ライフ・オブ・パイ(ネタバレ)/神の愛は森に隠れてる
※完全ネタバレしてます。未見の方はスルーしてください。
予告編からは想像もつかなかった作品。頭に残ってしまったのが、自己とは他者とは何かといった哲学めいた事ばかりです。哲学、苦手なんですけど(笑)書かないとモヤモヤしたままなので、思い切って書いちゃいます。DVD見直したら、ごめんなさい、間違えてました!となりそうですが。
■トラが見たもの
中年のパイ・パテル(イルファン・カーン)が、青年の頃、太平洋上で嵐に巻き込まれ遭難し、救命ボートに残されたトラとの長期にわたる漂流生活を、カナダ人ライター(レイフ・スポール)に語った物語━洋上の救命ボートで起きた諸々は、終盤、もうひとつの物語によって根底からひっくり返る、ブライアン・シンガー監督『ユージュアル・サスペクツ』同様、真実を知る唯一の生存者がUnreliable narrator(信頼できない語り手)なんですよね。ウィリアム・ターナーが描く夕景の中にすっぽり納まってしまったような空、波ひとつ立たない鏡面のように静かな海面。満天の星空を水面に写し込んだ夜の海。現実にはありえない、息を飲む幻想的な風景の数々は、パイ(スラージ・シャルマ)の心象というか、パイの心の中のある極の在り様を示している(その極北はトラです)ので、どれだけ非現実であってもちっともおかしくないと思います。
クジラが現れた夜、手作りの筏に積んであった飲み水と非常用食料を、クジラがジャンプした反動で、海に落っことして失ってしまいます。終盤に登場する「carnivorous island (人食い島)」同様、パイが神性のビジョンなり、イメージなりを受信する(神の実存はとりあえず、横に置いておきます)時、発光体を伴うようで、このクジラも夜光虫にびっしり覆われたかのように光輝いてました。パイが浮き輪やライフジャケット等を使って筏を作ったのは、まだ母親(オラウータン)が生きていた時。母をコッチ(筏)に避難させるつもりだったんでしょう。その後、フランス人コック(ハイエナ)が、仏教徒の船員(シマウマ)、パイの母親(オラウータン)を殺し、その後、パイ(トラ)がコック(ハイエナ)を殺し食べたんでしょう?救命ボートには、彼以外の生存者はいないので、筏に食料を移動させた理由がよく分からないんです。自分しか非常食を食べる人間はいないのですから。ネズミが繁殖しすぎたからとも思ったんですが、トラがネズミを食べる場面があったので、つまりネズミもパイは食糧にしてます。生きたネズミが繁殖しすぎて困るまで、捕食しない訳ないですもの。魚にしろ、ネズミにしろ、腐敗しやすい生肉優先で食べて、日持ちのする非常食は、いざという時のために残しておくと思うんですが。。パイ=トラだと観客に気付かせないためのミスディレクションなのかしら?とも考えたんですが、それではつまらないので(笑)、ちょっと、妄想してみます。
本作でトラが象徴するのは、猛り狂う根源的な欲望、共同体内の秩序を維持するため、いくつかのタブー(禁忌)を制度的に取り込んできた人間社会では、神秘的体験や、霊的、宗教的儀式以外、殺人やカニバリズムも当然のことながら忌むべきものとされてきましたけど、トラはその禁忌を揺るがす衝動的本能なんだと思います。船員(シマウマ)と母(オラウータン)を殺したコック(ハイエナ)に対する激しい怒りから、パイはこの禁忌を超えてしまったんですよね。救命ボートはパイの心的領域の具現化で、人間とトラは自我と他我(オルターエゴ)を視覚化したものだと思います。で、人間パイは自身の本能をコントロールしようとし始めるんですよね。サーカスでの調教のようにやってましたけど、おしっこ(パイの本来の名前に関係あるもの)でマーキングしたり、呼び笛を使ったりしてました。笛=音響イメージが登場するのは面白かったです。視覚だけではなく、聴覚の領域にまで幻想が及ぶとは…。
ラスト、メキシコの海岸に流れ着き、トラが「森」に消えていく際、トラの見たビジョンとしか思えない映像(マンガの吹き出しみたいに、満面の笑みを浮かべるパイの顔が現れる)があって、あの画が、人食島(The carnivorous island )と同じく、本作を単なるサバイヴァル映画から飛躍させてるんじゃないかと思うんですよね。彼の心に巣食う悪しきものを神の導きで消滅させたといったような宗教的教訓は持ち込まずに(笑)、トラを自己とは違う視点で世界を見るもうひとつの存在と考えるなら、トラから「見た」パイは、最後の最後まで残しておくべき非常食に当たるんじゃなかろうかと…。非常食=明日を生き抜くための担保、つまり希望です。魚が獲れなくなっても、貯め込んだ雨水が残り少なくなっても、非常食があるんだ!と知っていたなら、心が折れてしまう限界をわずかに伸ばすことが出来る。筏に積んだ非常食が人間パイにとっての希望同様、トラにとってパイは希望だったんです。救命ボートと一本のロープで繋がった筏は「希望の在り処」。衰弱し、死を覚悟する前に、パイはこの筏(希望の在り処)を失ってしまいましたよね。
ボートにいるトラは、パイが罪の意識から切り離そうとした彼自身(の一部)なんでしょう、人間としての尊厳を自覚しているがゆえに、禁忌に触れた自身を否定する心の働きが、もう一つの自我を生み出したんじゃないかと。。共存不可能な猛獣として登場したトラは、パイとトラの視覚的な距離が近くなるにつれ、人間とは全く異質な固有性を持った存在から、コミュニケーション可能な存在にまで近づきます。インド編で、動物園にやって来たトラにエサを与え手なずけようとした幼いパイが、父に叱咤されるエピソードがありましたが、この時、父は“お前は、トラの目に映るお前自身を見ただけだ”と言ってました。パイは遭難後、再び、過去、動物園でやった事を始めちゃったんですよね。動物園の時は本物のトラですから、パイがどれだけコミュニケーションをとろうとしても、トラの持つ異質な固有性は揺らがない。でも救命ボートのトラは、パイの投影でしかないから、感情移入可能で孤独を埋め合わせてくれる「鏡像」的他者へと徐々に変容し、最後にはペットのネコのようにパイに頭をなでられていました。
■おのれの似姿で世界を満たす
IMDBのトリビアで見つけたんですが、死を覚悟したパイの前に出現した人食い島の形状は、ヒンドゥー教の最高神ヴィシュヌなんだそうです↓
The carnivorous island has the shape of a lying Vishnu (a Hindu deity), and can be seen in a long shot of the island.
「lying Vishnu」というのは、「横たわるヴィシュヌ神」の事。ヒンズー、ヴィシュヌ派の宇宙創世神話みたいですね。画像を探してみたんですけど、クメール文化圏のものしか見つからないんです。何故なんだろう?
http://angkor.gogo.tc/angkor/banteay-samre-relief.html
この島には、木々が生い茂り、地表を埋め尽くすミーアキャットが生息。島の池には真水があり、食べられる植物もある。飢えと渇きに苛まれたパイにとってまさに楽園(天国でもいいけど)。ここには、パイを襲う者どころかミーアキャットの天敵すら存在しない。しかし、この平和な島はもうひとつの顔を隠し持っていました。夜になると、真水で満たされた池の水は酸に代わり、どこから入り込んだのか(浮島の木の根の下?)無数の魚が酸の水でゆっくりと溶かされていく。この池は巨大な「胃袋」なんですよね。島を一つの生命体と考えると納得できます。胃袋=池で溶かされた生物は、地上の木々(これも一種の消化器官なんでしょうけど)に吸収され、唯一「歯」だけが溶けずに残る。
生命力に溢れた昼の顔と、死が蔽い尽くす夜の島。パイがこの島を離れたのは、彼がこの島に食われてしまう(比喩ではなくて文字通りの意味です)からではないと思います。命を守るのなら、危険な夜の池に近づかなければ済む事。それ以外の危険はこの島には存在しない。それでも、島を離れる決意をしたのは、この島には自己の似姿として易々と回収できる鏡像的他者ではなく、理解も共感もし難いゆえに、自身を成長させてくれる「他者」が存在しないからなんだと思います。無数にいるミーアキャットと、パイとの間にはそう開きはない。この島はトラが脅威ではなくなった救命ボートの状態と同じなんです。唯、水や食料があって飢えずに済むだけで…。超越的存在=島の生命システムに寄生し、依存してゆけば、いずれパイの意識は喜々として島に吸収され同化することを望むようになるでしょう。ミーアキャットの愛らしい仕草は、孤独を慰撫してくれるはずですし。唯一、この島との同化を拒むのは、パイが生んだもうひとつの極「トラ」だけだと思います。そのトラすらやがては消滅していったでしょうね。。
人食島(The carnivorous island )に到着する直前、トラはガリガリに痩せて衰弱しきってました。パイはそのトラを膝枕して涙を流し、神に感謝を捧げ、間もなく訪れるであろう「死」の受け入れ準備を始める。長期に渡る漂流生活の後、死を覚悟した人間の前に、その背後に緩慢な「死」を隠し持つ、この世の楽園が現れる。比喩的な意味で、この島は人間の魂を食い殺す場所じゃないかとおもうんですよ。このカラクリに気付いたパイは神に感謝してました。これもヴィシュヌ神の恩寵と考えたようですね。
一つ分からないのは、インド時代に初恋の女の子から貰った赤い紐(お守りみたいなものなんでしょうか)を、島に上陸する時、手首から外し木の根に結び付けてたこと。ヒンドゥーやインド哲学には、泡沫のように儚い人間の個体を宇宙全体と比較し、本質的には宇宙の根本原理と同一する精神的伝統があるようで、この島をパイは自己の身体を含めた個と同一と感じたから、新たに紐を結びなおしたということなんでしょうかねぇ。インド時代の舞踊も一種のランガージュですよね。パイは女の子の後を追いかけて、舞踏のポーズが意味するものを聞いてました。その時、彼女は“神の愛は森に隠れている”みたいなこと答えてました(←うろ覚えですが)。神が隠れている森は、人食島の森と考えるか、最後にトラが消えた森とするか、その両方とするかで、ずいぶん違ってきそう…。私はよく分かってませんが(笑)。
☆☆☆
人食い島の植物の葉っぱの中から見つかった「歯」の事なんですが、ちょっと、思いついたことがあったので追加します。
あの島の生命サイクル(システム)って、通常の食物連鎖をひっくり返したようになってるんですよね。食物連鎖の頂点に立つのが「植物」。あの「歯」は、この島に止まり続けた場合の彼の未来、他者が存在しない世界で、精神がゆっくりと死に向かっていった後のパイのなれの果てなんだと思います。自ら「酸の池」に飛び込んで、島と同化してしまうのでしょう。(2013/02/06 20:29)