰」について語りながら、自転車で、アレクサンドルを中心に「八の字(メビウスの輪“∞”)」を描いていきます。メビウスの輪は表(陽)と裏(陰)がひっくり返ってしまいますよね。また、アレクサンドルの室内着の背中には陰陽魚太極図が描かれていました。

■オットーのプレゼント 17世紀末の欧州古地図
いわゆる「moderne」の時代ですよね。ロシア帝国はこの後拡大していきますし…。この辺りはさっぱり分からない。タルコフスキー自身がこの時代に特別な思いでもあるのでしょうか。

■子供のプレゼント 家の模型
医者(アンドレイ・ルブリョフの画集)、郵便屋さん(欧州古地図)、“子供(お家の模型)”━誕生日のプレゼントとして登場した三つの贈り物。ココで連想するのは、旧約でお馴染みの東方の三博士の贈り物です。OPのダヴィンチの絵にも登場する、「黄金」と「乳香」は神聖な神の王国への崇拝の徴、「没薬」は古来死者の防腐処理に使用されたことから、幼児イエスがやがてキリストとなって人間救済のために死し、復活することを暗示するとの事(岩波キリスト教辞典より)
没薬は興奮剤としても用いられ、痛みを和らげるためにゴルゴダの丘に向かうキリストに葡萄酒に混ぜて差し出された(『マルコ』15,23)
で、ここで問題が発生(笑)。東方の三博士に、アレクサンドルの息子を加える事は出来ないんですよねー。外部の人間から届けられた贈り物、これを契機に声を失った子供が声を取り戻す、父のサクリファイス(贖罪のための犠牲)を通して…だと思うので。。登場人物で外部の人間は、お手伝いさんの魔女さん(?)しか残っていない。彼女、何かプレゼント用意していましたっけ?それとも、空中浮揚を含め、彼女のお家で行われた魔術的なシークエンスのすべてが「贈り物」だったと言えるかも?
この模型のお家が現れるシークエンスが一番、好きです。アレクサンドルの動きに合わせてカメラがティルトダウンして、湿地の水を挟み、模型へと繋がる。遠景には本物のお家があって…。世界が二重化されたような感じなんです。シュルレアリスムっぽいというか、夢や幻想への入り口、現実世界の裂け目が現れ、隠されていたものが見えてしまう感じ。。この模型のお家の登場以降、彩度を落とした色彩処理でモノクロームに近くなっていきます。滑らかな水平移動による長回しと、カメラのティルト(垂直運動)を境に現れる別世界。核戦争勃発以降、時間や空間の因果律を超越した世界が、夢とも幻想とも判別できない、アレクサンドルの個人的な記憶の堆積層を縦断します。このシークエンスには圧倒されました。ニワトリ(トキを告げる雄鶏)の登場は、夢の主が覚醒(夢から醒めかかっている)徴候なんだという分析もあるようですが。。

■オーディオが収められた書棚
核戦争ニュース時には、この中にカップ&ソーサーが入っていた。カタストロフが回避された(であろう)以降の世界にはない(クリスタルの灰皿だけ)。

神という超越的存在を不可視、不可知としながらも、尚、この世界でその聖性を垣間見られる可能性を残した(見えるもの=「画像」を通して、見えないもの=「神」へと人間を導くイコンは「天国の窓」と呼ばれます)ロシアの宗教思想の独自性があって、すんなりとは理解出来ない所もあります。神の恩寵(grace)の捉え方が西方とかなり違うようだし…。単一のコードで作品を読み解こうと、フィルムの「外部」にある窮屈な観念的鋳型に落とし込んでいくより、映像と音が生み出す、寡黙ながら力強いイメージの放流に身を任せるのが一番と半分開き直りつつも、やはり気になります(笑)。
タルコフスキーの自伝的著書『映像のポエジア 刻印された時間(キネマ旬報社)』が入手困難な状態で、ずっと探してるんですが手に入りません。再販して欲しのですけど。。