アレックス・デ・ラ・イグレシア監督の新作


『スガラムルディの魔女』『刺さった男』公式サイト


スペインの異才アレックス・デ・ラ・イグレシア監督のホラー・コメディ。

『マカロニ・ウエスタン 800発の銃弾』でマカロニウェスタンへのオマージュ、『気狂いピエロの決闘』では、スパイン内戦とその後のフランコ政権の闇を描いたイグレシア監督ですもの、異端審問に、魔女裁判、中世の闇が生んだ魔女伝説をどう料理するんでしょうかね。

残念なのが全国4箇所でしか公開されない事。
洋画興収の落ち込みはどうしようもないレベルにまで来てしまったのかなぁ。
『アナ雪』は別格としても、今年公開された外国映画で、興収30億超えしそうな作品って『GODZILLA』くらいしか見当たらない。
ミニシアターブームの草分け的存在であり、洋画配給の老舗『フランス映画社』の倒産しかり。しかも負債総額は約3800万円な訳でしょう?
債権者さんの立場になれば大変な金額にはちがいないでしょうけど、川喜多長政、和子*1親子が映画界に与えた影響を考えると、随分寂しい幕引きとなりました。
フランス映画社が配給した、ゴダール、ヴェンダース、ジャームッシュ、ヴィスコンティ、オリヴェイラ、タルコフスキー、テオ・アンゲロプロス、侯孝賢等々、錚々たる監督たちの作品を、スクリーンで観る事が出来た私なんかは幸福だったのかも知れない。

*1:伊丹十三監督の元奥さん

ザ・レイド(ネタバレ)/麻薬王の宮殿で天下一武闘会

ブルース・リー、ジャッキー・チェンの系譜?


公開時、話題になっていたアクション映画、レンタルで観ました。
麻薬王の所有する高層ビルに挑む警官と言ったら、カール・アーバン主演『ジャッジ・ドレッド 』と似たシチュエーションなんですが、コッチの方が数段、面白いです。格闘アクション映画が苦手な女性でもこれなら大丈夫じゃないかしら。とは言え、ゴア描写もあるので、それなりの覚悟は必要ですけど。。
画面から伝わる「痛さ」の表現も多彩で、易々とリミット越えしますが、不思議とどんよりした嫌ーな感じがしない血の飛び散り方でした。殺さなければコッチが殺されるギリギリの状況下でも、武道の優劣に収斂してしまうので、ビルの階数が上がるにつれ、武道上級者の天下一武闘会の様相になっていきます。二対一の死闘の末(拷問していた男を鎖から解放したのは、彼なりのフェアプレイ精神と矜持の表れじゃないかと思います。2人でやっと、俺一人分なんだと宣言してるんでしょうね)、敗れたマッド・ドッグ(狂犬)さんは、最後にあんな戦いが出来て本望だったでしょう。


「プンチャック・シラット」という聞きなれない武術が登場するんですが、東南アジア(マレーシア、インドネシア、シンガポール、ブルネイ、ベトナム)の伝統的武術を、かのブルース・リーのお師匠さん、ダン・イノサントも学んでいたとか。ラマ(イコ・ウワイス)が警棒(?)を使う所なんか、ヌンチャクかと思いましたもん。


鉈に金槌、椅子、冷蔵庫と言った家具類、果ては壁や床まで、人の住むアパートなら当然そこにあるモノを、次から次へと反撃の手段に替えていく融通無碍なアイデアが秀逸。「身の回りにあるものは何でも利用しましょう精神」はジャッキー・チェン作品の進化系ですね。
新米SWAT要員には身重の妻がいて、命懸けの仕事に向かわなければならない夫を送り出す妻の辛さなんてものは華麗にスルー。おそらく脚本上にはあったものの、編集段階で切られちゃったんじゃないかと思います。ドラマ・パートがアクション場面でのブレーキーのならぬよう、綺麗さっぱり刈り込まれている。お陰でものすごくスピーディーな展開で、飽きさせません。
こういったお話に付きものの「裏切り」も影の薄い扱いで(笑)、格闘シーンのバリエーションの為だけに付け加えられた風になっちゃってますけど、ここまで潔く魅せてくれたら文句はないです。

11月22日には続編『ザ・レイドGOKUDO』が公開、それに合わせて映画秘宝Presents「さよなら新宿ミラノ!『ザ・レイド』祭!」開催決定! | 『ザ・レイド GOKUDO』最新情報も開催されるようで、トーク・ゲストは誰なのかしらん?どなたかブログで記事書いてくれないかしらと期待しつつ、今週末は、ノーランの新作『インターステラー』を観ます(きっぱり)。久々のハードSFですもの、期待するなって方が無理。でもねぇ、北米では賛否両論に分かれていて、一抹の不安が…。

プリズナーズ(ネタバレ)/アリアドネの赤いホイッスル

fatherの条件


『灼熱の魂』灼熱の魂(ネタバレ)/笑わない女が歌うのは… - 雲の上を真夜中が通るのドゥニ・ヴィルヌーヴ監督と、現時点での最高峰の撮影監督のひとり、ロジャー·ディーキンスがタッグを組んだ作品、レンタルで観ました。


ある日突然、愛する我が子を誘拐され、追い詰められた挙句に暴走する父ケラー・ドーヴァー。感謝祭の饗宴がライフルで仕留めた血の滴る鹿の生肉、人並み以上に篤い信仰心と来れば、アメリカのキリスト教右派(Christian fundamentalism)をイメージしがちなんですが、私は寧ろ、ケラーの父親の自殺と、アルコール依存症に陥ったものの神の導きにより「born again(霊的に新たに生まれ変わること)」した経験を持つ福音主義者( Evangelicalism)の方を意識しちゃいました。この両者の区別は中々に難しいでしょうけど…。
同じく、子供をガンで亡くしたのを契機に信仰を捨て、神に挑む戦い(他人の子供の誘拐し、神に対する信仰心を打ち砕く)に囚われたホリー・ジョーンズ(メリッサ・レオ)とその夫。この二つの家族は「子供を喪失する」破格の苦しみ=この世の牢獄に囚われた人達なんですね。


ケラーは信仰に目覚める事で一見、過去のトラウマ(父の自殺と過度の飲酒)と決別したように見えるのですが、父が自殺した実家を解体するでもなく(人に貸せば、修繕費がかさむと話してましたが)長年保有し続けたのは、彼にとって、この場所(ポール・ダノ を監禁、拷問した古家)が自己の内面深くに穿れたラビリンス(迷宮)に等しいからじゃないかと思います。篤い信仰でお化粧された彼の仮面の下には、未だ癒えぬ古傷が悪臭を放ちながら膿み続けているんじゃないかと。。
監禁場所にココを選んだのは、人目に付きにくい場所だけじゃなく、深層心理に突き刺さるトラウマ的場所だからなんでしょう、理由は何であるにしろ、家族を見捨てて勝手に死んでしまった「弱い父親」像が、ケラーを何が何でも家族を守る、サヴァイバル術に長けたマッチョな「強い父」のイメージへと追い立て、娘が誘拐されたのをきっかけに、良心の境界を一気に超えてしまったんだと思います。実際、娘が誘拐され精神的に参ってしまい、何のアクションも起こせない妻の一言“貴方と一緒にいれば安心できたのに、家族を守ってくれると信じていたのに”で、暴走し始めましたもん。彼を駆り立てる「強い父」の理想像の根元には、未だ解決されずに残っている「弱い父」が住まう迷宮が残されているんだと思います。


ホリーの夫が固執していた迷宮は、子供を失った悲しみが産み落としたもの。迷宮のパズルを解くことが出来た子供(ボブ・テイラー)は、記憶を失わせた後に無事解放している所から、この夫妻はラビリンスの神秘主義的な側面━ヘビ(サタンの化身でもあり、入り組んだ迷宮の図像的シンボル)の導きにより、暗闇を潜り抜ける通過儀礼の後、born again(新生する)に憑かれちゃったんでしょう。神父に自ら出向き、表向きは告解(懺悔)の体裁を執りつつ、実態は神への挑戦状をたたきつけ、挑発し、この世の地獄を知らしめる。自分達が地獄(子供を失う苦しみ)を味わった腹いせに、他の親までも地獄に叩き落としてやる!なんですものねぇ、だからと言って同情する気にはなれませんけど。
ホリーの夫を殺害した聖職者が「father」と呼ばれていたのは皮肉ですね。この神父さんはペドフィリアで、彼の内部にも光が差さない暗部=迷宮があります。アメリカが理想とする「父」は、それぞれが内包する闇の上に成り立ってるのですから。。


原題が『PRISONERS』と複数形なのは、本作には迷宮に囚われた人物が多く登場するからでしょう。古びたRV車に心を捉えられているポール・ダノ、彼には犬を虐待せずにはいられない闇を抱えていますし、子供用の棺桶を模した容器にヘビと血の着いた衣類を入れ、生贄の再現をやっていたもう一人の青年も、消し去ることの出来ない闇に捕えられた、ジョーンズ夫妻の犠牲者でした。
一番面白かったのが、中産階級(少なくともドーヴァー家よりは裕福そう)でリベラルっぽいバーチ夫妻の変容です。拷問の共犯者にされてしまった夫フランクリン( テレンス・ハワード)が良心の呵責と娘を助けたい思いとの間で思いっきり揺れ動きグダグダになっていくのに反して、妻ナンシー(ヴィオラ・デイヴィス )は冷静に現実を受け止め、その上でケラーの暴走を黙認する形で、この事態を肯定してしまう所です。
ヴィオラ・デイヴィスが本来持ち合わせてる明るいイメージに助けられてますが、この奥さん、私は結構、怖いんですよ。
エヴァンジェリカルが大統領選の大票田となったアメリカの政治と、腰砕けの「善意」のリベラルといった対立軸を持ち込んでも成立しそうな気がします。私には、ジェームズへの拷問シーンがアメリカが行ってきたテロリ容疑者に対する人権無視の拷問と重なってるように思えて、仕方がなかった。


終盤、怪物ミノタウロス(ジョーンズ夫妻)の迷宮は、古ぼけた車の下に穿れた穴として立ち現われます。この穴に落とされた(堕ちた)ケリーは、娘が残した赤いホイッスルによって救い出される(ロキ刑事の耳に届く微かな笛の音)可能性を残したラストですが、アリアドネの糸はこのホイッスルなんでしょうね。
ミノタウロスの迷宮、全能の神対サタンの二項対立(代理戦争)に北欧神話のトリックスター「ロキ」、フリーメイソンの指輪*1と言ったガジェット を並べ立てられると、出来の悪いモダンホラー風味のサスペンスになってしまいそうな所を、的確で落ち着いた演出とロジャー・ディーキンスの撮影で随分と、救われたんじゃないでしょうか。
古びたRV車の窓からのPOVとケリーに捕えられたアレックスのシャワー室からわずかに覗く目のインパクトには唸りました。最初のPOVがあるから、シャワー室での目が同じ犯人のものだというミスディレクションを呼ぶんですよね、ホント上手いなぁ。。


ペンシルヴァニアの荒涼とした風景、冷たい雨と、背後からゆったりと忍び寄るカメラの動きが醸し出す緊張感とで、緩みのない端正な作品に仕上がっています。カメラが陰惨な事件を生んだアメリカの田舎町を雄弁に補完してますよね。
中でも、行方不明になった子供たちの為に催されるキャンドル集会の灯、毒物を注刺され生死の境を彷徨っていた子供を助ける為、視界不良の中、幾重にも滲むテールランプの光の帯(これも一種の迷宮なんでしょう)から「Emergency 」の看板=アリアドネの糸を見つけ出すシークエンスには映画的なエモーショナルがあって、ドキドキしました。

*1:http://www.imdb.com/title/tt1392214/trivia?ref_=tt_trv_trvDetective Loki (played by Jake Gyllenhaal) is clearly visible in many scenes wearing a Freemasons ring on his left hand

誰よりも狙われた男(ネタバレ)/世界の平和のために

the show must go on


冒頭、古くからの港湾都市ハンブルグにあるアルスター川の風景、決して水底を窺い知ることの出来ない濁った川面から、まるで生まれ落ちたかのように這い上がってきたムスリムの青年イッサ・カルポフ(グリゴリー・ドブリギン)。かたや、長年インテリジェンスの世界で面々と続く終わりなきゲームに倦み疲れている上に、手塩にかけて育て上げた情報網をCIAの横やりで潰された過去があるドイツ人のギュンター・バッハマン( フィリップ・シーモア・ホフマン)。彼がスコッチウィスキーと煙草を手放さずにいるのは、悪臭を放つ濁った水面下でのスパイ戦から、やっとこさ顔を突き出して一息つける唯一の浮標 でもあるんでしょうね。それ以外に正気を保つ方法を見つけられずに今日まで来てしまった孤独な男の輪郭が浮かび上がるのに連動して、ジハード主義の過激派テロリストとして国際指名配されていたイッサの出自━ロシア軍部の父と、レイプされた挙句、イッサを産み僅か15歳で亡くなったチェチェン人の母。二つに引き裂かれていた彼のアイデンティティがスパイ戦の緊張の中、徐々に鮮明になる構成には唸りました。


面白いなぁと思ったのはイッサだけではなく、アブドゥラの息子までもが、それぞれ親から受け継いだ有形、無形の財産(遺産)を否定、放棄することで自らのアイデンティティを確立しようとしている所です。
イッサは暴力的な父(ロシア)を否定し、チェチェンのムスリムとして生きようとしますし、アブドゥラの息子はドイツ国籍を元に、イスラムの信仰を持ちながらも新しいヨーロッパ人としていきたいと願います。どちらもネイションで一括りにされるアイデンティティよりも、9・11以降に誕生した新秩序の狭間で自分達の立ち位置を模索していくんですね。
一方、バッハマンの方は、9.11以降、アメリカ主導で行われる対テロ戦略、テロという暴力行為に同じく暴力で対抗する新秩序の誕生と、過去にCIAに情報網を潰された恨みつらみから、彼をより古い時代、東西冷戦下でのインテリジェンスへの執着へと向かわせているような気が…。
しかも、諜報活動の一環ではあっても、内通者(裏切り者)は彼にとって家族も同然だったんじゃないか、アブドゥラの息子との抱擁シーンを見ていると、これが偽りの友諠とは言い切れない空気を醸し出していて、分裂した、複雑な男の内面を匂わせるフィリップ・シーモア・ホフマンの上手さが光ります。
イッサの母に対するまじりっけなしの愛情に対抗できるだけの、汚れ仕事に長年手を染めてきた孤独な男の思いがけないピュアネスじゃなかろうかと…。少々、ロマンチックですが、私はそう受け取ってます。


東西冷戦下での最前線だったドイツが9・11の実行犯、モハメド・アタを生み出してしまった苦い経験は、国家の面子を丸つぶれにするだけの破壊力があったのでしょう、第二のモハメド・アタを生むな!とのCIAをはじめとする国際社会からの圧力は、同じドイツの諜報機関のモアとバッハマンとの対立にも如実に表れます。
ターゲットとなる組織内に放った裏切り者をエサに、さらに上のターゲットに近づく「エビで鯛を釣る」手法は、いわゆる「埋伏の毒」と同じで、古今東西、あらゆる国家の歴史を叩けばボロボロ出てくるお馴染みのスパイ活動なんですが、近年、最も盛んだった(少なくとも小説などでは)冷戦構造下の緊迫した時代の空気がバッハマンに憑りつき「亡霊」となって甦ったかのようで、やっぱりスパイ戦は裏切りがないと面白くないなぁと、改めて納得したりもしました。


イッサを巡るアメリカ(新秩序)とヨーロッパ(旧秩序)の対立は、どちらも世界をより安全な場所にするためと称し、表面上はにこやかに話しながら水面下では腹の探り合いをやってる、マーサ・サリヴァン(ロビン・ライト)とバッハマンの面会場所のひとつが、超高層ビルだったのには感心しました。ビルの窓の浮かぶ先行きの見えない曇天がまさに両陣営が対峙するインテリジェンスの世界なんですよね。
終盤、CIAの裏切り(トンビに油揚げをさらわれたも同然)にあったバッハマンと、マーサとの視線の交差(しかも2回!)にはゾクゾクしました。
『ラスト・ターゲット』でもそうだったんですが、アントン・コービン作でキャスティングされる女優さん、とっても好みなんですよ。先に触れたロビン・ライトは勿論の事、ニーナ・ホスが良いです!。『東ベルリンから来た女』にも主演していた彼女、長身のクールビューティーですけど、それだけじゃない、匂うような大人の色香が滲みだす瞬間があるんですね。彼女と並ぶと レイチェル・マクアダムス が女子大生くらいに幼く見えてしまう場面も…。
ラスト、車のフロントガラスの向こうに文字通り「消えていく」完璧なフレーミングに、フィリップ・シーモア・ホフマンとのお別れがこんな形で訪れるとは、数か月前までは想像もできなかったけど、なんだかんだ言っても作品を通して記憶にしっかり残すことが出来て、本作には感謝したい気持ちで一杯です。個人的なお別れの儀式にはなったかなぁ。。

アバウト・タイム ~愛おしい時間について~(ネタバレ)/非凡な僕の平凡な人生

時を駈ける父と息子


『フォー・ウェディング』『ブリジット・ジョーンズの日記』『ラブ・アクチュアリー』『パイレーツ・ロック』などの脚本(監督も兼任している作品もありますが)で知られるリチャード・カーティス。本作でどうやら引退されるようで、評判の良さもあって、観て来ました。ラブコメ風の軽妙なノリから、最後に無理なくと父と息子の物語に収斂させる脚本の上手さは、手慣れているとはいえツボを外さない安定感バッチリの出来栄え。デートムービーにも最適じゃないかと思います。

一族の男子に継承される特殊能力━ガチのSFを期待するとがっかりしますけど、タイムトラベルの要素はほとんどマグガフィンと言ってもいいくらいで、SF的な設定の妙で魅せる作品ではないです。
過去のある地点(人生における分岐点となる出来事)に戻っては、少しづつ現在を改変している主人公 ティム( ドーナル・グリーソン)は、持って生まれた特別な能力で、世界の危機を救うわけでもなければ、時間を巡る哲学的思弁とも無関係、意中の女の子と仲良くなりたいなど、ごくごく平凡な動機からタイムトラベルを始めているんですね。巨万の富を得ることも、世界の歴史を変える事も可能なのに、ティムの欲望(タイムトラベルによって現在を改変する)は等身大の慎ましさとイギリス人らしいユーモアに満ちていて、適度に油抜きされて、好感度抜群です(笑)。
彼の欲望の変遷がやがて成長軌道とシンクロするようになり、父となり、我が子を想う親に立場になって初めて、自分もまた父から大きな愛情で見守られてきたことに気づく、いやらしいくらいバランス感覚に優れた作品だと思います。

気まぐれなコーンウォールのお天気に見舞られたガーデンウェディングの多幸感、レイチェル・マクアダムスが気の良いアメリカ女性を飛び切り可愛く演じていますし、ティムの父親を演じたビル・ナイは過去のフィルモグラフィーからは想像もつかない、家族と過ごす時間の為に50歳でリタイアした大学教授を淡々と枯れた味わいで魅せてくれます。タイムトラベルで妹を救おうと思い立ったものの、過去への旅が現在に及ぼす影響(大事に育ててきた娘が、タイムトラベルによって息子に変わってしまう)から断念したティムでしたけど、美しく成長した娘の愛らしさ(小学生くらい?)を見れば、そりゃ、お父さんだもの、無理ないよねー。妹も辛い過去を逃げずに真正面から立ち向かう事で生きる力を取り戻したようでしたし…。


編集者の妻メアリーが作家との面談に着ていくドレス選びに迷った挙句、最初に目を止めたドレスに辿りつくエピソードも、ティムのタイムトラベルと重ね合わせてあるんでしょうね。
メアリーが迷った数多くのドレスと同じ、人生の選択肢も無数にあるように一見、そのように見えてしまうんですが、実際に選択できるものは実はそう多くはない。ティムがメアリーと付き合いだした時も、あるいは娘を授かり深い愛情を抱くようになってからもそうだったように、彼自身が他の選択肢に価値を見いだせなくなってしまうんですよ、それによって失うものの大きさを家族を通して知ったからなんですよね。で、本作の旨みは、同じ能力を持つ父親も、家族を想いそのように選択してきたんだなぁ~と終盤で明らかになる所。日常に埋もれてしまう何気ない風景の数々(卓球や海岸の散歩)が、かけがえのない特別な時間として輝きだす頃にはウルッときました。
風変りなおじさんやティムの同僚のエピソードもエッジの効いたキレ味よりもほんわかとした優しさで満たされていて、口当たりの良さも作品の基調と合ってると思います。

2014 サマームービーガイド

http://www.rottentomatoes.com/guides/summer-movie-scorecard-2014/


rottentomatoesが、2014年のサマーシーズンに北米公開された作品のランキングを発表。
日本ではまだ公開されてない作品も多くて断言はできないんですが、このランキングは結構信用できそうな気がします。ポン・ジュノ人気はちょっとバブリーですけど。
ロバート・ロドリゲスとフランク・ミラーが共同監督した『シン・シティ: ア・デイム・トゥ・キル・フォー』の苦戦は如実に数字で出ちゃってますよね。エヴァ・グリーンさんのおっぱいでもダメなのか…。
意外だったのが、現在公開中の『ジャージー・ボーイズ』。日本での評判はすこぶる良いのに、アメリカでは賛否両論に分かれていて、『アイアンマン3』のシェーン・ブラック監督が降板し、その後をイーストウッド御大が引き継いだ事故物件(笑)だからなんでしょうか…、まだ見てないので何とも…。
ジョン·ル·カレ原作、アントン·コービン監督の『モスト·ウォンテッド·マン 』の評価が高いのもうれしいです。フィリップ·シーモア·ホフマンの遺作(『ハンガーゲーム3』の方が公開は後でしょうが)ですし、これは絶対に見たいなぁ。

猿の惑星:新世紀 ライジング (ネタバレ)/屋根裏部屋の丸窓

Apes not kill apes

覚醒したシーザーの指揮下、人間社会からエクソダスしたサルたちが、ゴールデンゲートブリッジを渡った森で自治権を得る、いわば自由の為の革命だった『猿の惑星創世記(ジェネシス)』の爽快感から一変、本作では戦争がなぜ起きるのかを前面にフィーチャーしてあり、結構重たい作りでした。


序盤、セコイアの森で原始的共同体を営んでいる Ape達が鹿を狩るシークエンスがありますが、「狩り」は戦争(特に戦術)のシミュレーションと大差ないんですよ。獲物と一対一で対峙するのではなく、集団(シーザー達は騎馬隊も有してる)でより多くの獲物を効率よく仕留めるとなると、集団をいくつかに分け、布陣しなければなりませんから、実戦レベルの演習と同じです。
一般的には、狩猟民族には首長(リーダー)が存在しても(首長さえ存在しないコミュニティもある)首長に権力が集中するのではなく、大抵は土着の宗教との間で権力の分散が行われます。狩猟民族の「狩り(狩場)」を神格化し、神聖なる狩場を守る厳格なルールをを設け、その裁定者となるシャーマンなんかがいたりします。狩場=食料の確保が生存の第一義ですから、首領と言えども不可侵なんですね。
馬に乗るサルたちが一部ウォーペイント(顔に白い染料を塗っていた)を施してたので、シーザーのコミュニティにも原始宗教の発芽はありそうなんですが、ソッチに力が入っちゃうと、まんま『アバター』*1になっちゃいますが(笑)。


ALZ113ウィルスにより壊滅状態にある人間社会と、シーザーら知性を持った Ape達、二つのコミュニティーの緊張関係から、インディアンが被った迫害の歴史からパレスチナ問題まで俯瞰するのも面白いんですが、ココはもっと普遍的なフォーマット━原初の時代から、縄張り、資源(食料)の確保を巡る集団対集団の戦闘行為によって紛争の解決を図る、最も原始的で暴力的な営み=戦争の普遍性としてとらえた方が私は好みですね。シーザーが我々は人間たちとは違う、つまりは流血を好まない平和的な種族だと願い、そうありたいと努力を重ねても、資源(水力発電用のダム)を巡って、ある日、戦端が開いてしまうんですもの。

シーザーと人間マルコム( ジェイソン・クラーク )との友情も国家間の外交政策=全面戦争回避の手段とはならず、森とサンフランシスコの市街地、その両方とも火の手が上がる中盤のカットバック以降ヒタヒタと満ちていく不穏な空気は、戦争がどんなに愚かな行為であっても、それを止めるのは並大抵ではない重い現実が圧し掛かってきて、見ている方もとてもつらいものでした。
シーザーを裏切るコバも、堕ちるべくして堕ちたというより、もし彼が人間に虐待された過去がなければひょっとすれば違っていたかもしれない、その可能性が捨てきれない分、余計にやりきれないです。
“Apes not kill apes”━鉄の掟を破ったコバはシーザーのカリスマを持たない代わりに、策士の小器用さ(銃の試し撃ちをしている人間の前で道化を演じていました)と「恐怖」による支配でApeのコミュニティーを乗っ取ろうと画策したものの、彼自身がその裏切り同様、奈落に「堕ちて」行きます。堕ちた仲間の屍の上に、尚も立ち続けなければならないシーザーには、これからどんな艱難辛苦が待っているのでしょうか。。
シーザーの名が示す「カエサルの寛容」は結果的にオクタヴィアヌス(アウグストゥス)に政治の中枢への道を切り開かせました。Apeシーザーには反抗期の息子ブルーアイズ(彼が始めてfatherと話した時は思いっきり感動した)がいますが、父を心から理解した息子の今後も楽しみです。

*1:顔の入れ墨+騎馬となるとネイティブアメリカンを連想しないでいる方が難しい

アルノー・デプレシャン監督最新作 「JIMMY P.」


Jimmy P. Official Trailer #1 (2014) - Benicio Del Toro Movie HD - YouTube


これはとっても嬉しいニュースです。
ベニチオ・デル・トロとマチュー・アマルリックが共演なんて夢のようなお話なんですが、この二人の俳優がどういったケミストリーを起こすのか想像もつかない。
動くマチューさまが拝めるだけで私は満足しちゃいますが…。


アルノー・デプレシャン監督最新作「JIMMY P.」邦題&公開決定 : 映画ニュース - 映画.com

ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(ネタバレ)/‘I am’から’We are’へ

君も一緒に踊ろう


マーヴェル製作のビッグバシェット映画をトロマ出身のジェームズ・ガンが監督するらしい━目を疑うような第一報からずっと公開を楽しみにしていた作品です。デル・トロ監督とは違ったベクトルで「異形」の者を登場させ、捻ったギャグから繰り出すうっすらと滲む哀しさ*1が好のみで、マーヴェルお得意のファミリー向け娯楽映画では毒もゴア描写も過去作程期待できないのは承知の上で、それでも結構楽しんじゃいました。

ストーリーはいたってシンプルなんですが、それぞれのキャラ立ちが良いです。不仲のならず者たちが紆余曲折の末一丸となる。他のマーヴェルブランドのキャラより地味でちょっと太目なスター・ロード(ピーター・クイル)の幼少時 のエピソード、カエルが虐められたからとクラスメートに殴り掛かり、目の周りに痣を作っていた心優しい少年が、異星の小動物を平然と虐待しているのには笑いました。こういうねじくれ方は好きだわ~。ネズミやハムスター、終いには害獣とまで言われてたアライグマ 、ロケット(ブラッドリー・クーパー )の屈託とか、終盤、自己犠牲の道を選択したグルート(踊る赤ちゃんグルートとなって、最後には復活しましたが)が友情、絆を体現する場面では泣けました。現代の子供たちにとって「スターウォーズ」が登場した時くらいの驚きや興奮を与えられるのかは、続編も含めて見守りたいなぁと思ってます。「スター・ウォーズ」があからさまにナチスの意匠を持ち込んでいたのに対して、本作には未知数な所があり、コレクター(ベニチオ・デル・トロ)の登場や、序盤でのトレジャーハンター編が「インディ・ジョーンズ」みたいで、スペースオペラの方よりも、私はコッチが見たいです。ロングコートにゴーグル姿のスター・ロードは流石に決まっていて、太目なのが目立たないし…。

今作を見て、ジェームズ・ガン監督にとってのヒーローは「フット・ルース」のケヴィン・ベーコンなんだなぁって再確認した次第。じゃあ、監督のミューズはきっとマイケル・ルーカーなんだ(笑)。ヨンドゥの使う吹き矢にビビっと来る人とはお友達になれそうな気がします。
ならず者達が図らずも宇宙の平和に貢献する━ノヴァ軍に折角、あくの強いジョン・C・ライリー を配したのですから、正義の戦いについてもうひと捻り欲しかった所なんですが、ポリティカルな視点は続編に持ち越しなんでしょうかねぇ。



*1:『スリザー』のマイケル・ルーカーなんてその極み!

グレート・ビューティー 追憶のローマ(ネタバレ)/どこにも辿りつけない電車

俗物の王

古代ローマの象徴、コロッセウムやサン・ピエトロ大聖堂のドームをはじめとする歴史的建造物や美術品の数々、その全てを理解する事は日本人には中々難しくても、綿々と続く人間の愚かしくも滑稽で、されど崇高で猥雑な堆積物の上に築かれた「永遠のローマ」に埋没する至福の141分でした。撮影に使われた名所巡りはhttp://greatbeauty-movie.com/location/にも掲載されてますので、ご参考までに。ココ以外にも相当数ありそう。。例えばポスター画像はカピトリーノ美術館にあるマルフォーリオhttp://eiga.com/news/20140421/14/ですし、彼がヌードダンサーと訪れる深夜の美術館でしばし目に止めたのが国立古典絵画館(バルベリーニ宮)にあるラファエロの「ラ・フォルナリーナ」です。*1*2


冒頭、フランソワ・オゾンの『危険なプロット』にも登場していた“呪われた作家”セリーヌの自伝的小説『夜の果てへの旅』の一節で始まり、エンドクレジットでテヴィレ川の風景で終わる本作。川をゆったりと下る光景がそのものずばり、人生の隠喩なんですよね。
政治、カトリック、芸術等、ローマに内包され、豊かな陰翳を形作る美と、それらと不可分に結びついている虚無から伸びる誘惑の魔手から逃れる為に、持って生まれた才能をひたすら浪費し続けるジェップ(トニ・セルヴィッロ)を通して見え隠れする重層的なローマ(しかも、その全容は決して掴めない)と、彼自身の彷徨える魂の旅を描いた作品で、コロッセウムに隣接した豪華なコンドミニアムのバルコニーで、夜通しパーティーに明け暮れては、ハンモックに横たわり、手にしたスコッチグラスと共に優雅に「黄昏れてる」、とってもおしゃれなおじ様。
狂騒的な自暴自棄に身を浸しながらも、決して自分を見失ったりはしていないんです。彼の矜持がそれを決して許さないんでしょう。ピカレスクロマン的韜晦の現身から不意に目覚めた様に真摯な言葉が溢れだしもする*3、彼自身が矛盾の塊なんですね。生活の為に自尊心を安売りする必要がないからなんでしょうが、聖と俗、冷静と情熱、相反するものに引き裂かれているというより、矛盾そのものがイタリア的と言った方が良いのかも。。一番印象的だったのが、旧知の伯爵夫人の息子の葬儀のシークエンス。“(葬儀での)涙は遺族のもの、それを奪ってはならない”と言いながら号泣してるんですもの。


旅の水先案内人となる女性達は、幼い修道女見習いや彼の記憶に登場する(コンドミニアムから「見下ろして」いた迷路のような幾何学式庭園)女たち、ヌードダンサーのラモーナ(サブリナ・フェリッリ)との魂のふれあい(通俗の極みともいえるヌードダンサーとの間には、純粋な友愛が成立していた)、齢100歳を優に超えた老修道女、忘られぬ初恋の君、彼の人生に束の間現れては共鳴しあい、やがて消えていく美しい女たちからフェリーニ的なモチーフを連想してしまうのは仕方がない。『甘い生活』や『8 1/2』に登場するフェリーニの分身たるジャーナリストや映画監督を取り巻く女たちの存在感は本作にも反映されていて、特に1964年生まれの50歳(撮影時はもう少し若かったでしょうが)で大胆なヌードを披露したサブリナ・フェリッリの日焼けした肌、夜道ですれ違う伯爵夫人の後ろ姿にはうっとりしました。


フェリーニの『甘い生活』の冒頭、ヘリコプターで吊るされたキリスト像を捉えた画が、喧噪の高級キャバレーへと繋がっていくのと同じく、本作では、荘厳な合唱曲「I Lie」がディスコで嬌声を挙げる女へと繋がれます。キリスト像とヘリコプター、宗教と近代とで成り立っていた「ローマ」は、観光客が蔓延る通俗な街へと、その観光客(←日本人なんですよ、結構、手厳しいです)を幕開けとする「死」への恐怖を振り払うかのように、爛熟の倦怠に自ら身を沈めてるジェップのスケベ顔に変わっていますが(笑)。
フェリーニの名を挙げるなら避けては通れないカトリシズムに関しても、相似点はあります。次期法王候補のひとり、枢機卿(マルコ・ベロッキオ作品でお馴染みのロベルト・ヘルリッカ が演じてます)、美食家でいつも料理の事ばかり話してる、運転手つきのリムジンに乗った俗物なんですが、清貧というより極貧を「生きる」老修道女との対比に、カトリックの制度上の虚飾や堕落を見るのは容易だと思います。

主よ、あなたがわたしを惑わし わたしは惑わされて あなたに捕らえられました


政治的な思惑があっての事か、第三世界(西アフリカのマリ)からバチカンに呼び出された老修道女。“貧しさは語るためではない。貧しさは生きる為だ”“私が草の根を食べるのは、「根っこ」は大事だからです”(←うろ覚えですが)の言葉や、バルコニーでの鳥寄せの秘儀(笑)から、私はどうしてもアッシジの聖フランチェスコを連想してしまいます。老シスターは無数の鳥たちの“全ての洗礼名を知ってる“と話してましたが、彼女がふぅーと息を吹きかける、“息吹き”による魂の浄化は、それが崇高な聖性に支えられたものなのか、キリンを消すトリックと同列の「まやかし」なのか判別し辛い「つくりもの」めいたCG臭が感じられ、一元的なものの見方を避けたいんでしょう、合成っぽい画作りはあえて選択されたんじゃなかろうかと。。彼女も、高貴な聖性と庶民を熱狂させる、普遍的通俗性が同居している不思議なご婦人でした。


圧巻は終盤です。中央奥に磔刑のキリスト像を配した長い階段は、一点透視図法で撮影され、消失点は勿論、中央のキリスト像。この単純で奥行きのある、力強い構図には鳥肌が立ちました。
老体に鞭打ち、不自由な体を折り曲げながら一段、また一段と階段を登っていく姿は、老修道女の「人生」の具象なんですよね。首から下げたロザリオの重さ=信仰の道の厳しさで、身体は撓みその歩みは遅くとも、彼女の眼差しは前方にあるイエスを常に見上げ、決して揺るがない。
「遠近法」が絵画に取り入れられたのは、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂(フィレンツェ)のマザッチオ作『聖三位一体』*4が最初だと言われています。遠近法は平面の上に立体を表現する、二次元の世界に三次元を創出するための「トリック」的な技法でもあるんですよ。「消えるキリンのトリック(キリンはジェップの目の前から掻き消えましたが、完全に消えたわけではない。鳴き声が聞こえてましたから)」やパラッツォ・スパーダの騙し絵的な通廊の事*5もありますし、俄然、遠近法が気になってます(笑)。兎に角、あの絵画がどこにあるのか、作者は誰なのかが知りたくて…どなたかご教授いただけたら幸いです。


で、この場面に対置されてるのがジェップの過去への旅です。2012年1月13日、イタリアのジリオ島付近で座礁したコスタ・コンコルディア号*6を崖の上から見下ろす場面があったり、何故、この船が登場するのかがいまいちよく分からなくて…。
灯台を頂く崖には階段が設えてあり、彼は初恋の女性との邂逅を幻想世界で果たします。死とノスタルジーに囚われていたジェップが、自分より遥かに長く生きている老修道女からの叱咤(104歳から見れば、65歳なんてまだまだひよっこでしょう?)から再び生きる情熱を取り戻す━彼が見上げる思い出の地には昏い夜を照らす「灯台」があり、人生の終盤に訪れた希望の灯はささやかであっても、その光を求め追う事で残された日々を紡いでいく他ない、そのための「まやかし」=幻想なら受け入れる決意をしたジェップには、もう迷いはない筈。横たわり(‘I Lie’)「見上げた」*7天井には、いつでも海=初恋の人を思い描くことが出来るのですから。。


そうそう、ジェップのコンドミニアムの上階に住んでいた人物はマフィアだそう*8これにはびっくりしました。ココにもトリック(まやかし)はありそうですねぇ。
登場人物のほとんどがお金持ちで、世界を切り取って魅せるのには、上流階級に対する風刺や批判精神*9だけではアンバランスな歪さがあって、フェリーニのカーニバル的カオスより、こじんまりした行儀の良さを感じてしまったのも正直な感想なんですが、削除されたシーンを見ていたら、ホームレスらしいおじさんが登場してるではありませんか!ココ、本編と一緒に見たかったです。

[http://
[http://La Grande Bellezza - Scene tagliate - YouTube

*1:http://eigato.com/?p=19286

*2:http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/raphael_fornarina.html

*3:政治の中枢に寄生している作家との舌戦はシルヴィオ・ベルルスコーニ首相時代なればこそ

*4:http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/masaccio.html

*5:建築家、ボロミーニによる「遠近法の間」という、9メートル程度の奥行がその4倍近くに見える目の錯覚を利用して作られた廊下があるhttp://greatbeauty-movie.com/location/

*6:http://it.wikipedia.org/wiki/La_grande_bellezza

*7:ジェップが見下ろす風景━コンドミニアムでの迷路のような幾何学式庭園、崖から見下ろすコスタ・コンコルディア号等、その視線の先ににはメランコリーが宿ります。彼が見上げる時━ベッドの天井、終盤の灯台のある海岸等、幻想に身を委ねる解放感があります。それがまやかし(トリック)であったとしても、そこが彼の「根っこ」なんですね 9/6追加

*8:http://www.imdb.com/title/tt2358891/trivia?ref_=tt_trv_trv:During the arrest scene, Jap Gambardella discovers that his mysterious and well-dressed neighbor is called Moneta and that he works for an organization that "keeps Italy going". Being 'moneta' also the Italian word for 'coin', this character is clearly based upon the real-World Cosa Nostra leader Matteo Messina Denaro (whose family name, 'denaro', is the Italian word for 'money'). As of May 2010, Denaro ranked among the ten most wanted fugitives in the world according to Forbes magazine.

*9:上流階級のマダム達が押し掛ける美容整形の医師は、患者との関係を「旅」に擬えてました。