ブルージャスミン(ネタバレ)/片手にバーキン、唇にトランキライザー

宙を見上げても、月はもう見えない

ニューヨーク(東)での豪奢な生活から一変、家族も財産も失った女が、たった一人の身内を頼りに、妹の住むサンフランシスコ(西)で新生活を始めます。ジャスミン(ケイト・ブランシェット )と過去と現在(東と西)をシームレスに繋げる編集が、彼女の結婚生活はとっくに破たんしていたことを徐々に明らかにしていくんですね。ジャスミンの女友達、妹、義理の息子、あろうことか妹の元夫までが、ジャスミンに対して”見て見ぬふりをしている”と繰り返し発言しています。
夫ハル(アレック・ボールドウィン)の度重なる浮気、”夫の仕事(表向きはファイナンシャル・プランナー)についてはちんぷんかんぷんなの“と言いながら、薄々はその危なさにも気づいていたのに、自身の口座まで差し出す(夫に勧められるままに書類にサインしている場面がありました)。贅沢三昧の生活を支える足元は意外に脆く、薄ーい板一枚程の厚みしかない。彼女が現実を直視せずに“見て見ぬふり“をするのは「虚構」=夢を壊さない為なんでしょう。
虚構と現実の境が曖昧になるのはウディ・アレンらしい主題の展開で、惨めな境遇から救いの手を差し伸べてくれる白馬に乗った王子さま(笑)を探すために姉妹共々参加したサンフランシスコでのパーティ以降のカットバックが如実に物語る、辛い現実を受け入れられずに徐々に精神を病んでいくジャスミンと、質素な生活で、一見現実にしっかりと立脚しているように見えて、一切の努力もせずに、ただあるがままの現実に迎合するだけの妹ジンジャー(サリー・ホーキンス)*1を対置させることで、ジャスミンが虚栄心だけで嘘を重ねていく痛いだけの女*2になってしまう所から救ってると思うんですよ。熱烈にジンジャーに言い寄る(ほとんどセクハラですが)歯科医師の気持ち悪さとか、タカビーな女(歯科医は医師よりもランクが落ちる)の我儘だけで歯医者を受け入れないわけではないんです。あれじゃ無理ないわ。。


虚構=夢見がちなのはジンジャーだけではないと思います。夫のハルは10代の留学生にのぼせ上り「真実の愛」とやらに生涯で初めて巡りあった!になっちゃいますし(ウディ・アレンのプライベートに関する自虐ネタかと思いましたもん)、全財産をハルに使いこまれてしまった妹の元夫の怒りは分かるけど、そもそも6~7%の運用益ですら怪しいのに、20%の年利に疑いを抱かない雑な経済観念にはちょっとついて行けないです。勿論騙す方が圧倒的に悪いには違いないけどね、簡単に騙される方にも問題はあるんじゃないかなぁ。妹の元夫も、偶然手にした賞金と起業の夢に舞い上がってしまって、そこにつけ込まれちゃったんですよね。彼は酔っぱらうと、面白くもないポーランドジョークを話すそうなんですが、エリア・カザン監督『欲望という名の電車』に対する目配せなんでしょうか*3。。
ジャスミンの新恋人、絵に書いたような上流階級出身者ドワイトも、演じたピーター・サースガードの夢見がちなキラッキラの瞳を見ていると『17歳の肖像』で天才的詐欺師デイヴィッドのイメージが思い出されて、政治家の目差すようなリアリストとは程遠い、この男性も夢見がちな人なんだろうと思えました(嘘で固めたジャスミンの経歴を、婚約を決意するまでに一通りは調べないなんて考えられない。政治家にとってスキャンダルは命取りですもの)。

トランキライザー(精神安定剤)とアルコールを同時に口にする、ブレーキとアクセルを一緒に踏むような無茶な生活と、ドワイトとの婚約破棄で完全に毀れてしまったジンジャーは、シャワーを浴び濡れたままの髪とノーメイク、ヨレヨレのシャネルのまま一体どこに向かうんでしょうか。厳しい現実に心折れそうになる度に、現実を虚構=嘘で上書きし続けてきた彼女には、ハルとのロマンチックな思い出の曲『ブルームーン』の歌詞さえも思い出せなくなってるんですよね。虚構(夢)が壊れてしまって、その残骸だけが意味も分からずに記憶に残るって残酷だなぁ。。
ケイト・ブランシェットのノーブルな美貌と相反して、飾らない妹の、ちょっとだらしない所が結構ツボで(笑)、男関係の緩さがそのまま彼女の緩さにもつながっているんですよね。ドワイトに振られ、よろけながら車から降りても、薬の副作用でびっしりと脇に汗をかいてても、毅然とした後ろ姿を必死で保とうとする姉と違い、男の機嫌を取るために一緒になって姉の悪口を並べる、その事に関して自覚もない妹の残酷さに気づかないで済んだのは幸せかもしれないと、ちょっと意地悪目線で見ちゃうくらい、サリー・ホーキンスの上手さを再確認できた作品でした。
『ジャスミン』は夜に咲く花なのに、殆ど夜景が登場しなかったのも印象的でした。名匠ハビエル・アギーレサロベの手によるオレンジがかった温かみのある色調が生きる昼ばかりでしたもの。ジャスミンは初めからいなかったのも同然ということなのかしらん?と妄想しています。








*1:妹のBFは、激昂して電話を壊すかと思えば、見捨てないでくれとジンジャーの職場まで押しかけて泣き出してしまう人。ジャスミンの見立て通り、彼は第二のオーギー(元夫)になる可能性は高いと思います。唯、愛と依存については不可分の領域があるから、難しいんですよね

*2:学歴も中途半端で、実社会でのキャリアも積んでこなかった女が目指すのがインテリアコーディネーターだってところが一番痛かった。芸術性(アート)と俗世界の金銭欲、それなりの見栄えの良さとなるとこういった職業に憧れるんでしょうか

*3:マーロン・ブランドが演じたスタンリー・コワルスキーはポーランド系。

8月の家族たち(ネタバレ)/野生玉ねぎを探しに

■熱帯産のインコでさえ死んでしまう灼熱地獄

ネイティヴ・アメリカン(シャイアン族)の家政婦ジョナ(ミスティ・アッパム)を雇い父ベバリー( サム・シェパード )が失踪。これを機に娘たち3人が久々とオクラホマの実家に集結。バイオレット(メリル・ストリープ )の妹夫婦も加わり、家族間の長い歴史に爪痕を残す秘密が次々と暴かれていく会話劇です。
真剣に映画に入り込んじゃうと疲労困憊しそうな内容ですが、女同士のはらわたを抉るような言葉の応酬とブラックな笑いに醍醐味のある作品。大抵の男の人はこういうの苦手でしょうけど(うちの夫も辟易してました)、母と娘の確執、肥大化した自己愛から成人しても尚、娘を呪縛しようとする母親と、そこから逃げ出す娘の物語として、私は納得しちゃいました。


口腔ガンを患い薬物依存のバイオレット(メリル・ストリープ)が登場するファーストシーンから目が離せなくなります。部屋着に残るシミの数々、抗がん剤の副作用から薄くなった頭髪、呂律も怪しい時があるかと思えば、意識もしっかりしていて葬儀のマナーに口を挟んだりもする。感情の振れ幅が大きく、笑っていたかと思えば泣き出したり、薬の副作用から認知症も発症したみたいで、その怪物ぶりは半端ない。メリル・ストリープが長い俳優生活で培ってきた演技の総棚卸状態で、その暑苦しさは盛夏なのに窓を閉め切った室内に充満する不快感と一体となって、逃げ場のない、息苦しさとなって襲い掛かってきます。
火のように熱く痛い口腔ガンが彼女の体を蝕んでいるのと同じく、不寛容で容赦ない言葉が周りの人間だけではなく彼女自身を痛めつけてしまうんですよね。
終盤、自殺しようとしている父を救えたかもしれないのに何もしようとしなかった母親をなじる長女バーバラ(ジュリア・ロバーツ)は、母がこういう形で夫を解放してあげた可能性を全く考慮出来ていない、それだけこの母娘は似た者同士、モンスターのようになってしまうんです。
母バイオレットが話す、クリスマスプレゼントの件。青春時代の淡い初恋の思い出が、実の母の悪意によって真っ黒に塗りつぶされてしまった怨嗟は、長い月日を経ても消えるどころか、炭化したように凝り固まってしまっていて、年頃の娘が若い男に恋をし、いずれは自分の下から去っていく恐怖が女(母)をモンスターに変えてしまうんですね。で、夫ビル(ユアン・マクレガー)との関係がギクシャクし、年頃の一人娘 ジーン(アビゲイル・ブレスリン)に手を焼いているバーバラ にも如実に現れます。
三女の婚約者「今年の男」スティーブ(ダーモット・マローニー)とジーンがマリファナを吸い、スティーブがジーンに手を出そうとした騒動の際*1、よからぬ欲望を抱いたスティーブではなく娘を引っぱたいてしまうのは、母バイオレットが実母から贈られたクリスマスプレゼントと同じだと思ってます。娘を縛り付けて手元に置いておきたい母の欲望が、娘の性的成熟を嫌う、異様なまでの潔癖さで現れる。アメリカ中西部の保守的な価値観、倫理観を鎧として完全武装した母性の怪物の奥深く隠されているのは、孤独を受けいれられない恐怖なんだと思います。

次女アイビー(ジュリアンヌ・ニコルソン)とリトル・チャールズ(ベネディクト・カンバーバッチ)の恋は、家族の裏の顔によって潰されそうになってますけど、次女は血の轍を踏み越えて、彼女をずっと縛り続けて来た「家」から飛び出します。子宮摘出手術を受けてますから、血の呪い(叔母と甥*2ではなく、異母兄弟だったという真実)は実質的な影響はない(子供を産むわけじゃない)でしょうけど、デリケートで小心なチャールズがこの事実に耐えられる筈もなく、おそらくおじけついてアイビーの下から遁走しちゃうんじゃないかしら…。それでも、呪われた(笑)家を出る決意をした彼女を応援してあげたいです。子供は親の玩具じゃない、子供の人生は子ども自身の手によって切り開いていくべきものですもん。

母と同じパジャマにガウン姿のまま、古ぼけたピックアップトラックに乗って家を飛び出したバーバラにも辿りつくべき目的地が見えていないんです。伝統的なアメリカの家族神話を次々に壊したまでは良かったものの、その先にある茫洋とした世界には一切触れないのはちょっとずるい気もします(笑)。
頑迷で偏見の塊だったバイオレットがインディアンの娘の胸に抱かれる、オクラホマの広大な大地にあっても、出口のない閉塞した征服者の白人(の子孫)が、自らの愚かさから「居場所」を失い、被征服者で、オクラホマに強制移住させられたネイティブ・アメリカンが誰よりも「寛容」さを示し、白人に寄り添うラストも用意されていて、ちょっとどっちかつかずの印象も残ってしまいました。バイオレットが見出した一筋の光明と、それを手に入れられる筈なのに、本質的には最もそこからは遠ざけられた者の絶対の孤独の在り処で終わってた方が、エグくて、私は好きだなぁ。。


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コメント欄でレスして下さった『間借り人の映画日誌』の管理人さまヤマさんが1月30日にアップされたエントリーです。丁々発止のやり取りは勿論、視点の違い(男女の差もありますが)がとても楽しい充実した内容ですので、是非!(2015/1/30 追加)



http://www7b.biglobe.ne.jp/~magarinin/2015/04.htm

*1:家政婦ジョナにスコップで反撃されたスティーブは、騒ぎを聞きつけたカレン(ジュリエット・ルイス)に“一五歳だと言ってた”みたいな言い訳をしてました。ココはホントに可笑しかった。一四歳と一五歳の違いなんてどこにあるんでしょう?こういう男に引っかかってしまうカレンの弱さと、それでも自分の選択を背負う女の強さを、久々のジュリエット・ルイスが魅せてくれました。

*2:いとこ同士の間違いでした、ごめんなさい

近況報告

バタバタ続きで一か月以上もブログの更新を放置したままでごめんなさい(ぺこり)。
遠方でひとり暮らしだった実母を、私が住んでる近くの施設に入居させたまでは良かったんですが、次から次へといろんなことが起こり、それにかかりっきりで、映画どころではなかったんです。
ようやく落ち着けるかなぁと思えた矢先に、再び転倒し、骨折。再度、入院する事となりました。
親の介護に関しては、避けて通れない、いずれは直面しなければならない問題として、ここ数年ずっと頭にあって、専門の方のアドバイスも受け、私なりに勉強してきたつもりだったのに、予想の遥か斜め上を行く事が起きちゃうんですよねー。しみじみ。。

ウチの夫や叔母にはホントに感謝しています。ストレス続きで参ってしまいそうな所を随分助けてもらってます。胸にため込んだものを吐き出せるだけでどれだけ救われるか…。

再入院で、ふり出しに戻っちゃった感も無きにしも非ずですが、焦らずに一つ一つやっていくしかないと思ってます。とりあえず入院してくれたので、ちょっと息抜きが出来そう…。今度の週末は久しぶりに映画でも見たいなぁ。。

ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅(ネタバレ)/一枚の紙が“時の人”を作る

ピックアップトラックと空気圧縮機で故郷に錦


路肩に雪の残る寒々しい風景の中、片脚を不自由そうにしながら画面奥から手前に向かって道路を歩いてる一人の老人。やがてパトカーから降りてきた警官に“どちらまで“と職務質問を受ける羽目に。ウディ・グラント(ブルース・ダーン)が歩いていたのは州間高速道路(ハイウェイ)だったんです、もうびっくりしました。おじいちゃん、危ないよー。おそらく軽度の認知症なんでしょうね。。
警察に父を引き取りに向かった次男デイビット(ウィル・フォーテ )も、やはり同じく、画面奥から手前へと移動しながらスクリーンに登場します。

アメリカにおける20世紀最大の公共事業は「州間高速道路網(ハイウェイ)」の建設です。
第二次世界大戦後の自動車社会を背景に、人口過密の大都市からミドルクラスの核家族が良好な治安を求め「郊外」に居を構える潮流は、新たな安全神話(郊外には大都市のような犯罪は存在しない)を作り上げ、やがて州間高速道路網の整備と共に、地方の中核都市にまで拡大。郊外(自宅)と職場を結ぶハイウェイは、巨大なショッピングモールを中心とする消費形態と切っても切れない新たな文化も生み出しました。東部リベラリズムが優位に立った第二次世界大戦後のアメリカで、経済成長の恩恵に預かるミドルクラスとは別に、郊外開発とは無縁の「ど田舎」に取り残される階層という新たなヒエラルキーも…。ネブラスカからモンタナに移り住んだグラント一家も、決して経済的に恵まれていたとは言えない。母親ケイト(ジューン・スキッブ)が美容院を営み家計を支えてたのでしょうが、大黒柱であるはずの父親は“ビールは酒じゃない”と昼間からアルコールを手にするような人。いつもガミガミ怒鳴ってる口煩いケイトに対してウンザリしながらも、懸賞詐欺を信じて疑わない父親と共にネブラスカまでの旅に同行することにしたデイビットは、母親に“(父のいない間)一人を愉しんで“と声をかける、心優しい息子です。


40歳過ぎても結婚に踏み切れず、別れた恋人に未練たっぷり。この恋人がかなりのおデブさんなんです。アレクサンダーペイン監督はこういう所、容赦ない。電気店に勤めている平凡な中年男の現実はこんなものだと、突きつけてくる(笑)。彼女が同棲していた部屋に残していった観葉植物の枯葉を拾い、それをそっと自分のポケットにしまう演出には唸りました。デイビットの優しさは優柔不断さとコインの裏表の関係なんですよね。彼女の中では既に終わった関係だから今更深入りするつもりはなくても、いくばくかの思いは残ってる。そんな微妙な距離感が感じられる良いシーンです。
出口を求めて足掻く事すら諦観してるような優男と認知症の父親との「旅」は、州間高速道路を利用してモンタナからワイオミング間をあっという間に過ぎ、サウスダコタ州のラシュモア山から合衆国大統領エイブラハム・リンカーンに因んで改名された最終目的地「リンカーン」に到るまでの「寄り道」が、移民の流入により人口の爆発的増加で治安が悪化した東部から、フロンティアを求め*1拡散していった開拓民の軌道と重なり合うんですよ。人生の滋味深い翳りが滲みだす頃には、無口で頑固なお人よしの父親と、口煩いだけの母親にも(毒舌ですが)活力に満ちた青春時代があったことを知り、両親を見つめる息子の視点に変化が訪れるんですね。


宝くじの高額当選を聞き付け、親族がゾロゾロと集まって来るのには大笑い。手持無沙汰の男性陣がそろって無言で地元チームのTV観戦をしてる反面、女たちはキッチンでにぎやかなおしゃべりを繰り広げてる。似たような光景はどの国にでもあるんですねぇ。。
過去のしがらみをチラつかせて金の無心をするエド(ステイシー・キーチ)の憎らしい事といったら…、本気で腹が立った(笑)。当選が詐欺だと分かった途端、大勢の前でウディをバカにし嘲る姿を見て、普段はおとなしい、おそらく人に手をあげた事すらないであろう デイビットが父に代わって一発お見舞いしたのには、大喝采でした。
終盤、デヴィットは日本車を売り払い、父の記憶にトゲのように刺さっていた「ピックアップ・トラック」*2と「空気圧縮機」を手に入れ父にプレゼントします。無免許運転(認知症の為に免許は取り上げられてる筈)で、故郷の街に凱旋するささやかなパレードは、警察のお世話になってる“時の人”だったウッドを、幸運を射止めた“時の人”に変えます。朝鮮戦争に従軍し、その時の悪夢のような経験から深酒するようになったウッドの一世一代の晴れ舞台。国家(戦争)とエド(過去のしがらみ)、未払いのままだった債権を回収しようとするウッドの瞳には、欲に駆られた濁りはなく、認知症さえ霧散したかのような、透明な光が宿ります。
人生の残り時間が砂時計の砂のように加速度的に零れ落ちていく事を肌で感じてるからでしょうね、ウッドが自らの矜持と尊厳を取り戻す為に、老体にムチ打ち徒歩ででもリンカーンを目指したのは、うだつの上がらない人生にも、光差す瞬間があることを伝えたかったんだと思います。父として決して褒められた人物ではなかったでしょうが、この旅は父として子供たちに残す「遺言」でもあるわけですよね。
深夜、病院を抜け出したウッドを探していたデイビットの視界に、最初に飛び込んできたのは、その「背中」でした。短い旅の間、初めて見る父の背中。おぼつかない足取りで、頼りない、それでも前に進もうとする姿は息子を先導する灯となって、デヴィットの脳裏に永遠に刻まれることでしょう。私はこの「背中」に一番グッときました。

線路は続くよ

OP、州間高速道路を歩くウッドの場面に登場していた貨物列車、旅の途中での入れ歯探し等、本作、親子の旅に並走するかのように結構列車(線路)に関わるモノが登場してたんですが、ココが今でもやっとしています。ネブラスカ州の産業は、酪農(車から降りて立小便をするウッドの場面に沢山の牛さんが映ってた)と、農業(トウモロコシ・大豆)貨物輸送(鉄道及び貨物自動車)が挙げられるそうなんですが*3『アバウト・シュミット』でウォーレン・シュミット(ジャック・ニコルソン)の妻の葬儀から「家畜運搬車」が登場していたんです。で、キャンピングカーで一人娘ジーニーの住むデンバーに向かう道中にも並走するように家畜運搬車が登場。長年、保険会社と、同じドイツ系の妻に飼われていたウォーレン・シュミットの人生は屠殺場に運ばれる「牛」と同様、彼の人生は牽かれたレールの上を走ることに何の疑問も持たない思考停止したハートランド(中西部)の伝統的保守層だと痛烈に皮肉っていた作品で、『サイドウェイ』のしがない高校教師マイルス(ポール・ジアマッティ)のセリフにも家畜運搬車と牛の件が登場していたりと、ネブラスカ出身のアレクサンダー監督ですから、何の意味もなく線路を登場させるとも思えなくて…。DVDで見直し必然のポイントだと思ってます。

*1:西部開拓時代のフロンティア・スピリットは東部(のマスコミ)主導で厚化粧された経緯があります

*2:ピックアップトラックは西部開拓時代、開拓民のシンボルであった馬や幌馬車でしょうね

*3:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AB%E5%B7%9E

アートで振り返る第86回アカデミー賞

バタバタ続きで、アカデミー賞の話題にも完全に乗り遅れてしまってますが、いつも拝見している映画情報 オスカーノユクエさんの記事が素晴らしくって、さくっとご紹介だけしておきます。

第86回アカデミー賞作品賞アート | Facebook



映画『ウルフ・オブ・ウォールストリート』公式サイト

グラフは株価の推移を示すものでしょうね。株の暴落と同じくジョーダン・ベルフォート(レオナルド・ディカプリオ)の転落人生にも重なります。全く懲りてませんが(笑)。


映画『あなたを抱きしめる日まで』公式サイト


ジュディ・デンチさんは加齢による黄斑変性症のために、視力が低下し台本を読むのも大変だと伝えられてますが、その後の経過はどうなんでしょうか。完璧なクィーンズ・イングリッシュからコックニー訛りまで熟せる大女優さんですから、まだまだ活躍して欲しいです。


映画『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』公式サイト


先日観たばかりで、感慨深い(ウルウル)。レビューは数日中にアップしますね。
久々に思いっきり書きたくなる作品でした。アレクサンダー作品がお好きな方にはお勧めです。


映画『her/世界でひとつの彼女』6月28日(土)新宿ピカデリーほか全国ロードショー



スパイク・ジョーンズ監督・脚本、ホアキン・フェニックス、エイミー・アダムス主演のSFラブストーリー。今、一番気になってる作品です。


映画『ゼロ・グラビティ』オフィシャルサイト


第86回アカデミー賞最多7部門受賞。SF映画の歴史を塗り替える作品でしょうし、後続の作品が今後どれだけ影響を受けるのかも興味あります。
エマニュエル・ルベツキさま、撮影賞おめでとうございますです。


映画「ダラス・バイヤーズクラブ」公式サイト


これも観たいのですが、時間が…うぅっ…。


キャプテン・フィリップス - オフィシャルサイト|2014.3.21(金)ブルーレイ&DVDリリース デジタルレンタル開始/2014.3.5 (水)デジタル セル先行配信

あんまりにもそのまんまなので、突っ込みできない(笑)。海賊船が現れる、フィリップス視点の画の方が好みですね。


映画『アメリカン・ハッスル』|2014年1月31日、TOHOシネマズ みゆき座ほかROADSHOW


やっぱり、ヘアスタイルなのねぇ。


映画『それでも夜は明ける』公式サイト 3月7日(金)TOHOシネマズ みゆき座 他 全国順次ロードショー


奴隷市場に送られてしまった、音楽家のソロモン・ノーサップのヴァイオリンが鞭と縄で出来ている、ドキっとする画像です。



はてなの面白い所

はてなブックマークってなんぞや


映画とは関係ない雑談みたいなものですが、ちょっと息抜きがしたくて、脱線します(ぺこり)。

はてなのブログサービスを利用する様になって2年経った去年の秋頃、たまたま、ほんとに偶然なんですが、はてなのサービスのひとつ「ブックマーク」を知りました。
こういう事に疎いというか、興味のないことはとことん無視しちゃうので、実はよく分かってなかったんです。

はてなブックマークはオンラインにブックマークを保存する便利なオンラインブックマークツールであると同時に、そのブックマークを公開し共有することで新しい情報体験を提供する、ソーシャルブックマークサービスです。はてなブックマークを利用することで、ウェブ上の一つ一つの情報をより深く消化することができるようになり、また有用な情報をより少ない時間で見つけることができるようになります。

初心者みたいなこと書きますけど、はてなのブックマークは、そのエントリが気に入ったから付く場合だけじゃないんですよ(はてなスターがその役目を果たしてる)。「ソーシャル」であることが一番の特徴なんです。私、これが不思議で、だって各ブログ記事にコメント欄があるのに、そこに書き込まずに(コメント欄を閉鎖している所は別として)、はてなユーザーさんはブクマ上にコメントを残すんです。で、そのコメントを巡って、別のユーザーさんがブコメしたり、ブログ記事に取り上げたりで、最初のエントリが波紋となって拡散していく、面白い現象が起きます。このブコメがとっても面白い。この事に気づいたのは「サード・ブロガー論」を巡ってあちこちで話題になってた頃で、ブコメマニアというかブコメのプロみたいな方が一定数生息してらっしゃるのが、はてなの魅力だったんですね、もっと早く知ってれば…。
中にはキツいブコメもあって、気の弱い人なら立ち直れなくなるんじゃないかとヒヤヒヤする事もありますが、直接関係のない第三者の気軽なポジションから眺めていると、このブコメの多様な意見が、SNSなんかの閉じた馴れ合いよりはるかに風通しを良くしてるんですよ。
ブコメマニアさんが支えてるはてなの面白さは、今後も残っていって欲しいものです。私はまだブックマークを使いこなせる自信も、そもそもその資質もなさそうなので、当分の間は外野で愉しんでます、というか、面白い記事を発掘して下さる目利きさんを探すという愉しみ方もできるので、コッチの方が私には向いてそう。。


あまりプライベートな事を記事にするのはちょい苦手な方で迷ったんですが、離れて住んでいる実母が現在入院中(圧迫骨折なので、命にかかわることではないんです)で、病院と自宅を行ったり来たりしています。退院後の受け入れ態勢の事もあってケアマネさんとの打ち合わせも多く、リハリビの成果次第ではいろいろ大変になりそう…。そういうわけで、観たい映画が目白押しのこの時期にも拘らず、レビュー本数がただでさえ少ない上に、もっと減りそうです。一応の目途が立てば、落ち着いて楽しめるようになるでしょうけど、今は映画を観ても、半分上の空になっちゃいそうで…。それでも、大好きなアレクサンダー・ペイン監督の新作『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』は絶対に観ます!
いつも訪問して下さる方に一言伝えておきたくて書きました(ぺこり)。

ウルフ・オブ・ウォールストリート(ネタバレ)/このペンを私に売って見せてくれ

需要と供給

『ギャング・オブ・ニューヨーク 』に始まり、『アビエイター』『ディパーテッド』『シャッター アイランド』と、レオナルド・ディカプリオ と組んだ作品のことごとくに乗れなかった上に『ヒューゴの不思議な発明』が映画史的には特別な作品であってもあんまりな物語に、さすがの御大も耄碌しちゃった?状態だったんですが、本作は久々に毒々しいキレッキレの仕上がりで、2000年以降のマーティン・スコセッシではマイベストになりそう。。御大のフィルモグラフィーの中では『グッドフェローズ』に一番近いかも。

OP、小人症の人をドルを書き込んだダーツの的に放り投げる、下品で下劣で下らない最低のいたずらを、都会の片隅にある秘密クラブででもやってるのならまだしも、白昼堂々、オフィスで行ってる。それを眺める社員を含めて異常なハイテンションで、何せビジネス絡みのお祝いは、裸のブラスバンドが奏でる「星条旗よ永遠なれ」が登場するんですもの、作品に込められた毒の向かう先は明確ですよね。
世界金融の中心地、ニューヨークのウォールストリートで株屋として人生をスタートさせたジョーダン・ベルフォート(レオナルド・ディカプリオ)に、ブローカーに必要なのはドラッグとマスターベーションだと、ドラッグとも無縁で堅実に家庭を築いていた男を強烈なカリスマ性で洗脳したマーク・ハンナ( マシュー・マコノヒー)。人生を左右するメンターとの最初の出会いで、すべてが決まっちゃったんですね。『ダラス・バイヤーズクラブ』で体重を激変させたマシュー・マコノヒーは、短い登場シーンながら鮮烈な印象を残し、薬でラリってるとはいえ奥さん同伴のパーティーでナオミ(マーゴット・ロビー)を一目見て“抜く”、必要とあらば金魚まで呑み込んで見せる ジョナ・ヒル や、ペラいくせにぬめっとした嫌らしさのあるスイス人銀行家をジャン・デュジャルダンが 、映画監督のロブ・ライナーがキレやすい会計士の父親をと、強烈な個性を放つ俳優たちがそれぞれの見せ場で黒々とした嗤いをさらっていく中で、ほぼ出ずっぱりのディカプリオが役者として一枚剥けた演技を魅せてくれます。金融の世界で繰り広げられる駆け引きの妙味が物語を走らせるのではなく、ベルフォートの詐欺の手口は至って平凡。集めに集めた金の処分に困り、マネーロンダリングする方法も、おっそろしく馬鹿げてます。狂ったように踊り続ける金の亡者たちがその空疎さと引き換えにまき散らしていくブラックな笑いが本作の面白さで、醜悪な場面になればなるほど、ディカプリオが発する熱量が増大し、テンションの高い芝居は、ジャック・ニコルソンに見えるてしまう所さえありました。


一番面白かったのが、カントリークラブのシークエンス。
WASPの牙城、高級カントリークラブのクラブハウス。荒稼ぎした金がこのクラブへの扉を開いてくれたものの、FBIの捜査の手が伸び、窮地に陥ります。特別なドラッグをバッチリきめこんでいた為に、彼の武器である「言葉」を封じられてしまうんですね。カントリークラブの正面玄関の車回しに止めたランボルギーニまで、わずか数メートルが辿りつけない。で、どうしたかというと、床を這い、文字通り階段を「転げ落ちる」。彼の転落はここから始まるんです。車に乗り込むまでの体を張ったスラップスティックなギャグが続き、やっとの思いで辿りついた自宅で、同じようにODでぶっ倒れてるジョナ・ヒルを蘇生させる時にTVに写ってるのが「ポパイ」のアニメだったのには大笑いしました。
ベルフォートが滔々と話術を披露し、社員を扇動するオフィスでの切り替えし。彼の背中越しに写る天井の低さと言い、金融世界で跋扈する野獣は、その桁外れの儲けとは裏腹にどこか窮屈そうで、狂騒の宴も、VFXを駆使したとことん作り物の画で固めてあります。一人の男の人生の浮き沈みを露悪的にカリカチュア*1しながら暴いてるのが、アメリカンドリームの幻影なんでしょうね。貪欲な資本主義の奴隷となった市民たちがせっせと欲望の泥濘に咲くあだ花に水をあげて育てている事は、ラストシークエンスのセミナーでも明らかじゃないかと…。ベルフォートの一挙手一投足を固唾をのんで見守る客たちと、差し出したペンを使い、お馴染みの営業トークを披露する、刑期を終えても最高に気分を高揚させてくれるドラッグ「金儲け」を忘れられない彼は、ブラック・マンデーで潰れた証券会社から場末の株屋で「ペニー株」*2から始めた時とちっとも変ってなさそうなんですもん。現状で満足できずに更に豊かになりたいと願う人がいる限り「需要」に見合った「供給」=ベルフォートのような詐欺師は途絶えることはないのでしょう。これがアメリカンドリームの正体なんだ!とスコセッシ御大の宣言だと受け取ってます。

*1:イタリアから豪華クルーザーでスイスに向かう際に遭遇した天啓(乗る筈だった飛行機が嵐で墜落するエピソード)まで紛い物っぽく見せてる。何せ画がペラッペラなんですもの、嫌味ですよね。ジョーダン氏の自伝『ウォール街狂乱日記』にはどう書かれているのか一番知りたい所です

*2:一ドルにも満たないジャンク株

スノーピアサー(ネタバレ)/見えない扉の向こうにオリーブの枝はあるか

■前進あるのみ


氷に閉ざされた死の世界で、人類最後の生き残りを乗せた『スノーピアサー』に搭載されているエンジン(どうやら永久機関のようですが)。その余剰エネルギーが住民の生活を支えるエネルギー源になっているようで、列車が止まればたちまちエネルギーの供給源を失ってしまうのでしょう、氷河期の「方舟」は、線路にたちはだかる「障害物」を破壊しながら、線路上を一直線に前に進みます。長年、虐げられた貧困層の反乱も、各エリアを分断する「障害物」と闘い、列車の先頭エリアを目指して一直線に突き進みます。列車という閉ざされた空間では、永久機関の「聖なるエンジン」も、革命の蜂起も、その運動は同じ、前に進む他ないんですね。
近未来のディストピア世界で、裕福層と貧高層の位相を、高低差のある縦の構図ではなく、フラットな空間を直進する他ない列車の構造に求めたのは、スノーピアサーの創造主、(エド・ハリス)が自身の後継者に、貧困層から立ち上がる革命の志士を据えようとする目論見とも合致します。裕福層VS貧困層、共同体の管理者とその構成員の二項対立はシステムを安定させる為に、便宜上温存しつつ、システムの創設者が、それのみを「延命」させることを目的とする、手段の目的化なんですね。氷河期を免れた最後の人類はシステム(方舟のエンジン)に奉仕するパーツ(部品)に過ぎず、最後尾から兎に角前に進む革命の志士の破壊的エネルギーは、貧困層の新リーダーとしてだけではなく、このシステムの管理者にとっても最優先の資質なんです。永久機関のエンジンと同じ、それを内包する「システム」の方まで永久機関だと思い込む。為政者も革命側もシステムそのものを放棄する考え=敷かれたレールから逸脱する事には至らないんですね。


地球を一周する列車の運行コースは、出口のない閉じた回路。蜂起した貧困層と、彼らを制圧しようとする兵士間で「パッピー・ニューイヤー」の祝祭的時間に、双方が一斉に戦闘から離脱する場面がありました。軍事的対立地域で、いずれの勢力によっても統治されていない領域を「No Man's Land(ノーマンズランド)」と呼びますが、新年の祝賀はどちらの陣営にも属さない中間的時間「No Man's time」を生むんですね、ココは面白かったです。閉じた回路では、空間(イメージ)だけではなく、時間(イメージ)も前景化できるというのは、とても分かり易いです。*1
ウィルフォード産業を讃える、洗脳教育を行っていた小学校教師(アリソン・ピル)。授業中の完全に逝っちゃってる目も怖かったんですが、お祝いの卵(イースターエッグみたいでしたが)が詰まったバスケットの中からマシンガンを取り出す落差のある表現、臨月近い妊婦が凄惨な戦闘に嬉々として加わってるんですもの、エグイですよねぇ。貧困地区に配給される羊羹みたいなプロティン・ブロックの原材料(ゴキブリ)が判明した時より、私はコッチの方が怖かった。。
赤外線暗視スコープに、貧困層はブック・マッチの火で灯したたいまつで対抗。中央から外れた、周縁の疎外者たちがなけなしの勇気を奮い立たせ、体制に中指立てる気概が独特のユーモアを纏い立ち現われるのもポン・ジュノ印です。こういった場面がもう少し欲しかったなぁ。


面白いなぁと思ったのが、メイソン首相(ティルダ・スウィントン)が、聖なるエンジンの中枢で、機械の一部(部品)ようにされてしまった子供と同じ手の動きをしていた事。
機関部の狭い空間で作業するには、身体の小さな子供しか「適合」できないんですね。メイソンはこの列車のシステムの信奉者で、その言動は狂信者のそれと全く変わらない、兵士たちのような荒々しさの代わりに、ソフィスティケイトされた狂気を隠そうともしない女性(ティルダ・スウィントンのメイクは凄い!)でしたが、ひょっとしたら、彼女、子供時代に機関部で作業していた過去があったんでしょうか?*2それとも、聖なるエンジンと文字通り「一体となる」、「選ばれた」子供たちに、信仰的な陶酔やあこがれがあって、あんな手真似をしているのか…。体制側の人員が、貧困層から「選ばれた」者達だった方が、メビウスの帯みたいに、閉じた回路で起きるパラダイムシフトとしては面白いんですが…。


エンタメ寄りの娯楽作で、作家性の強いポンジュノ作品の中では『グエムル 漢江の怪物』に一番近いかも。唯、グエムルにあったダメダメ家族の緩いギャグや、独特の間合いは影を潜めてしまい、緩急の無さがちょっと辛いです。主人公カーティス(クリス・エヴァンス)の生真面目さは、終盤、彼の口から語られる貧困地区での壮絶な人狩り(飢えの為)の過去を引きずる決して塞ぐことのできない傷口でもあるわけで、彼が新救世主となるのではないんですよ。セキュリティシステムのアーキテクト、ナムグン・ミンス (ソン・ガンホ )も英語を話さないアウトローで、彼だけが直線上を進む「閉じた回路」からの脱出方法、他の住民には壁にしか見えていない「第3の扉」の存在に気づいていましたが、カーティスと同様、道半ばで倒れる。彼らの意思を継ぐ者は、ミンスの娘、透視能力を持つヨナ(コ・アソン)と、聖なるエンジンから救い出されたアフリカンアメリカンの子供のふたりだけです。食物連鎖の頂点に立つ、北極の帝王白熊が生息できるくらいには地球の生態系は復活しているので、生き残った者の道程は厳しくとも、閉ざされることのない未来への可能性は残してあるラストでした。
『グエムル』で、飢えた子供の手をしっかりと握りその命を救ったコ・アソンの圧倒的な母性が、生き残った少年と繋いだ手に甦るちょっとうれしい演出も…。列車内から見える氷河期のCGはペラッペラなのに、ラストシークエンスだけはロケ(現実の風景)で、列車内で生まれ、地上に一度も足を降ろしたことのない新世代の旅立ちへの餞だと受け取ってます。このシークエンスの解放感は実写ならではのもの。そうそう、ソン・ガンホの喫煙シーンが2回登場しますが、ほんとに旨そうに吸っています。カウボーイのCMでお馴染みの「マールボロライト」を吸うあたり、アメリカの禁煙ファッショに対する皮肉なんでしょうね。フランス映画でもひっきりなしにプカプカやってますけど。

*1:列車の外には誰も出ようとしない、外の世界があるという事すら誰も気づかない。この箱庭世界は実質上の「外部」は存在しないので、列車がどれだけ前に進もうとも、同じ円の中をぐるぐる回ってるだけなんです。列車内では、社会システム上生み出されたヒエラルキー以外の空間の概念は後退し、代わりに立ち上がってくるのが時間の概念。「ハッピー・ニューイヤー」の祝日は従来の暦ではなくウィルフォード帝国の記念日、この方舟の処女航海の日が「新年」へと変更された可能性もあるんじゃないでしょうか 2/16 追加

*2:列車が動き出してから17年ほどしか経ってないので、メイソンは50歳くらいでしょうから、この可能性はないですね。 2/17 追加

アメリカン・ハッスル(ネタバレ)/虚実の狭間に咲くアメリカの夢

live and let die 生き延びるためのサヴァイバル


1970年代に実際に起きた「アブスキャム事件」*1(コードネームは架空の社名と 詐欺(scam)を組み合わせたもの) *2を基に、FBIのリッチ―捜査官(ブラッドリー・クーパー )のおとり捜査に嵌った、ビジネス(詐欺)上のパートナーでもあり愛人関係でもあった詐欺師コンビ、アーヴィン( クリスチャン・ベイル)とシドニー(エイミー・アダムス)がリッチ―から持ち掛けられた司法取引によって、アラブのオイルマネーを餌に、汚職政治家を一網打尽にするコンゲームなんですが、一番騙されていたのが当のFBIだったと、中々シニカルな落ちになっている上に、ニュージャージー州カムデンの市長カーマイン( ジェレミー・レナー )が一度はアーヴィンたちの罠に嵌りそうになりながら毅然とそれを退ける、カジノを誘致して雇用を増やす、地元民の生活第一の政治家としての理想と信条がまぶしいくらいキラキラと描かれていて、彼を裏切る羽目になるアーヴィンの迷いや屈託が国家権力(FBI)と政治家を嵌めるコンゲームの爽快感に影を落とす、ほろ苦いペーソスも…。イタリア系で子沢山(カトリックですから)。妻も気の良い女性で、虚実入り混じる政治の世界でも、自分たちの夢を花開かせようとしている。アーヴィンの裏切りを知った際、階段ですし詰めになってるカーマインの子供たちと、涙でマスカラが溶けだした妻の泣き顔を観るのは、ちょっと辛かった。


アーヴィンはユダヤ系で、彼の回想シーンにあったように、小さなガラス店を営む父親の為に近所のガラスを割って歩く、幼少の頃から目先の効く少年で、貧しいものが生き残るための手段だったサヴァイバル術が、長じて詐欺行為に手を染めるようにまでになります。クリーニング店を経営しつつ、絵画詐欺を繰り返す。天才詐欺師というより小者感漂う、禿でメタボなおじさん。そこにヌードダンサーで生計を立てていたシドニーが加わり、貸付信用詐欺で荒稼ぎしていた所をリッチ―に目をつけられる。冒頭、薄くなった髪にズラを接着剤で止める涙ぐましいまでの努力、自身をかさ上げする「嘘」に執着しています。詐欺師(虚構)が更なる虚構(ズラ)をつける。しかもこのズラは詐欺行為とは何の関係もない、コンプレックスから生まれたものでしょう?ラストで詐欺師から足を洗ったはずなのに、まだカツラつけてましたもの。
苦労してセットした髪をリッチ―に滅茶苦茶にされて硬直し、心臓の持病があってゼイゼイしてたり、今まで築き上げてきたクリスチャン・ベイルのイメージを次々に壊しにかかる自虐があるから、カーマインとの友情の板挟みになる苦悩が沁みるんでしょうね。鮮やかな詐欺の手さばきを披露する詐欺師のお話で終わらない、コン・ゲームの切れ味より人情噺じゃないかと思える本作の旨みになってますよね。クリスチャン・ベイルの囁き声を魅力的だと思えましたのも今作が初めて。


詐欺師コンビの心が一つになるシークエンス、くるくる回るクリーニング店のコンベアの中心で抱き合う両者━デヴィッド・O・ラッセル監督は、カップルの成立時に彼らを取り巻く世界を回転させるのがお好きなようで、前作『世界にひとつのプレイブック』でもブラッドリー・クーパー&ジェニファー・ローレンスのカップル誕生の場面で文字通りカメラをぐるっと廻して見せた事があって、こんなベタな描写も今時珍しいとちょっと萎えたんですが、今回は趣向が凝らしてありました(また同じことやったらぶうぶう文句言ってた…笑)。デューク・ エリントンのレコード盤と同じく、ふたりだけの世界=宇宙は回るんです。
妻帯者のアーヴィンが、血の繋がりのない最愛の息子と引き離されるのが嫌で、妻との関係が醒めてても離婚できないその事実に深く傷ついたシドニーが、その痛みを糧に全力でリッチ―を落とそうとする、フェロモンが服を着て歩いているようなブラッドリー・クーパーが言い寄るんですもの、抗うなんてそりゃ無理だわ。。テーブルの上に腰掛け、少女みたいに脚をぶらぶらさせてるシドニーに向かって、鼻息荒く腰に手を伸ばす、何とも羨ましいポジションなんですが、彼女の心がアーヴィンにあるのか、リッチ―にあるのか判断できない揺らぎが生まれるんですね。ラブコメの王道ですが、ペラッペラの軽いキャラを演じていても、相手がブラッドリー・クーパーだけに、その説得力は半端ない。
リッチ―と籠った女子トイレの便座に座り雄たけびをあげる場面。ノーブラでセクシーなドレスを纏いイギリス訛りがある、アメリカ人のイギリスコンプレックスと下世話な下心を刺激するキャラを詐欺の為に演じつつも、コツンとした優等生の硬さがついて回るエイミー・アダムスがはじけた瞬間の爽快感は白眉でした。


デヴィッド・O・ラッセル作品なので、登場人物は奇人変人揃い。中でも ロザリン にはぶっ飛びました。情緒不安定でかなりのおバカ。エキセントリックで鬱陶しいのにどこか憎めない可愛い人妻を演じています。1990年生まれの弱冠23歳が、熟れきった女を堂々と再現してるんですよ。マニキュアのトップコートの香りと一緒、彼女自身が甘酸っぱい、ゴミのような匂いを放ってる女なんですよね(笑)。ジェニファー・ローレンスのポテンシャルは、未だ底が見えない。。
カーマインから贈られた電子レンジにアルミホイルを掛けたまま使用したり、日焼けライトでボヤ騒ぎを起こしたりといったコメディリリーフに加えて、一番面白かったのがマフィアの新BFに、アーヴィンの計画を漏らしてしまうシークエンス。おバカを装って口を滑べらした風に見せかけて、素早く計算して体制を立て直す、しかも自身の生存優先で(笑)*3。彼女が髪を振り乱して歌う「live and let die(『007 死ぬのは奴らだ』の主題歌)には彼女の生存本能が結晶化してるんでしょうね、何があっても私は生き残ってみせる!といった所でしょうか。


 

*1:「アブスキャム事件」の映画化は、ルイ・マル監督が『ブルース・ブラザーズ』の2人を主演に進めていたそうなんですが、ジョン・ベルーシの急逝で頓挫したようですね。http://www.imdb.com/title/tt1800241/trivia?ref_=tt_trv_trv

*2:http://en.wikipedia.org/wiki/Abscam The codename Abscam derived from a combination of "Abdul" and "scam."

*3:ロザリンが夫が詐欺師だと気付いたのがいつなのかが初見ではよく分からなかったんですが、マフィアのBFと二人っきりで会ってる時にはあらかた気づいてるんですよね。しかも“(アーヴィンに)あんまり手荒な事しないであげてね”とまでお願いしてた。ココは彼女の強かさに大笑いしました。女が腹をくくると恐ろしいもんです。2/8追加

フィリップ・シーモア・ホフマンの訃報

http://www.cnn.co.jp/showbiz/35043358.html


朝一でニュースが飛び込んできた時、我が目を疑いました。
『カポーティ』でのオスカー受賞を始め、華々しい経歴の持ち主。どんな作品でもその強烈な個性で観る者に鮮烈な印象を残す演技巧者で、この人が出演しているだけで作品の期待値が上がる俳優さんのひとりでした。
ポール・トーマス・アンダーソン監督が今後どんなにすごい作品を撮ったにしろ、そこにもう彼の姿を見る事はないんだと思ったら、落ち込んだ(涙)。