オンリー・ゴッド(ネタバレ)/カラオケ好きな神さま

「カチン」の剣舞、カラオケのメランコリック

『ドライヴ』のニコラス・ウィンディング・レフンが再びライアン・ゴズリングと組んだ新作を観て来ました。これは中々の珍品。
あんたはキューブリックかい!と言いたくなるほど、シンメトリックな構図*1の他、デヴィッド・リンチ(特に『ロスト・ハイウェイ』)、北野作品等々、映画イメージの断片が脳内に浮かぶものの、そのどれにも似ていない作品です。映画としてのスタイル(様式)を先行するテクストに求めつつ、全く違う着地点━ミャンマーやラオスと接する国境付近を中心に「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれる麻薬の取引地帯を抱えるタイを舞台に、裏返った「西部劇」をやりたかったのかなぁと。。
原題の「ONLY GOD FORGIVES」が示す、赦し(許し)を与え給う神はチャン(ヴィタヤ・パンスリンガム)なんですよね。
前作の『ドライヴ』が西部劇の古典『シェーン』のアップデイトだったのと同様、本作にも西部劇の片鱗が顔を覗かせます。
秩序が確立していない西部(タイ)で、跋扈するならず者(ジュリアン兄弟とその母)を、法の枠内で裁くのではなく、超法規的措置で成敗する「法と秩序の番人」保安官(実際は元警察ですが)のチャンが登場。
物語の構成要素は正しく西部劇なんですが、そこに心理的ミザンセンが重層化されており、酩酊したような不思議な感覚になりました。
大まかに分けると、ジュリアン(ライアン・ゴズリング)の世界(登場場面)は抽象的、象徴的記号に溢れているのに、チャンのパートは具象的世界。
彼が使用する鱧切り包丁をでっかくした様な変わった剣は「カチン」と呼ばれるもので、ミャンマー 、タイ、雲南、ラオス、カンボジア、ベトナム、東アジアの広域で使われるもの*2。その剣が「シャキーン」という冴え冴えとした切れ味をイメージさせるSEと共に背中から現れる(笑)漫画チックな表現や、血の雨を降らせた後に必ずチャンはカラオケバーでメランコリックなラブソング(?)*3を歌いだすシークエンスに、それまで張り詰めていた緊張感がカクンと脱臼させられます。彼によって裁きを下された者を追悼しているのか、神の代理人を請け負う自身の罪を洗い流し、心を清めているのか分かりませんが、可笑しかった。。
女子供には手を出さない、寧ろ彼らの庇護者(守護天使)たるチャンの立ち位置が、暴力性を正当化する担保でもあるわけで、彼が大事に育てていた娘も、血の繋がりのある親子関係ではなく、自ら手を下した罪人の孤児を引き取ってる可能性も捨てられない。ジュリアンの母(クリスティン・スコット・トーマス )の命を受けチャンを追っていた自動車のパーツを扱う小さな会社の経営者も、チャンに“子供をお願いします“と丁寧に頼み込んでましたもの。

私の拳を罰して下さい

オンリー・ゴッドの予告編・動画「ニコラス・ウィンディング・レフン監督メッセージ」 - 映画.com

監督インタビューにあるように、ジュリアンは何度も自分の拳をじっと見つめ、最後にはその拳=彼の持つ男根的な暴力性の象徴を、神(の代理人)チャンによって切断されます。この「去勢」はジュリアン自らが望んだもの。彼は兄のように少女をレイプし惨殺したわけでも、チャンの命を狙ったわけでもない。娘を殺す機会があったにも関わらず、そのコを助けてさえいるんですね。では彼が犯した罪は一体なんだったのかを妄想します(笑)。

作品中に登場する「赤い部屋」。ココはジュリアンの馴染みの娼館の一部だったんですが、壁にびっしり彫刻されていた獣のデザインがとっても気になったんです。
頭部は鳳凰か孔雀に似ていて、胴体部分は蛇。空想上の獣か邪神のモチーフじゃないかと思うんですが、ここからどんどん連想していくと、ギリシヤ神話に登場する、怪物たちの母エキドナに私は行きついちゃいます(笑)。
ジュリアンの母は正に「蝮の女」で、溺愛していた兄も、少女(16歳!)を惨殺する、性衝動と切り離せない暴力性をむき出しにする男でした。
母親の底なしの欲望に飲み込まれ崩壊してしまった兄とは違い、ジュリアンは何とか自己を保とうとしています。一番分かり易いのが、馴染みの娼婦を買った時。イスに両手を縛るのは性衝動と同時に湧き上がる暴力性を封じる為なんでしょう。
母親クリスタルは、子供を支配下に置く「ファリック・マザー」の典型で、この赤い部屋はおそらく母の子宮の具現化なんでしょうね。
終盤、ジュリアンは死体となった母の腹部奥深く拳を突っ込み、彼の男根(拳)は母を犯す、しかも死姦な訳でしょう?血が飛び散り、肉体が引き裂かれるゴア描写より、ココが一番ぞっとしました。。
ジュリアンの罪は、ファルス的な享楽で息子を呑み込もうとした母に対する復讐と表裏一体の甘美な背徳にあり、それを自覚している彼は、罪の贖いとして彼の男根=拳を差出し、神(の代理人)によって再び「去勢」されます。このいかにもなフロイト的な世界観の原型は神話世界では散見されるもので、ファリックな母性の去勢(死)を怪物退治の説話に、その後の新秩序の誕生として父のファルス(本作だとチャンが振るう剣がそれに相当すると思います)を偶像とする神話、伝承は、東アジア圏でも探せば見つかるんじゃないでしょうか。西部劇が暴力の偶像化でもあるんですが。。

赤いガラス玉の暖簾(?)が、娼婦を閉じ込める鳥かごみたいに見えたり、飾り窓の向こう側にいる女たちのゆっくりとした動きが水槽で飼われてる魚の様だったり、とってもスタイリッシュな場面と、血の雨が降るゴア描写との落差で頭がくらくらしそうな作品でした。暴力描写は今後も続くんでしょうかねー、次回作では毛色の違ったもの、観たいなぁ。。

*1:スタンリー・キューブリック監督『アイズ ワイド シャット』のラリー・スミスが撮影監督を務めてる

*2:http://www.imdb.com/title/tt1602613/trivia?ref_=tt_trv_trv The short sword that Chang wields seems to be a 'Kachin dha', from the Jingpho or Kachin people who inhabit the Kachin Hills in northern Burma's Kachin State, and neighboring areas of China and India. The name 'dha' is used for a wide variety of knives and swords used by many people across Myanmar (Burma), Thailand, Yunnan, Laos, Cambodia and Vietnam.

*3:カラオケ曲の歌詞がなかったのでそう推測してるだけですが、こういった所、ちゃんと訳して欲しいものです