母なる証明(ネタバレ)/洗濯ものを干すか、雑巾がけをするか

公開時、かなりのインパクトを受けた作品。新鮮な気持ちでもう一度見たかったから、しばらく時間を空けてましたが、ようやく再見しました。気になっていた事を中心に、相変わらずとっ散らかったままだけど書いていきます。

■エンジ色の靴下

本当に上手いなぁと思うのは、序盤、母が漢方の煎じ薬をトジュンに飲ませるシークエンス。息子の“あれ”を覗き込む母、知的障碍があるとはいえ、肉体は完全な大人である男の性器をまじまじと見る母親。トジュンはというと、母親から一方的に与えられる愛に対して疑問にも思わず無反応なままで、排尿を続ける。母が飲ませる煎じ薬は体内を通過して尿として垂れ流され、ザルに水をためるがごとく、母の過剰な愛はトジュンという「容器」を通過するだけのように見えてしまうんですね。で、独りその場に残った母がやったのは、息子のしでかした「後始末」をすること。辺りを見回し人の目がないかどうかを確認して近くにあった板切れで、立小便の後を見つからないように「蔽い隠す」。親子の関係をこのシークエンスだけで見せきってます。
将来を悲観した母が無理心中を図ったために、その後遺症として息子に知的障碍が残る。父親不在の、子宮の延長上のような家庭は、社会的価値規範による外部との葛藤や軋轢から息子を守るために母の心的外傷(罪悪感)によって、より強固に構築された世界です。ポスターもよくできてますよね。息子に危害を加えるものは何が何でも排除しようと油断なくキッと眼を据えている母親の後ろに半ば隠れるように(母親を盾にして安全圏に隠れる息子)こちらを窺っているトジュンには、5歳児には絶対にありえない成人した男の証である髭がうっすらとみえます。幼少期から青年へと成長する過程で、殆どの母親の前に立ち現れる壁−子供の性的成熟に伴い現れる、母親が決して干渉できない領域の出現。その前兆として、ある日、息子の顔に産毛とは呼べないものを見つけ“あぁ、とうとうその時期が来たんだよね”とため息と共に、距離の取り方を少しづつ軌道修正し始めるものですが、この母親はそれをやってないですよね、きっと。精神は5歳児のまま成長していないように見えても身体はまぎれもない成人した男である事実を、この母親はおそらく自分の中で都合よく歪曲してしまってたんでしょう。トジュンの障碍が女性を近づかせない障壁として立ちはだかってくれるので、息子をわが手から奪っていくような女はまず現れない−母子の蜜月関係を脅かす他者は若い女ぐらいですもの。この母息子は共依存の典型みたいに見えます。また、ジンテの留守宅に忍び込んだ母がしりとりセックスを目撃する場面、エンジの靴下をはいた母の足の指がキュッとなってますね。彼女も現役の女であり、間違いなく性的興奮は感じてる。弁護士に好印象を与えるためにアジョンの葬儀会場での大騒ぎを忘れたかのように鏡を取出し紅をひく場面の生々しさとか、匂うような生身の女の部分があります。

■二つの事件

本作で起きた殺人事件は二つ。酔ったトジュンが偶然出会った少女アジョンから投げつけられた『バカ』という言葉に脊椎反射して犯した殺人と、もう一つは息子の無罪を証明するために取った行動が、自らの手で息子が犯人だと暴く羽目になった母が発作的に犯した殺人。トジュンの事件は“バカにされたらやり返せ”と母に教え込まれた事を従順に履行して起きたもの。母の事件は、息子をその手に取り返すために目撃者を消し去ること−証拠隠滅のための殺人です。息子をバカにされた怒りを触媒にして、母は倫理の壁を乗り越え殺人を犯す。トジュンは同じくバカにされた事に反応して殺人を犯す。アジョンには認知症の祖母がいました。他に身寄りのない家庭で育ったアジョンは売春で生活費を稼いでいた。祖母の保護者がアジョンだったんですね。この祖母はアジョンに依存している存在。トジュンも母に依存してます。トジュンの起こした殺人をA、母の起こした殺人をBとして整理すると
A.実行犯の特徴;記憶に障碍を持つトジュン。 母に依存して生活している 被害者;アジョン。ケータイの記録(記憶)の持ち主。彼女は記憶を消さずに残しました。 事後処理;犯人によって人目にさらされる。犯人の特定だけで事件の隠滅は行われていない。
B.実行犯の特徴;記憶を消すツボがあると信じている母 トジュンに依存している 被害者;アジョン殺害の目撃者−母にとって都合の悪い記憶の持ち主 事後処理;殺害後、放火によって証拠隠滅された
つまり、このふたつの事件を隔てるものはその事後処理の違い−証拠が「隠滅」されたかどうかなんです。トジュンは殺人の証拠隠滅をせずにアジョンを廃屋の屋上の運び上げ「洗濯物」のようにぶら下げました。母は死体から流れ出る血を拭き取るかのような仕草(雑巾がけみたいに見えます)を何度もやってました。人目に付くように「干す」か雑巾がけで「拭き取って」しまうかの違いなんですよね。
トジュンの障碍が主に記憶に関するもので、アジョンの祖母は記憶障害が起きる認知症です。この2人、よく似た事やってるんですよね。トジュンはアジョンを「洗濯物」のようにぶら下げました。早く誰かに見つけて貰って血を流しているアジョンを助けて欲しい−トジュンは、アジョンはこの時点で「生きている」と思ってたんです(この真偽はよく分かりません)。認知症の祖母はアジョンが死んだとは認識できておらず、彼女の死後も制服を洗濯して干してました。彼女の記憶(ケータイの記録)米櫃の中に埋まってましたし。アジョンのケータイが米櫃から現れるシーン、良いですね。認知症の祖母も金と米に関する事なら俄然、意識がしっかりしてくる。ミシッと詰まった米の感触って結構気持ちいいですからね、それが直に伝わってくるような映像でした。

■闇から飛んでくる石

廃品回収業のおじさんの回想シーンで、警察が現場検証をしていた群衆の中にこのおじさんもいたことが明らかになりますけど、それ以前、現場検証が行われたシークエンスではこのおじさんの顔だけが暈されてました。これ、かなり珍しいんじゃないでしょうか。ミナ(被写体)の周辺にフォーカスを合わせ、他は暈すのがのが普通だと思うんですけど、ピンポイントで焦点を暈した画を意識したのがこの作品が初めてでした。私が知らないだけかもしれませんが…。
アジョン殺害のシークエンスもちょっと不思議なんです。この時点でトジュンが犯人であることはシナリオ上、伏せておかなければならないので、トジュンの行動の矛盾はぎりぎりセーフだと思うんですが、凶器となった大きな石が暗闇からポンと投げられた事がよく分からないんですね。廃屋の間にある最も深い闇の中にアジョンの姿が吸い込まれていって、その後石が飛んで来る。アジョンが投げた石って事にしなくても、トジュンが足元の大きな石を拾って投げたで済んじゃうと思うんです。この二人の間に何かがあるんですよね、きっと。彼女がやった行為がトジュンという“何か”にはね返されてしまうのか、彼女の闇とトジュンの闇の間は交換可能な何かがあるのか、ココも謎ですね…。
初見でもそうだったんですが、アジョンの葬儀のシークエンスが好きです。母親と泣き女が争っている所に煙草を咥えた妊婦さんが現れ、興奮状態の母を引っぱたく→その衝撃でよろけた母親の背後から今度はマッコリをまき散らしていた認知症の祖母が現れ→マッコリの酒瓶を高所から投げ落とす。主に横移動の運動で対象を連続させて視線を誘導し、最後に縦方向の運動で締める。アジョンに対するこの人なりの弔いなんでしょうか…何度見てもここは愉しいです。大雨の夜、殺害現場となった廃屋の屋上から見える街の様子とか、傾斜のある墓地、林を彷徨う母越しに見える火災、鉱油と混ざりあってぎらぎらした油膜が張ったどろりとした血等、印象的なシーンを挙げていけばきりないくらい、画面には強度があります。この面白さがポンジュノ作品の大きな魅力ですよね。顔に傷のある女子高生や、スーパーのレジ係の女の子等、ユニーク顔の多さもポンジュノ印。レジの女の子“なんで、おばさんがこんなもの必要なん?”って絶対に思ってるに違いない(笑)。
ラストシークエンス、トジュンから受け取った鍼で、嫌な記憶を消すツボに自ら鍼を刺した母は、踊りに興じる群れに加わり一心に踊りだします。強烈な逆光の中、誰が誰だか見分けのつかない『母』の一団。都合よく記憶を消せるツボなんてものはない。でも彼女は記憶を消せなくても“記憶が消えたフリ”は出来る。母はこれからもそのふりを続けるんでしょう。で、気になるのがアジョンの事。彼女は記憶(記録)を消さなかったんです。母とアジョン、そして記憶の障碍を持つトジュン。トジュンの怪物性は、おそらくすべてを思い出した(理解した)上で、バスターミナルで母に鍼箱を差し出す時の表情にあると思ってます。まったく心の動きとか感情とか言ったものが読み取れない表情なんですよね。うーん、まだ上手く消化しきれてない所があってもどかしいです。気づいたことがあったら、後日追加していきます。