夢売るふたり(ネタバレ)/カモメよ、心あらば伝えてよ

■あまたある地上の星が、孤独な街を彩る
東京で暮らす女性たちの孤独につけ込み(笑)、結婚詐欺を働いていた貴也(阿部サダヲ)里子(松たか子)夫婦。妻が千に一隅のチャンスを見逃さず確実に捕え(女だから女の気持ちがよく分かる)主導し、ファーストコンタクトが成功すれば、後は貴也の「地のまま」でという、なんてアバウトな騙しのテクニックと思われるかも知れませんけど、私はココ、感心しました。結婚願望がある独身女性━単に結婚したいだけじゃなく、結婚もできないのは、なんらかの欠落があるからだと思われてるんじゃないか、外部から向けられる視線の辛さから逃れたい女の欲望を掬い取り、そこにつけ込むのは巧みです。都市生活者の孤独を癒し、彼女たちにささやかでも心安らぐ時間を与え、新しい店の開店資金を得ようとする目論見は、女たちの再生への手助けとなる反面、開店資金が増えるのと逆行して自分達の夢を徐々に壊していく事にもなっていくんですね。夢を売るつもりが自分たちの夢を売ってしまった夫婦の物語です。本質的に女に優しい貴也は、あちこちで指摘されてますけど前作『ディア・ドクター』で医者に成り済ましていた伊野のキャラとちょっと似ている所があって、女たちの願望の受け皿となれるのは、貴也の中心がどこまでも「空疎」なんだからだと思います。中心が空疎だから、どんな女の欲望も投影できる、ある種の「鏡」みたいなもんですね。結婚願望は表層に過ぎず、彼と関わる女たちは、彼を通して自身の欲望の本当の在り処に気付くんじゃないでしょうか。鏡男の貴也は、それぞれの環境にいともたやすく順応していく。これはもう、天性のものでしょうね。その性質は善良なんでしょうけど、女から見ればこれはこれで、とても哀しい…。結局、相手が誰であっても、こういう男はそれなりにやっていける、この事に里子が気づいたのはどの時点だったのでしょうか。
危険を顧みず火の中に飛び込んでまで守ろうとした、板前の魂=マイ包丁は、終盤、子持ちの未亡人宅で、台所の洗い物やまな板と一緒に無造作に放り出され(肝心の貴也は、工場で生き生きと働いてた)それを見てしまった里子の中で何かが壊れてしまったんでしょう、その後この包丁を持ち出す気持ちはよく分かります。火事で失った店を再開するのは二人の夢、この夢の為には多少の犠牲も我慢しようと自身を欺いてた里子は、他の女を見下し腹いせをする代わりに、徐々にどす黒い闇に囚われていきます。場末の居酒屋の厨房で、ばったり目があってしまったドブネズミになったような気分を味わってたのは彼女。罪悪感を一時でも麻痺させてくれる、女同士の差異から生まれる優越感も徐々に色褪せ、夫を奪われるかも知れない恐怖と孤独が彼女を追いこんでいく。未亡人宅へのお土産に自慢の煮物をいそいそとタッパーに詰め出かけていく貴也を見送るシーンが切なくて良いですね。里子の髪が一瞬、揺れるんですよ。髪の動きと心の動きが連動するのは宮崎アニメでお馴染みの手法ですけど。。あの時引き止められたら、人生変わったでしょうが、わずかなすれ違いが決定的な溝へとなってしまう夫婦の来し方が悲しい。
群像劇といった作りで、前二作と比べると少々見劣りのする脚本のような気がしますが、それを補って余りある細部が楽しかったです。冒頭、築地(あたりでしょうか?)で買い付けする夫婦の横移動のショットとか、スカイツリーの見える隅田川沿いの店の雨戸が外され、光が差し込む場面、店の見積書(夢)をばらまきながら橋を疾走する(橋=境界を超えたんですね、彼女)シーン、終盤、刑務所内にいる貴也と、雪の舞う漁港で働く里子を繋ぐ「カモメの声」が良かったです。博多弁は懐かしかー(笑)。夫の転勤で2年間、福岡に住んでいた時期があって、個人的なツボでした。福岡周辺の郷土料理、がめ煮(筑前煮)が登場してましたけど、秋風を感じると煮物が恋しくなります。週末辺りに作ってみよっと。。