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少年は残酷な弓を射る(ネタバレ)/赤い悪夢を洗い流す

■16歳の主演舞台
旅行ライターとして順調にキャリアを積んでいたエヴァ(ティルダ・スウィントン)は、旅先での解放感からか、恋人フランクリン(ジョン・C・ライリー)と安全日ではないと知りつつセックスをし、身籠ります。元々が望まない妊娠の上に、臨月近くなってもお腹の子に愛情を持てないまま、生まれたのがケビン(エズラ・ミラー)。夫のフランクリンが抱けばピタリと泣き止むのに、エヴァだと火がついたように泣き叫ぶ赤ちゃん。道行く人が思わず振り返ってしまうほど激しく泣き続ける赤ちゃんと、道路工事の騒音がシンクロしてしまう母親が、心身共にどれだけ疲弊していくか…子育て経験のある親御さんなら理解できますよね。泣き叫ぶ赤ちゃんを抱き上げ、口を真一文字に結び、キレそうになる自分を何とか抑えて、引きつった様な作り笑顔で子供に接するエヴァの痛々しさは勿論なんですが、ケヴィンはどういうわけか、赤子のうちから母親から向けられる負の感情を正確に受信してしまうんです。
面白いなぁと思ったのが、ケヴィンが4歳児くらいの頃。この歳になってもおむつが取れない息子(子供部屋に設えた棚にキチンと並べられた紙おむつの山には唖然としました)に辛抱強く対応していたものの、取り替えたばかりのおむつの中に再度ウンチをした息子にブチ切れたエヴァは、息子を放り投げて、腕を骨折させてしまうんですね。で、帰宅した父親に、ケヴィンは“自分がおもちゃの上に倒れたから”と「嘘」をつく。母親を庇っている訳ではない事は、後日、二人きりで車に乗っていた場面で分かります。帰宅途中に買い物に寄りたいエヴァは息子にそれを伝えますが、息子は家に帰りたいからと言って、腕の傷跡を母親に見せつけるかのようにそっと撫でる。一時の感情でキレてしまった罪悪感に囚われている上に、ケヴィンが父親に対してついた巧みな嘘の為に真実を打ち明けるきっかけを失ってしまったエヴァは、心ならずも彼と秘密を共有させられる「共犯者」の立ち位置に置かれてしまう。
息子に対する愛情を実感できないまま、エヴァは二人目を身籠る。夫が気づいてもいない妊娠を、幼い息子が見抜いてしまうんですよ、恐ろしいほどの観察力(笑)。これは多分、母親譲りなんでしょうねえ…、何せ母親の方も、妊娠の瞬間を目を見開いて感じとってしまう人でしたから。。二人目の赤ちゃんは、それはそれは可愛らしい女の子。聡明で美しい少年に成長したケヴィンは、妹に対して小さないたずらをしたり、相変わらず父親には素直な態度で接するものの、エヴァに対しては、母親の思考法を正確にトレースし、見透かしたような態度や様々なトラップを仕掛けますが、成長期の子供の一時的な反応で、男の子はみんなこんなものだよだと、エヴァが抱えてる不安を夫はまともに取り合おうともしない。この人、かなり問題です。現実から目をそむけている筆頭は、まず、この父親なんですよね。。ささやかでも神経に突き刺さるような不快な出来事(一番嫌だったのは、母と二人だけのディナーでパンを丸めて弄んだり、シリアルをつぶしてるケヴィン。何故、叱らないのでしょうか…)は続くものの、愛らしい末娘の存在が緩衝地帯となって、見かけだけの平和な時間がしばらくは続きました。エヴァは息子に対する拭いきれない不安を心の奥底に仕舞い込み、適度な威厳と子供に対して理解のある理想的母親像を演じ始める。そして、事件は起きます。
妹セリアのペットがいなくなった件は、両親が留守にしていた時に起きた事故で、彼女は片方の目を失ってしまいます。これら一連の出来事は、実際に何が起きたのかは曖昧にしていますが、まず、ケヴィンが全て仕組んだと考えていいと思います。行方不明になったペットは、キッチンのディスポーザーに放り込まれ、それが排水溝の詰まりの原因となる。排水溝の詰まりを解消するために、母が鍵をかけてあった棚から取り出した溶剤がセリアの視力を奪った。一見、この二つの事件は無関係にも見えますが、実は密接に結びついてると思うんです。両親は、妹の訴えを聞き入れて探しはじめますが、途中でソファーでイチャイチャし始める。幼い妹には翌朝、ネズミさんは森のお友達の下に戻ったんだよと適当な嘘で誤魔化す。家庭という場に司法のような厳格さを求めるほど石頭ではないですけど、このお宅には両親の考えを正確に察知してしまう、ケヴィンというモンスターがいたんですよね。溶剤を出したままにしておいたから、妹が失明する事態になったんだと、ケヴィンは新たな罠を仕掛けた。腕の骨折時のように、母が抱く罪悪感を利用するつもりだったんでしょう。表面上の事しか見ない、考えない父親は、ケヴィンに疑いを向けるエヴァにこそカウンセリングが必要だと言い放ち、この夫婦はぎくしゃくし、離婚も視野に入ってくるようになる。原題の『We need to talk about Kevin』の通り、この夫婦はケヴィンについて真剣に話し合う必要があった。そのチャンスをことごとく失ったのは、ケヴィンの最大の理解者である父親の位置に安住し、現実を直視しようとしなかった夫にも責任の一端はあります。
その後、16歳の誕生日を控えたケヴィンは、通っていた高校で無差別殺人事件を起こし、大勢の命を奪いました(正確な人数は分かりません)。体育館の扉に取りつけた自転車用の鍵は、危険な溶剤を保管していた扉につけてあった鍵と似ています。元々自転車に興味のないケヴィンが自転車用の鍵に目をつけたのは、この棚の鍵を見ていたからじゃないかと。。クリスマスシーズンに起きた妹の失明と、高校での殺人の間、どれくらい期間があったのか定かではないのですが…。で、気になるのが、何故、16歳の誕生日直前だったんだろう?なんです。車社会のアメリカではほとんどの州で16歳になれば免許が持てますよね?親同伴じゃなくても自由に出歩けるようになるのが16歳。この日を境にして子供の世界は一気に広がる−自動車所有(免許)を子供から大人への一種のマイルストーンとみなし自立への第一歩とするアメリカ固有の文化は、小説や映画の中で繰り返し描かれてきたと思うのですが、ケヴィンは親の監視下に置かれる不自由さから逃げ出せる未来がすぐそこにあったのに、何故この日に決行したのかがすっきりしていません。家庭内の閉じた世界だけで物語が推移し、ケヴィンを取り巻く学校等の外部社会の描写がすっぽりと抜け落ちてるんですね。彼の標的となったのは家族だけじゃないし、コロンバイン高校で起きた事件のように自殺もしていない。彼の外部世界がまるで描かれていない(ついでに書くと、ケヴィンの内面も母親の視点を通してでしか分からない)バランスの悪さが、現実世界で何か事件がある度にメディアを賑わせる精神分析的な諸解説−理解不能な事象に対して、一定の因果関係を明示してくれる、それも咀嚼しやすい物語として繰り返し登場する−模範的家族(家族の数が存在するだけ、その姿はバラバラである筈なのに)の鋳型に照らし合わせて、そこからはみ出したり、逆に欠落している部分にのみ焦点を合わせ、少年犯罪の不可解さを心の闇として咀嚼する、陳腐でそれゆえに安心して消費できる頑固な強度を帯びた解説の数々と一定の距離を置きたくなる、あまのじゃくな性格に拍車を掛けます(笑)。ケヴィンは真に欲したものは母の愛情には違いないでしょうけど、少なくとも事件を起こした時点では彼、それに気づいてなかった筈です。もう一点、気になるのが、事件当時ケヴィンが抗鬱剤を服用していたために、20歳になればほぼ間違いなく釈放される事が、最後の母親との面会シーンで明らかになります。知的で聡明なケヴィンがこの事実を見落とすはずもなく、彼の計画では数年で釈放される事も折込み済みだったということなんでしょうか。。。
■Mother's Last Word To Her Son
トマティーナトマト祭り)で、みしっと詰まった群衆の俯瞰ショットが印象的だったんですが、この祝祭的空間で酩酊したかのようなエヴァの笑顔は、おそらく体育館で高々と弓を掲げ勝利宣言しているフォトジェニックなケヴィンと重なるんだと思います。旅行作家としての自信と実績、それを自分の手でつかんだ女の絶頂期が、経血や出産時の出血をイメージし、その後の大量殺人さえも連想させる赤を纏うんですよね。本作、これ以外にも強烈な赤のイメージで覆われてます。パンにはさんだジャム、イス、妹のヌイグルミ、ダイナーのブラインド、新しい雇い主のネイル等々、極め付けは冒頭、嫌がらせの為に投げつけられたペンキでしょう。夫と娘を失い、職も財産も失った、全てを息子のために破壊されてしまったエヴァの現在と過去の様々な時空間が、ひっきりなしに行き来する複雑な編集ですけど、彼女が過去を回想する事が、粗末な家に投げつけられた赤いペンキを落としていく作業と徐々にシンクロしていきます。記憶を辿り過去を再構築しながら、同時に現代の時間軸で、犯罪者の母として蔑まれ、子供を理不尽な暴力によって奪われてしまった母親や家族達からの冷たい仕打ちにじっと耐える。アルコールと薬が手放せない、孤独でどん底の心理状態にあったエヴァは、辛抱強く壁のペンキを落とす作業を通して、息子との最終対決に臨めるまでに回復していきます。
水面に顔を浸すエヴァの映像とケヴィンの映像が入れ替わってしまったり、モニター上に重なる親子像、パターゴルフの場面で、他人に辛辣な言葉を聞こえないのを幸いに吐き出す母親を見て、自分たちが似ていることに念押しする息子。嫌がらせを受けた卵で作ったスクランブルエッグから固い殻を吐き出し、皿に並べていくエヴァと、咬んだ爪を同じ様に並べるケヴィン。互いが合わせ鏡のようにそれぞれの似姿を映し出してしまう親子なんでしょう。事件から2年後、重い口を開いたケヴィンから出て来た答えは、かつては彼が信じるに足る彼だけの世界が存在し、そこではクッキリと輪郭が浮かび上がり隅々まで明瞭に認識できていたはずなのに、それを失ってしまった孤独な青年の告白の形で終わります。それを聞いて小さくうなずいたエヴァには、多分、その答えが何であっても構わなかったんだと思います。偽りの姿ではなく、それが息子の本心だと彼女が信じる事が出来たのなら…。孤独の中でのた打ち回るような長い道程を経て、エヴァは初めて息子を理解したんじゃないでしょうか。。不器用で、それでいて力強い抱擁の後、一人去っていくエヴァの姿に重ねてあったのが、ワシントン・フィリップスの『 Mother's Last Word To Her Son』です。この歌詞、とても良いですね。後でいろいろと考えてしまいました。。
ノイズを思わせる不安な音の重なり、機械的な連続音が家族の命が失われた場所−芝生用のスプリンクラーだったり、惨劇の最中での悲鳴らしき声が、ケヴィンの耳には彼を称える歓声のように聞こえていたり、何故だかさっぱり分からないのですが(笑)、琵琶らしき音が短く入ったり、映像だけではなく音へのこだわりも感じた作品でした。まだまだ未消化な所が多くて、とっ散らかった内容なんですけど、書く事で一応の区切りをつけておかないと、いつまでも引っ張られてしまうので…とりあえずは、こんな感じです。。


☆☆☆
書き忘れがあったので、追加します。
妹が片目を失う前、ケヴィンは彼女をクリスマス用の飾りつけ(モール)でグルグル巻きにして悪戯してました。これって、両親へのプレゼントのつもりなんですよね、多分。悪意あるものですけど、片方の視力を奪われた妹は、現実を見ようとしない両親への当てつけでしょう。あんた達は片目を失ったのと同じだよって事なのかなぁと妄想してみる(笑)。幼い妹はまったく理由も分からずに、この遊びが気に入ったから、同じように、母親のエヴァをプレゼント用のリボンでグルグル巻きにしてマネしてたんじゃないかと…。(2012/07/14 18:22)