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少年と自転車(ネタバレ)/あの頃、自転車で行ける場所が世界のすべてだった


アダージョは傷ついた少年に寄り添う
公開中は見逃してしまってようやくDVDを観ました。本作、ダルデンヌ兄弟作品の中ではとっても珍しい事に劇判が結構使われているんですね(使用されたのは、ベートーヴェン作ピアノ協奏曲第五番「皇帝」第二楽章アダージョ)。
一回目は、シリル((トマス・ドレ)が、彼を捨てた父親((ジェレミー・レニエ)と逢う為に、養護施設を抜け出した場面。ホームのフェンスを「よじ登ろう」として、先生たちに取り押さえられてしまいます。
2回目は、里親となったサマンサ(セシル・ドゥ・フランス)の協力で、父の居場所を突き止め、父の仕事場を覗こうと裏口の塀に「よじ登って」ました。しかし、父から「拒絶」された現実を受容できずに、帰りの車中で、顔を掻き毟る自傷行為に驚いたサマンサに抱きとめられる場面。
3回目が、団地にたむろする薬の売人に目をつけられ、強盗事件を起こし、口止め料として渡された分け前を持って父を訪ね、再び拒絶される場面。
最初の拒絶の時は、シシルの父はまだ甘い所があります。自分の身勝手から息子を手放す、親失格の人間である事実を受け入れられないのは、この父なんですね。サマンサが買い与えた携帯の番号を、自分からは連絡する気もないのに、息子に熱意に押されて一応、メモしてその場だけの誤魔化しをする。父親の曖昧な態度が結局はシリルのためにならないと判断したサマンサの毅然とした態度は立派だと思いますが、親に見捨てられ、深く傷ついた幼い少年の心は悲鳴を上げて軋み始める。クリニックで、偶然、彼女にしがみついてきた少年を、彼女自身もよくは分かってはいない(筈の)情動に突き動かされて里親になった彼女が、初めてシリルの剥き出しになった魂ごと、彼を抱きしめる━この瞬間、彼女は本当の意味でシリルの「親」になる覚悟が出来たんだと思います。
強盗事件の分け前を父に渡す為に、シリルは自転車と一緒にバスに乗り込んでました。降りる場所を間違えないよう、全神経を集中して車窓から外を見つめる少年。団地からは結構な距離があるんでしょう、自転車を漕いで行かなかったのは、それに要する時間さえ惜しい、一刻も早く父に逢い、お金を渡して喜ばせたい、父と暮らせないのはお金がないからだと思ってますから(だから彼が大事にしていた子供用MTBを売ったんだと思っている)。最後の別れの場面でも、シリルは壁をよじ登り「父の世界」へ越境しようとしますが、再び、壁の向こう側に押し戻されてしまう。煉瓦の壁の向こうにある父の世界には、もう彼の居場所はないんです。最初の拒絶時にはドアのガラス越しで父の姿は見えましたが、2度目の拒絶時ではレンガの壁で、父の顔さえ見えません。この違いは、親子の埋めることのできない隔たり(距離)なんですよね。
サマンサに週末だけの里親になってくれと申し出たのも、彼女の車が目当てなんでしょう?自転車では行けない場所(距離)も自動車なら可能ですから。父親探しの手助けの為に必要だったサマンサが、やがてシリルにとってなくてはならない、かけがえのない存在になっていきます。父との最後の別れの帰り道、彼はバスには乗らず、自転車を漕いでました。わずかなお金の為に売られたMTB同様、“父さんは、もう僕を愛してもいないし必要ともしていない”━シリルには、目の前に突きつけられた最も残酷な父の回答を、何とか冷静に受け止めるだけの時間が必要だった。自転車は「空間」を移動しているだけではなく、苛酷な現実を受け入れ、前に進む為に必要な「時間」をも移動しているんじゃないでしょうか。自転車は自らの脚で漕いで前に進むもの、漕がなければ倒れてしまいます。この短い旅で、彼は還るべき場所=サマンサを見出したのでしょう。
強盗事件の処理が全て終わった後(弁護士を立てて示談にしたようですね)、川沿いをサマンサとシリルが自転車に乗る場面。ふたりは自転車を交換してましたよね。大人のサマンサが子供用MTBに乗り、シリルが大人の自転車に乗る。身丈に合わない自転車では速いスピードで進むことは出来ませんが、このふたりはその不自由さも一緒に楽しんでいました。何より大切なのは、同じ速度で並走する事。血の繋がりのない家族でも共に歩んでいく覚悟があるなら、必ず道は開けるのだと思います。シリルには、焦らずゆっくりと大人になって欲しいですね。ダルデンヌ作らしい、安易な断罪を持ち込まない、対象に対する誠実さに溢れている作品です。自転車を漕ぐ少年の姿を丹念に追い、フレームから消えていく時間までも捉えようと、カメラが控えめに動き出す瞬間(わずかにパンする)が良いです。他者に寄り添う事、見守る事の難しさと喜びを見事に演じたセシル・ドゥ・フランスの、良く日に焼けた健康的な脚に見惚れてしまいました。日向の藁のように、良い匂いがしそう…。この歳になるととにかく「日に焼ける」のが怖くて、怖くて仕方ないのですが(笑)、日焼けしてもいいんじゃないかと久しぶりに思い直した次第です。あっ、でもやっぱり怖い(笑)。